日を改めて、前回のつづきを歩いた。
寒川町倉見の倉見緑道から下り、茅ヶ崎市室田、用水の終点まで行く。
相模川左岸用水・足あと
その3は緑のライン、新幹線近くの赤〇から南へ黄色の〇まで
アプローチに使ったJR相模線倉見駅
倉見駅(くらみえき)
相模線は、大正10(1921)年9月、茅ヶ崎ー寒川間で開業したのを皮切りに、大正15(1926)年4月に倉見まで、同年7月に厚木まで線路を延ばし、昭和6(1931)年4月に橋本まで全線開通しました。
このなかで、倉見駅は、大正15年に開業した当時の建物を今もそのまま使っていて、現存する相模線の駅舎の中で最も古いものです。
駅舎だけでなく、ホーム、倉庫などすべてが鉄筋コンクリート造りでした。
関東大震災直後ということもあって、地震や火事に備えるために建てられたのですが、補修費の軽減もねらい、当時としては大変画期的なことだったといわれています。
平成17年3月 寒川町教育委員会
たしかに解説の写真と同じ駅舎。現在の駅前も、いまとなっては貴重な存在となった電話ボックス、有害図書追放ポストが残っていて昭和の雰囲気。
さて、出発。駅からは東の方角に歩き、10分ちょっとで相模川左岸用水路へ出る。
前回離脱した場所から南側は「倉見緑道」が整備されている。
倉見緑道遊歩道
用水はこの地下を暗渠で流れ、上部が緑道になっている。緑道上の水路は最近水が流れた痕跡がない。
緑道終点・才戸交差点
前方フェンスのところで緑道が終わり、再び用水が暗渠から顔を出す。
開渠となった用水路(寒川町倉見)
用水路に沿ってしばらくまっすぐ行くと、目久尻川(めくじりがわ)との交差地点にさしかかる。ここでは長い掛樋(水路橋)が設けられ、川と田んぼを横切ってのびる”高架橋”を見ることができる。
掛樋北側のはじめ
目久尻川との交差部分
上部、左岸用水は手前から向こうへ、下の目久尻川は左から右へ流れている。
用水さらに下流側(冬撮影)
左手前が目久尻川との交差地点、その先へ掛樋がさらにのびている。
川が周辺を浅く広く削ったのと、用水の水位を高く維持する必要があったのでこんなに長い掛樋ができたのだろう。
現在見えている掛樋は近年造りなおされたものだが、その途中に初代掛樋の遺構が残されていた。
寒川掛樋と刻まれた柱
掛樋の端に置かれていたという、親柱のようなものが残されて、田んぼの端に置かれていた。右側は「寒川掛樋」左側は「昭和十一年五月竣成」と刻まれている。この右側にももう一組同じようなものが残されていたようだが、草木に覆われてしまって未確認。
小谷小学校校庭脇を流れる用水
このあたりは、相模川左岸用水のほかにも多くの小さな用水路が縦横無尽に走っている。水路同士の立体交差、分岐があちこちで見られる。
そして左岸用水はその先でトンネルに入る
玉川上水などと比較すると、こちらは昭和の用水路なので、長い掛樋やトンネルなどの設備技術も進歩していて、水位維持に積極的に使われている。
それと、ここまで左岸用水から水が分岐していく箇所はたくさんあったが、ここで(きづいたのは)はじめて、合流する水を見た。流れ込んでいる水が何者かは不明。
このトンネルは250mほど先に出口がある。トンネルの上をちょうど中原街道(神奈川県道45号)が横切っていた。
出てきた水はしばらく先で伏越となる。
大蔵(おおぞう)サイフォン呑口付近
手前から流れてきた水は左に曲がり、金網状の除塵装置の先で真下へ落とし込まれて前方へ流れて行く。途中に小出川が横切っているため、用水は地下を通し、その先の出口で噴きあがるようになっている。
すぐ右にも水門があってそちらは排水口。不要分の余水だが、訪れたときはかなりの勢いで流れ出していた。
排水路
前方、白煙が上がっているあたりを小出川が横切っていて、そこへ放流される。
小出川へ放流
用水本流は畑の地下を通り、その上はあぜ道のよう(冬撮影)
左端が大蔵サイフォン呑口の設備。まっすぐ進んで川の下を横断し、向こうの森の手前に出口がある。
サイフォン出口から呑口方向を見る
出口(吐口)は水量がそれほどないからか、いたって静かでただ水が溜まっているようにも見える。
小出川が寒川町と茅ヶ崎市の境界になっていて、茅ヶ崎市に入る。
左岸用水水路はこれまでと同様に流れ、時々トンネルをくぐったりして南の方角へ流れて行く。
茅ヶ崎市下寺尾付近、トンネルから出てきた左岸用水
水路は最近再整備されている。ただし冬には歩けた水路脇も、所々で草丈が大きくなって通過できず、迂回を余儀なくされる。
数百メートル下ると駒寄川を掛樋で横切る。
少々窮屈な場所で良い写真がない。
交差地点の橋の上から
いちばん手前右から左へ左岸用水の流れ。右手前から向こう奥へ駒寄川が流れる(流れは見えていない)。
駒寄川(下)と用水の水路橋
橋のほうは水路の両側に歩道がある。
左岸用水はこの先でゴルフ場へさしかかる。
スリーハンドレッドクラブ内に入っていく用水(冬撮影)
冬に歩いたのはこのあたりまで。この先は春(2018年5月)の記録のみとなる。
一般道を迂回し反対側へまわると、ゴルフコースの端を通って水がこちらへ出てくるのが確認できた。水路はいったん短いトンネルを通り、緑道のはじまりで再び姿を現す。時々ゴルフボールも流れてくるとかこないとか…
水路の暗渠出口の上から
300m程度と長くはないが、最近整備されたと思われる緑道が用水路脇にある。水路反対側は最近の分譲住宅地が続く。
緑道の終端から
ここで用水は再び暗渠となる。その上は正面向こうへ一直線の道路となってのびている。
暗渠上の道路
道路はこの先新湘南バイパスに交差するまでまっすぐ。道路化されたのは最近で、2000年頃の航空写真でも開渠の水路が確認できる。
新湘南バイパスを横切った先は短い区間だが流れが現れる。
茅ヶ崎市高田1丁目付近
流れは手前から向こう次の暗渠の入口へ。2000年頃まではゴルフ場付近からこの場所まで、このような流れがずっと続いていたのだろう。
この先暗渠は会社倉庫下を流れ、再びちょっとの区間だけ開渠となるのだが、一般道をまわり込んで最初に見る風景は、
典型的な暗渠道
左側からコンクリート蓋で覆われた暗渠水路が道路左端を向こうへ通っている。車が駐車している不自然な段差もある。左岸用水の下流側を暗示させていて、うっかりしているとこちらの暗渠を先へ辿ってしまいそうだ。
ところが左側へ細い暗渠蓋上をたどり、土手へ上がって観察してみると
用水本流は正面向こうへ流れ
流れの右側に水門があり、そこで排水された水が、右側へのびる先ほどの暗渠道を流れ下っていることがわかった。最初に見えたのは排水路だったのだ。
そして相模川左岸用水が開渠として確認できるのはここが最下流だった。本流は鉄格子の先で土手下へ落とされて暗渠となり、正面向こうへと流れていく。ここも伏越として数えられているらしく「高田サイフォン」と呼ばれる。高田は付近の地名。
土手下へおりたところで下流側を向いて
空いた空間の下を水路が通っている。
正面奥に建物があるが、そこがどうなっているかというと
このとおり
ちょっと笑えた。水路上とは気づかれずに建物建築許可されてしまったのか、などと勝手に想像。
その後ろ側へ水路を先へ行くと
高田サイフォンの吐口がこの付近らしい。足元枯草の積まれている下を通り、左方向へ蓋暗渠の用水路で、電柱手前に排水用水門、正面向こうには別途水路(青いメッシュシートの部分)がある。ここも左岸用水をたどるのに紛らわしい地点だ。
向こう側の水路に近づいて
足元まで暗渠になっていて顔を出している水路。予備知識がないと、こちらが左岸用水の下流側だと判断してしまうが別物で、暗渠となっている上流側にも左岸用水と別の流れがある。ただし左岸用水の排水(先ほどの水門から)も落とされているので、完全に異なる水路とも言い切れないのだが。
左岸用水本流は暗渠のままこの足元付近で前方の水路をまたぎ、東側で蓋暗渠として姿を現す。
左岸用水蓋暗渠道
1つ前の水路より東側を西から東方向へ流れている。地形的にはこの右側(南側)が低く、台地の際を用水路が流れている。右側は1970年代まで一面に広大な水田地帯で、先ほどの水路や南側を流れる千ノ川を含めて大量に水を供給していたようだ。左岸用水もこのあたりが最後の用水供給地帯だった。
左岸用水の蓋暗渠はこの先で一般道の下へ埋め込まれてしまうが、ところどころグレーチング蓋があり、のぞき込むと音をたてて水が流れている。
永昌寺手前で
道路にグレーチング蓋がいくつかあるが、車道部分にあるのは下を左岸用水が流れる。
さらに道なりにすすむと千ノ川合流点へ(茅ヶ崎市室田)
千ノ川もこの地点まで暗渠で、正面の白いガードレールの向こうから開渠となる。左岸用水は千ノ川暗渠部分に放流口があるらしく、合流点の確認はできない。
ただ、左岸用水の全量が千ノ川へ落とされているのではなく、一部は地下の水路橋で川を越えて対岸へと延びている。それが交差点左前方に見えるフェンスとガードレールのある囲い部分である。
近づいてみるとわずかに水が流れている
交差点南側にある、千ノ川を渡った左岸用水の流れである。この右側と手前側に水を分けることができ、このときは右側の排水口へ全量が導かれていたが、手前は千ノ川よりも南側への用水路として存在している(いた)とのこと。
地図をみるとかつての広大な水田地帯を取り囲むように左岸用水の水路(現在は上部が一部道路)が通っており、千ノ川の南側にも痕跡がたしかに残っていることがわかる。
このあたりの詳細な情報は以下より得ることができた。
http://doushigawa.blog.fc2.com/blog-entry-41.html
http://doushigawa.blog.fc2.com/blog-entry-110.html
用水下流部で流路を勘違いせずに歩けたのもこちらの情報のおかげである。
最後に千ノ川の開渠はじまり付近から、下流側を向いて
歩道の脇には「室田橋」の親柱が残されていた。千ノ川の上流側もかつては暗渠ではなかった証拠だ。
また、何十年か前まで、ここからは見渡す限りの水田が広がっていたはずだ。
相模川左岸用水・完