散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

貫井川の暗渠川跡を歩く(東京練馬)

石神井川の支流、現在は暗渠となっている貫井川(ぬくいがわ)を歩きました。その観察記録です。

貫井川は延長約4㎞の小さな川で全区間練馬区にあります。下石神井付近から流れがはじまり、南田中、富士見台、貫井といったところを蛇行しながら下り、向山で石神井川護岸に合流口の穴があいてます。

支流や分流もありますがまず貫井川本流から。訪れたのは3月下旬、桜が咲いてる頃です...

石神井川合流点(練馬区向山4丁目)

大きな合流口の下に丸い小さな穴がありそこからわずかに水が出ています。
現在貫井川暗渠は下水道化されており、水は暗渠のどこかで別の下水管へ導かれて処理施設へ流れていくので通常時ここから水が出てくることはありません。丸い穴から流れているのは合流口近くで浸み出した地下水と思われます。

正面奥にのびる道路が川跡、そちらへ移動します。

じゃーんぷ

 

石神井川から250mほどさかのぼったところ、遊歩道になってます

左側は円光院の境内。

 

もう少しさかのぼると目白通りを横切りますがその手前、貫井弁財天の祠と敷地をはさむ格好で変な方向に水路敷の水色ペイントがあったので入ってみると

本流とは少しずれた位置にも川跡(下水道になってますが)がありました。(ここを●1とします)

現在の目白通り付近で本流から分岐する水路がありました。周辺にあった水田の用水路として設けられたもののようです。

 

目白通りを越えると川跡は「貫井川緑道」に(貫井2丁目)

この付近から貫井川の流れが削ってできた浅く小さな谷戸へ入っていきます。

 

緑道の分岐点

左奥からの支流合流点だったようです。入ってみたらすぐにどん詰まりでしたが。

右へ折れる本流跡は歩道が続きます。

 

先から下流方向をふり返り

この周辺はかつて湧水もあり「貫井池」が存在したそうですが面影はありません。今いる位置はかつての池の水面、あるいは泥沼の上かも。

このあたりの緑道一直線です。枯れた池を農地化する工事で貫井川流路を定めたと推測しました。(その後暗渠化され緑道に)

 

緑道まっすぐ進むと普通の道路に交差します。

ここも支流の合流地点になります ●2

道路左から本流、右奥へ下流方向です。背後から足元へ支流が流れて前方の緑道入口付近で合流していたようです。

3本目の電柱の後ろで左に入る道がありそちらが本流の流路、そちらへ進んでいきます。

 

入ってすぐの地点

如何にもな暗渠道になってました。

 

時々道路を渡ったりして細く長く続きます。

水路部分は水色に塗られ、車止めもあるので迷わず都合がよいです。
(最初のほうにもちょっと言ってますが)路面水色のペイントは練馬区特有の水路敷のサイン、上に白文字で「水路敷」と書かれたのもあります。だいぶ年月が経っていて消えたり消えかかってるものも多いです。

 

車止めだけという場合も

 

しばらくこんな感じで進んでいくと環八通りにさしかかります。貫井川流路は環八を渡りますがすぐに方向を変えもう一度渡り、元へ戻ってきます。

これは一瞬だけ環八西側へ渡った直後の川跡(の道)

右の細い道が環八を渡ってきた流路跡、左へカーブして前方で再び渡ってます。さすがに現在水の流れは迂回されてこの道路下にはないと思いますが。
まあ、環八が後からできて直線でぶち抜いていった結果、貫井川流路がちょっとはみ出したということではあります。

 

環八東側へ戻り都営住宅脇を進みます。
ここは「水路敷」の文字あります

 

西武池袋線高架から手前道路まで〈一瞬の〉間は道として機能していないからか古い蓋掛け暗渠が残っています

背後からは一般道路の歩道部分が流路跡となっています。

 

石神井東小学校校門前へ

歩道前方に2つ飛び出しているものは橋跡の一部ということです。〈中央部分を切断除去したのかな?〉

 

その先も道路歩道部分、さらに行くと
専用の歩道?になり

 

『小路敷』になっちゃったり

 

水路敷に戻ったり

いろいろ。そのうち環八と笹目通りが分岐する環八南田中交差点にぶつかります。

小さな川や暗渠などは大きな道路と交差するとその先を見失いやすいのですが、ここ貫井川の場合だいぶ上流にやってきて流れはすでに台地の上、スリバチ的なでこぼこもなくさらに手掛かりが少なくなります。
水路敷の水色と車止めが頼り。

 

環八を越えると近くの南が丘中学校内を流れが通り抜けていたようで、その先へまわると
続きがありました(南田中4丁目)

 

その先はまたはっきりした歩道がひとしきり

 

ですがついにここまで(下石神井2丁目22)

下流方向を見てます。水路敷の水色ペイントと緑色の車止めはここまででした。
はっきりした川の流れはこれより上流部に存在しなかったのだと思われます。通常河川ならここに上流端の標識が置かれた場所かもしれません。

 

背後はたぶん一般道の歩道部分が流路跡かなと想像しつつ先へ
50mくらい先

 

さらに200mほど進み新青梅街道石神井4丁目交差点に近い場所

ここはもうはっきりしません。昔は地面にちょっとした窪みがあってそこに水が流れたり、枯れたりを繰り返していたのでしょう。宅地化で完全に埋められてしまったはずです。

石神井4丁目交差点先の一帯が源流域とされているようで足を踏み入れてみましたが、住宅が建て込み水の流れを想像できるものはなにも見つけられませんでした。

武蔵野台地の川のはじまりは平らな場所から時々水が浸みだして流れを時々つくる、はっきりしない派が結構たくさんおりますが、貫井川もそのひとつです。

 

貫井川の支流もいくつか訪れましたのでかいつまんで。

 

●2地点で本流合流する支流

流れの名称があるのか不明です。地形図では本流同様浅い谷を刻んでいることが確認できますが上流方向すぐにはっきりしなくなります。

合流点からさかのぼること400m弱(貫井3丁目)

この支流も流路跡が歩道や一般道になっていますが5~600m行き西武池袋線線路付近から先は手掛かりが少なくなります。

線路を越えるとごく浅い地形の窪みが続きますが一般の住宅地で確認しようがありません。
そのまま南西方向に400mほど進むと「蕪ヶ谷戸緑地」(かぶらがやとりょくち:ごく小さな公園です)と「谷戸」の名称が入った箇所があり、かつては湧水も存在したのかと思いますがこちらも手掛かりはありません。

 

千川通り富士見台1丁目交差点

かつて千川上水の流れがあった千川通り、地形的にここは尾根筋ですから貫井川支流がここを越えることはないはずです。源は特定できず。

 

 

●1の分流とそこへ合流していた流れ

目白通り付近で分岐し貫井弁財天脇を流れていた分流の先、下ってたどります。

目白通りから100mほどのところ、横切る道路から下を見て

フェンス下を通るのが分流の暗渠、車止めがあります。足元で道路下をくぐって背後へ流れていきますが実は人も通れません。

 

その下流側、一般道に吸収されたり、歩道化された流路跡が残っていたり

これはたぶん車道に取り込めなかった蛇行部の名残り

 

そのうち石神井川と並行しますが分流のほう現在は暗渠、歩道に

あと100mくらいでこの歩道もなくなり、分流も石神井川に合流していたと思われます。

上のパンダの背後50mくらいの位置で南側から流れてくる支流があり、跡が路地風の通路になってました。

 

入っていくと500mくらい続きます。

流れの両側は数メートル高く、ここも流れが谷をつくったことがわかります。

 

目白通りまで続いて越えた先は痕跡ありません。

上が目白通り(向山2丁目)、細い通路はここまで。

 

貫井川、支流含めてここまでとします。

 

簡単な流路地図を載せておきます