野川を歩くその1で、多摩川との合流点から上流へ遡り、三鷹、調布、小金井市にまたがる都立野川公園までやってきた。
野川行程(その1、その2共通)
その2をスタート
野川公園さくら橋から(2016)
前回その1にも載せた写真。
同じ場所で今年(2017)はこんなかんじ
2017年は水が少なく川が干上がっている場所もあった。このあたりはすぐ脇の国分寺崖線下からかろうじて湧水の水が供給され、水がたまっている状態。
公園内でもう少し上流側へ行くとまた水が枯れて干上がっていた。
野川公園内、すぐ先で
ところで野川って頻繁に水が枯れるのだろうか。昔のことはあまり記録にないので分からないが、ネットで調べてみると、わりとよく枯れて干上がることがあるようだ。特に雨の少ない冬場には、この上流側にある武蔵野公園から野川公園のあたりなどは水がないことが多いらしい。でも今回歩いてきたのは6月だ。原因は、野川に水を供給する国分寺崖線の湧水量が減少しているせいだと書かれているものが多く、たしかにそれはあるだろうと思う。あとは下水道の普及によって川へ返る水が減ったことだろう。下水道は川の浄化には大いに貢献しているが、川の水量の減少にも影響している。
野川公園北門から
野川公園の外へ出る。すぐ後ろ側は西武多摩川線の高架が通っていて、そこをくぐると都立武蔵野公園、都立公園が隣り合わせだ。
武蔵野公園に入って野川公園側を振り返る
武蔵野公園内の野川(2017)
このへん、水が枯れることはさほど珍しいことではないとのことだが。
武蔵野公園内から北側の遊水池方面
野川公園が元はゴルフ場だったせいもあるけれど、それに比べて武蔵野公園はあまり手を入れていない感じがする。野川公園に隣接した一帯はBBQ広場や野球グラウンドなどもあるが、西側、北側には何もない「原っぱ」と遊水地が広がる。そういう管理の方法もいいと思う。
公園のHPいわく「野趣に富んだ公園」、ものは言いようである。
公園の向こうに見えるのは国分寺崖線に連なる森だ。森の向こうは段丘の上面、武蔵野台地で住宅地が広がっている。
武蔵野公園西の端の橋の上から
2016年
2017年
ここより西、上流側にはずっと小金井、国分寺の住宅地が続く。さすがに川幅も狭まって、水が流れている時でも水量は少なく、川の中にたくさんの草が生えて流れは見えにくくなる。
こんなかんじ
前に見える橋は丸山橋、小金井自動車学校の近くである。
もうしばらく先へすすむと川が暗渠から出てくるところがある。
暗渠の出口
暗渠になっているところの上には小学校の校庭がある。川の流路を直線化するときに、ちょうど上が学校だったのでトンネルにしてしまったのではないかと想像。また学校に沿うように古い河道と思われる”堀”が残っていて、そこが歩道(子供たちの通学路?)になっている。
暗渠の入口側
小学校より上流側にはまた整備された川と歩道が続く。
荒牧橋の上から(2016)
これは2016年に撮影したものだが、2017年に通った時もこのあたりは水が干上がってなかった。帰ってから調べて知ったのだが、この付近は川底に水が浸み込みにくい粘土を埋め込むなどの工事を行って、水が途切れない(瀬切れを防ぐ)ようにしたのだそうだ。環境を保護するのって大変である。
鞍尾根橋に達する
橋の下右側の溝には東京経済大学キャンパス内にある新次郎池、これも国分寺崖線のがけ下からの湧水によるもの、の水が合流している。
この橋が小金井市と国分寺市の境界になっている。向こう側国分寺市は川底がコンクリートで固められ、こちら側小金井市は先ほども書いたような河川改修を行って、自然に近いような形になっている。
鞍尾根橋から野川上流側
都市部、住宅地内を流れる中小河川の上流部ってだいたいこんなかんじである
さらに上流へ進み、お鷹の道・真姿の池湧水群からの水が合流する場所のちょっと上流側。
湧水群からの水が合流する手前(上流側)
すぐ後ろが国分寺駅方面へ通じるバス通りで交通量が多い。川も下水のようにも見えてしまうが、よく見ると特に汚れてはいない。淀みぎみなので土が下にたまって汚れたようにみえてしまう。
湧水群方面は今回は向かわず、源流方向へ。このあたりでは川沿いに歩道はなく、一般道を歩く。川も住宅の後ろ側などに隠れてしまい、橋の上などでしか流れをみることができない。
多喜窪通りを越えるとそろそろ源流も近い。
多喜窪通り先の住宅の隙間から覗き込む
押切橋から上流側
押切橋は一般道にかかる橋としては最上流。
川として最初に見られるところ
向こうのトンネル出口から水が流れ出している。トンネルの上はJR中央線の線路。
場所を変えて
右側下の森といちばん奥の住宅の境に、川が顔を出すトンネルの出口がある。川の水は線路とその左側にある一般道の下を通っていて、さらに左側の茂みの向こうが日立製作所中央研究所の敷地となる。その敷地のなかに湧水があって池ができ、その水が野川の源となる。
源流の周囲は企業の敷地内で立ち入れないので源の一滴を確認することはできなかった。(年に数回研究所の開放があってそのときは中に入れるらしい。)
研究所手前の道路まで行ってみた。
国分寺市東恋ヶ窪
自転車置き場だった。塀の向こうが研究所の敷地。手前に「野川の水源」という看板があって、この奥の研究所の中に水源がある、などのことが書かれていた。このあたり、地形的には「恋ヶ窪」という地名にも表れているように、段丘の上面ではあるが窪地になっている。想像だが、この付近の地下は水が集まる場所で、その水が窪地をつくり、湧水となり、池(日立研究所のなかなど)や川(野川の流れ)をつくっていったのではないかと思った。
源流目前までは達したが、最後のところで水の姿が確認できないのが残念ではある。
野川の遡上はここまでだけれど、野川の支流の湧水などもあちこち見てきたのでそちらを別のノートに記すことにする。