戦車道路とかつては呼ばれた、町田の尾根緑道を歩いてきた。
説明のため最初に解説板から入ってしまおう。
尾根緑道の由来
この「尾根緑道」は以前は「戦車道路」と呼ばれていました。
それはこの道が第二次世界大戦の末期、ここから南西一・二キロにあった相模陸軍造兵廠で製造された戦車の走行テスト用道路として造られたものだからです。
戦後しばらくの間、防衛庁が同様な目的でここを使用していましたが、今は町田市が国から借り受けています。
それ以降町田市では、富士山や丹沢の山々を一望できるこの全長八キロにおよぶ景観の地を市民のみなさまが四季折々楽しむことができるよう整備を進めてきました。そして、今では春に桜、秋には紅葉と、市民のみなさまに散策やハイキングなどに大いに利用され、さくら祭りの会場ともなっています。
このようにこの地はかつての「戦車道路」という「戦争の遺物」から、現在は市民の憩いの場、すなわち「平和の象徴」へと大きく生まれかわりました。
一九九三年二月 非核平和宣言都市 町田市
少し補足すると
戦車道路、元来の計画では延長30㎞におよぶものだったが、多くは工事できないまま終戦を迎えた。
1944年頃の航空写真を見たところ、現在の緑道と同じ区間に幅の広い道路ができていることが確認できた。それ以前の古地図でも同じ場所に細い道が通っているので、戦時中に軍が一般道を拡張して「戦車道路」としたと推測される。
その戦車をつくっていた相模陸軍造兵廠は現在、相模原市中央区にある米軍相模補給廠などになっている。
尾根緑道+α 足あと
現在全長8㎞ほどの戦車道路あらため尾根緑道、個人的にはもう少し長く歩きたいので、前後を少し膨らましてみた。
アプローチはJR横浜線古淵駅から
相模原台地から坂を下ると境川が流れる。
境川・境橋
境川はこのあたりずっと都県境になっている。神奈川県相模原市南区から東京都町田市へとはいる。
再び坂を台地へと上がる。そこに一里塚の跡が残っている場所へ出た。
木曽一里塚
はて、何の街道が通っていたのかと思ったが、解説があったので。
町田市指定史跡
木曽一里塚
所在地 町田市木曽西四丁目一四番
指定 一九六九年(昭和四十四年)九月二日
徳川家康は秀忠に命じて慶長九年(一六〇四)に、日本橋を基点に東海道、東山道、北陸道に一里塚を築かせ全国に普及させた。その後、付属の街道である脇往還なども整備された。一里塚は旅行者の目印として一里(約四キロメートル)の間隔で道の両側に築かれた塚で、木陰で休憩がとれるように、榎や松が植えられた。
町田市内には、木曽町、小野路町に一里塚が残っている。元和三年(一六一七)に徳川家康の遺櫃が駿河の久能山から日光東照宮へ移されたとき、東海道の平塚宿から、厚木、座間、木曽、小野路、府中と通過した。この道は、後に御尊櫃御成道(ごそんびつおなりみち)と呼ばれた。一八世紀になると関東各地から相模国大山阿夫利神社へ参詣する大山講が盛んになり、この道も大山道として利用され、木曽と小野路は宿場町として栄えた。木曽の一里塚も小野路と同じく道の両側にあったが、現在は西側のものだけが残り、塚の上には武蔵御嶽山の大口真神の小祠がある。
二〇一一年二月設置 町田市教育委員会
その先、町田市木曽から忠生へ。忠生公園を通過する。
公園入口
谷底に小さな池がある
谷戸の谷間に造られた公園。水が湧く場所なのだろう。
忠生から図師というところへ入り、坂道をあがって図師小学校の横へ出る。
図師小学校近くから町田リサイクル文化センター方向
長い名前で、町田リサイクル文化センター環境資源部清掃事務所となっていたが、まあ平たくいえばゴミ焼却場でしょう。煙突があって、排熱利用の温水プールもある。
あの施設の横から尾根緑道がはじまることになっている。(実際は少しばかり離れているが)
尾根緑道東端
ようやく東側の入口に到着。
バスを使えば町田駅などから直接来られて、このすぐ近くに尾根緑道入口というバス停もある。
入口をはいってすぐのゆるやかな上り
尾根緑道というくらいで尾根筋の道、両側眺めが良い。特に南の相模原市側方向がよい。
南の相模原市側風景
正面遠くにうっすらと大山、丹沢。
尾根北側風景
手前は町田市内の団地、向こうは多摩丘陵など。ちなみに後ろ側は桜美林教会、ヨーロッパ的な雰囲気が少し。この緑道沿い、桜美林学園関係の施設が点在している。
最初に出した解説板のあった広場
このへんは尾根緑道として1984年頃最初に整備された約1.5㎞の区間になる。
右側は歩道と緑地帯、左側は車も通る一般道という形態
最初に整備された区間が終わるといったん一般道を交差。
尾根緑道中央交差点付近
来た方を振り返る形。歩道は信号向こう左奥から来て横断歩道を渡り、右側へ。
この後ろ側でこの道路から逸れて歩道が続いて行く。
歩道の続き(町田市上小山田町)
次の区間は歩道が中央、その両側が一般道。
しばらく同じようなかんじで続いて行く
桜美林大学野球場付近(町田市小山ヶ丘1丁目)
この付近、桜美林学園関係の施設が並ぶ。最近になって整備されたようで、歩道周辺もそのときに再整備されたように見える。
南多摩斎場というポイントへやってきて案内地図
現在地は地図の右端、いちばん東だが、尾根緑道東端の入口からここまでの地図は描かれていない。
ここからは町田市と八王子市の境界上を緑道がすすむので、案内図でもあるが、行政的な管理範囲を明確にしておきたいために立てた地図じゃないかという気がする。
とりあえず、ここから西端最終地点の国道16号まではあと5370mだそうだ。
案内地図のあったところから先、尾根緑道は歩道のみの道となる
元は陸軍が整備した戦車走行テスト道路ということで、道幅はどこも非常に広い。
南側尾根の下を望む
ここの下はトンネルの入口。最近できた道路はみんな尾根の下をぬけていくので、トンネルが何本も掘られている。
しばらく先へ進むと
小山内裏(おやまだいり)公園入口
ここからは都立公園ということで入口がある。公園内は特にここまでの緑道と変化ないようには見える。
小山内裏公園内の歩道
もう1枚
暑い日(この日八王子の最高気温が36℃)で、人っ子一人いない。
実はこの公園には2年前のちょうど同じ頃に訪れたことがあった。
そのときの写真
2年前に来たときも暑い日だった。よくみると木陰にたむろする人がたくさんいる。
これはちょうど"Pokémon GO"が爆発したときだった。
『自転車にスマホくくりつけて走り回る人などもいる。』『この公園だけすごい人の数』とそのときのノートに少しだけ記してあった。
2年経って夢のあと、人もポケモンもどこへ行ってしまったのでしょうか。
展望広場から相模原市橋本方面
公園西側入口近くから北西、八王子市側
左にみえる塔は鑓水小山給水所の給水塔。
小山内裏公園西側入口
この下が公園の西端。その先はまた緑道が続いている。そのまま尾根緑道でよいのか、2年前に通ったときのノートには「歩道の名称も鑓水小山緑道となる」と書いていた。
町田市、八王子市の掲げた案内図では連続したひとつの緑道として描かれているので、今回はこのまま尾根緑道ということにしておく。
ちなみに戦時中の航空写真では広い道(戦車走行テストコース)が確認できるのは、現在の小山内裏公園西端、ここまでだ。
「絹の道」歩道との分岐
正面の車道高架下を通っているのは八王子市街地からくる絹の道(浜街道、八王子街道と呼ばれる、八王子ー横浜を結んだ古い道)の整備された歩道。
尾根緑道はここで左折。
左折した先の歩道(八王子市鑓水2丁目)
来た方を振り返って。左下は一つ前の写真で高架上を通っていた市道。
細谷戸橋(歩道橋)から北側
こちら側はまだあまり開発が進んでいない。
もう少し先へすすむと、多摩美術大学八王子キャンパスの縁に沿っていくようになる。
キャンパスとの境界を通る
このへん、日陰がなくてとてもまいった。緑道、公園の木々のつくる陰にどれだけ助けられていたかよくわかった。(というより、そんな暑い日に歩き回るなって)
そして大学キャンパス境界のフェンスが離れて行くとそろそろ終着点
これ↑も来た方を振り返って。
尾根緑道の現在の最終地点に到着
こちらが緑道の西端ということになる。
T字路を横切っているのが国道16号(旧道)で鑓水南交差点。左手前の車止めのところが終点だが、八王子市がたてた案内板がひとつある程度、なにげなく終わっていた。
尾根緑道歩きはここまでで終了。
さらに歩いて橋本駅まで。
一応クールダウンしてから帰りましたが、電車内など汗臭くご迷惑をおかけしたことと思います。>って誰に言ってるのだ
橋本駅前陸橋から