現役の農業用水路、それに沿って歩いた記録。
最初に言っときますが、華はないですし、何とか映えする絵もありません。それでもよろしければお付き合いください。
相模川左岸用水は相模原市南区にある、相模川磯部頭首工で取水した水を左岸一帯の田畑に供給し、末端は茅ヶ崎市まで20キロ以上の距離におよぶ長い疏水。1932(昭和7)年起工、1940(昭和15)年完成と、さほど古くはない。
歩いたのは用水起点の磯部頭首工から下流へ向けて、2018年2月と5月の2回。2月に訪ねてみると用水路に水はなく、農期の4月から9月の間だけ水が流されることを知り、5月になって再訪。
そんなわけで写真がダブりまくり、意識してなくても同じような場所、構図で撮影しているもんです。楽しく比較しながら行きましょう。(^_^;)
今回その1は、磯部頭首工から座間2丁目の小さな分水までの範囲。
相模川左岸用水・足あと(5月分)
アプローチはJR相模線下溝駅
駅は相模川の段丘上にあり、すぐに川が望める場所に出られる。
相模川上流方向 冬・春
頭首工とは、湖沼、河川などから用水を取り入れる農業水利施設の総称。おもに取水堰と取入れ口(取水口)から成る。
頭首工は英語でhead work、そのまま直訳だよね。
磯部は地名。
磯部頭首工取水堰
川幅いっぱいに堰を設け、その上流側で取水する。手前の巨大なハーモニカは魚道。
取水口
10個並んだ水門、手前6つが左岸用水、向こう4つは右岸用水用だそう。
相模川右岸用水というのもあり、同じ場所で取水を行っている。
取水口の手前には流木など大きなゴミが流れ込まないよう、コンクリート製の大きなバリケードが設けてある。
左岸用水用に取られた水は近くの公園の下を暗渠で流れ、そのすぐ先で開渠になって姿を現す。
暗渠出口の上から相模川左岸用水路のはじまり
右岸用水についても最初は左岸用水と同じ。取水口から公園の下を暗渠で通り、その先で流れが顔を出す。
違うのは左岸で取水したものを右岸へ送る、つまり相模川を横切る必要があり、その設備があること。
右岸用水側の水門 冬・春
右岸用水、水門の先
水は鉄格子の向こうで真下へ落とし込まれ、地下を通る送水管により相模川を横切り、サイフォンの原理により対岸で水が噴きあがる、「伏越(ふせこし)」となっている。ちなみに伏越の延長は612m。
鉄格子向こう上は相模川堤防。
伏越入口の下側(水門の下流側)から冬の様子
向こう側から水が来て左へ流れて行く。下は余水の排出口か、春にもこの部分に水は流れていなかった。
近くにあった伏越の記念碑
こいつをいくつも橋脚のように川の地下へ埋め、穴の部分にヒューム管を2連通したそうだ。
左岸用水へ戻る。
暗渠出口側を見る
先ほどは出口の上から撮った。左向こうに少し見えるのは右岸用水の水路に設けられたフェンス。
少し先へ進むとすぐに分水口がある。
左側へ流れて行くのが本流。右側の分水はこの周辺の田畑で使用されるものだろう。
この日、本流の水量はMAXではなさそう。別のサイトで見た写真では上部いっぱいに近いところまで水位があった。とはいえ少ない量でもない。
この先はすぐに水田の広がるなかを一直線に流れて行く。
このときはまだ田植え前、やっといくつかの田んぼに水が入れられはじめた頃。
冬はこんなかんじ
用水は冬季間通水されていないとのことだったが、左岸用水のみ磯部頭首工からしばらくは少量ながら水が流れていた。
一直線に1キロ以上下ったあと、S字にカーブしてJR相模線を渡る。用水路より先に線路があったのでこういう通し方になっているのだろう。
相模線相武台下駅近く・冬
住宅地のなかへ入ってきて別の水路と並走 冬・春
右側はすでに田んぼなどへ配水し終わった水だそうで、このあと鳩川へ落とされていく。
すぐその先で自然河川の鳩川と並走する。
鳩川(左)、相模川左岸用水(右)いずれも六反橋から下流方向を見て 冬・春
平和橋から上流方向 春のみ
このすぐ下流側で左岸用水と鳩川がクロスする。
右に写っているのが左岸用水、この場所も伏越により川の反対側へ水が噴きあがる仕掛けになっている。
奥の水色の装置付近で水が下へ落とし込まれ、U字に鳩川の川底を通過し、左奥の木が茂っているあたりで水が噴き上げられていた。
伏越の直前
鉄格子の奥で音をたてて水が落ちていた。のぞき込むとペットボトルが水面に大量に散乱、さすがに浮力が大きく穴へ吸い込まれないようだ。
伏越付近の冬の様子、鳩川対岸から
ここまで冬季間でも用水に少量の水が流れていたが、伏越を通過させる量に達していないためか、鳩川へ放流されていた。歩道上は何やら伏越設備の工事中。
こちら側伏越の出口付近は木や柵など障害物多く、暗いこともあって記録はできなかった。
伏越下流側冬の様子
水は鳩川へ放流されてしまい、下流側に流れはまったくなくなった。
座間市座間2丁目付近の分水口 冬・春
小さな分水口があり、春にはきちんと向こう側にも水が分けられていた。この近くの田んぼで使われるのだろう。
まだいくらも歩いていないが、写真の枚数が多くなったのでここで「記録」はひと区切り。