2022年3月に歩いた記録です。
大船駅笠間口歩道デッキの上から
横浜市と鎌倉市の境界をまたぐJR大船駅、その笠間口ですが、
『大船』は鎌倉市の地名、『笠間』が横浜市の地名です。
右下がJR線の駅出入口、その向こう黒い建物の手前に歩道橋のかかる小さな川(砂押川)があります。この川が横浜市と鎌倉市の境目で、橋の向こうは鎌倉市です。川は駅ホームの下も流れています。
駅からバスターミナルへ延びる通路デッキは出来たばかりでした。
大船駅東口バスターミナル付近
観察してみるとこの一帯の建物、街自体がごく最近新しくなったのですね。〈まだ工事は完了していないようで工事用車両などだいぶ残っています。〉
大船(笠間)から北東方向へ進みます。
いたち川(㹨川、鼬川)のほとりへ出ました。名前は変わってますが川は普通です。
泪橋の上から
泪橋(なみだばし)というのは俗称らしく、本当の橋名は不明です(無い?)。橋をこの右へ渡ると神奈川県警察学校。〈神奈川県警の私設橋なのか?〉
JR根岸線本郷台駅近くを通過。
『神奈川県立地球市民かながわプラザ(あーすぷらざ)』建物の一部
ここ、何と説明すればよいのか? 『はこもの』の一種
起伏のはげしいこの一帯、さほど古くない時期に大規模に宅地開発され分譲された住宅地がどこまでも続きます。
宅地化されなかった土地も菜園として分譲されてました(港南区日野南付近)
野庭(のば)団地、大きな団地です
何やら不思議な道路の配置、構造です
どうもここに《ドン》と1本太い道路を通す計画になっているようですが、建設難航であれこれしてる間にこんな具合になってしまいましたとか。
この道を背後へ坂を下っていくと横浜市の動脈、環状2号へ突き当たってました。
環状2号馬洗橋交差点(港南区丸山台)
上永谷あたり、と言ったほうがわかりやすいのかな?
交差点の歩道橋上から環状2号北向きに
まだ先は長いのですがこの日は少し疲れ気味。記録も記憶もところどころ散漫あいまいになってます。(間が大きく抜けてるところがダメだった区間)
港南区芹が谷付近
正面はソメイヨシノの古木、花はまだですね、ここは川がながれてたのを埋めたのかな、などとりとめなく。
だいたい北の方向へ進んで戸塚区平戸。長い坂をあがっていくと旧東海道に出ます。
丘の尾根から西側
あちらは東戸塚駅周辺市街地。
古い道に出合いました。
先へ下るのは旧東海道品濃坂
「旧東海道(品濃坂)」の標識があります。
そこからほどなく
品濃一里塚
塚の反対側が旧東海道で一本隣りの道沿いに児童公園があってそこから見たものです。
塚は東西に2つ残ってますがこちら東側は旧東海道からだと全体が見えにくく、こちら側へまわり込む通路などもありません。
一里塚の脇にすべり台
旧東海道のひとつ隣りの細道を歩いていくと
行き止まりの表示
古い門が残るこちらは『萩原代官屋敷・道場跡』と門の脇に説明書きがありました。
現在も住んでいる方がおられ、中には入れません。〈行き止まり〉
実際は右にぬける細道があります。竹の林になった坂道、そこを上がるとかつての武蔵相模国境、再び旧東海道の道すじに出ます。
小さな広場があり、木柱の立つモニュメントがあります
柱この面には「これより 武蔵国保土ヶ谷宿 一里」、別の面には「武相国境之木」「これより 相模国戸塚宿 一里九丁」など。
『国境の木』とは国の境界に建てられた杭(傍示杭)のこと。このあたりはそれにちなんで「境木」町となってます。
写真右側木立の中には境木地蔵尊。
旧東海道を江戸方に行けば権太坂を経て保土ヶ谷ですが、それと少し違う方向へ歩きました。
住宅地を北へ、坂を下りつつ。切通しになった谷間を東海道、横須賀線線路が通り、その上を橋で渡ります。
再び環状2号を横切ると川の暗渠上の歩道へ(保土ヶ谷区今井町)
今井川という川の上流部分。
川から上がると「北京→」という謎の看板を目撃〈結局北京には着かなかったけど何だったのかな?〉。国道16号保土ヶ谷バイパスを横切って左近山団地という大きな団地もぬけてさらに北上。
ここは東海道新幹線を越えて旭区西川島町あたり
この付近は古くからの集落という雰囲気が残っていました。〈新しい住宅地にだいぶ飲み込まれてますが〉
小高い丘から川沿いの谷間へ下りて川跡の小公園から
上を横切っているのは東海道新幹線。
この駅は真上を新幹線が横切ってます。
この日はここまで。
接続点以外関連ないけど、先に出した続き