かなり前に歩いた記録。
しかも1回だけ歩いたあとを放り出して現在に至るということで、まとめるのを躊躇っていたが「試し歩き」と称して単独ノート化してみた。
日光街道は江戸日本橋を起点とする五街道のひとつで、日光まで約140㎞、21宿の街道。途中宇都宮までは奥州街道と重複しているが、全体を日光街道と呼ばれるのは東照大権現徳川家康の威光なのだろうか。
今回の足あと地図
五街道歩きの起点はJR東京駅となぜか決めている。日本橋までは歩いて15分みれば十分か。
橋の真ん中、車道中央に道路元標プレートが埋め込まれている
歩行者視点での確認は難しい。
レプリカが別途橋のたもとに飾られている
後ろの装飾のある柱が東京市道路元標、その手前が日本国道路元標プレート。1972(昭和47)年に柱からプレートに変更されたとのこと。
日本橋から北方向へスタートする。
室町3丁目南交差点付近の中央通り
日光街道はここで信号を右折する。
道なりに進むと横山町問屋街
この付近から浅草にかけては、鎌倉街道下道として歩いた行程ともダブっている。
中世の頃まではこの周辺、低湿地が多く、道路を通せる唯一の微高地が昔からの街道となっていたということで、古代の道から鎌倉街道、奥羽街道、日光街道などと名前を変えて同じ道が使われてきた場所だろうと想像する。
現在の道すじは、浅草橋の交差点に出て江戸通りに入り、神田川を渡る。
浅草橋・神田川
浅草橋駅前を通過し、蔵前へ。
御蔵前書房
看板には大江戸・大東京関係・相撲文献とある。
江戸幕府の諸資料から庶民芸能のオリジナル資料、古文書・和本・草稿・書簡・書籍・雑誌・錦絵・版画などなど、在庫の充実を目指しております。特に国技の相撲の分野には、在庫目録に掲載できないもの多く、お問い合わせください。
とはホームページからの引用。この店、たしか猫がいたような記憶がある。
ラーメン店と居酒屋に挟まれて少々窮屈そう。
こちらは駒形どぜう
参考にした地図では、駒形橋西詰交差点から少し折れて浅草雷門前へ出るようになっていた。それに従い、
雷門交差点
冬の日差しでは昼近くでも門が半分日陰になる。
交差点横断歩道から
言問橋西交差点
左正面並木道が日光街道。右へは橋場から白鬚橋へ向かう、鎌倉街道下道として辿った道が分岐。
左へ進み、少し行くと山谷堀跡。
山谷堀に架かる吉野橋跡
隅田川から吉原へ向かう猪牙船(ちょきぶね)とよばれる船が行き交っていた頃もあったという。
街道は東浅草から南千住へ向かい、現在の台東区と荒川区の境界は
泪橋(なみだばし)交差点
泪橋は、南千住にあった小塚原刑場に近い思川(おもいがわ)にかかっていた。罪人が刑場へ行くのに渡った橋とされる。現在は橋も川も刑場もなくなった。
泪橋の先へ進むとほどなく南千住駅に突き当たる。道路は線路で分断され、歩道橋で反対側に渡る。
線路端には刑場の刑死者などの霊を供養する「延命寺首切り地蔵」がある。(電車の中からも見える)
南千住の商店街を先へ行くと国道4号に合流する。そしてすぐに隅田川を渡る。
千住大橋
最初に架橋されたのは1594(文禄3)年のこと、隅田川に架けられた最初の橋で、当初単に「大橋」と呼ばれていた。現在でも橋の名標は「大橋」と書かれている。
千住大橋を渡るとすぐに現在の国道4号から逸れ、旧道の道すじは千住宿へ入っていく。
すぐにやっちゃ場(市場)跡の碑などがあり、
これは昭和5年千住市場問屋配置図(部分)
下にも詳しい説明があった。
千住ほんちょう商店街から
せまい旧道の通り。ここからは北千住駅も近い。
千住宿の通り沿いにはちらほらと古い建物も残る。
これは横山家住宅と紹介されていた建物
宿場を北に進むと荒川の土手に突き当たる。この付近は荒川放水路なので、明治末期から大正初期に人工的に開削されたところ。それ以前はここに川は存在しなかったので、そのまま道は続いていたはずだ。
現在は荒川を橋で渡る。
再び国道4号に出て、千住新橋を渡る。
千住新橋上から荒川(放水路)上流方向
左手前が千住側、日光街道旧道はここに写っている川のどこかを斜め方向に右向こうへ通っていたらしい。船のいるあたりか?
対岸の街道の続きは、川田橋交差点から荒川と直角、北方向に伸びる道路である。
高架の駅直下を街道が通る。
ここから先は良くも悪くも単調、と感じてしまったのかもしれない。しばらくの間何も画像が記録されていなかった。
梅島からはほぼまっすぐ真北へ進む。島根の交差点で環七を越え、竹の塚、西保木間を通ってさらに北へ進み、東京都と埼玉県の境界となる毛長川手前で再度国道4号と交差して県道49号(足立越谷線)に入る。
都県境、毛長川の上
足立区から右側草加市に入る。
県境を越える
またしばらく北方向へまっすぐ進む。
県道49号と日光街道旧道の分かれ道
草加市高砂1丁目、吉町2丁目境界。
今様草加宿と書かれた大きな碑が立っている。左へ入っていくと草加宿。千住の次の宿場だ。
宿場が近づくと古い建物も見られるようになるのだが、いかんせんここでは宿場本陣などのあった中心まで行かずに道を逸れてしまった。
旧道にあった古い蔵造りの建物
この先が草加宿の中心だったらしい
残念ながらこの先がどうなっているのかはよくわからないまま、ここを左折してしまった。
左へ曲がると草加駅
日光街道とりあえず、ここまで。