今回は古い時代の相模川が運んだ土砂などが積もってできたといわれる相模原台地(相模野台地とも)へ上って行く散歩の記録です。〈いつもと同じように目的なしの散歩だったのに「台地へ上がる」なんてテーマをむりやり被せたらへんに凝ったものができあがってしまいました。〉
スタートはその相模川が流れている低地(平野)にある海老名。相模川左岸の低地にある海老名駅から北に向かって
駅からのびるデッキを下りる途中
左の壁はららぽーと海老名、右はJR相模線線路など
駅を中心に最近発展目覚ましい海老名、商業施設やマンションなど大きな建物が次々にできてます。
この先段丘を上がっていくので時々その位置の標高〈多少の誤差はあり〉も書いてみます。
《こちら海老名駅周辺は22m、相模湾へ続く(相模)平野の低地に位置します》
1㎞ほど北へ歩き国道246号が横切るあたりからは田畑の広がるのどかな風景
海老名市下今泉5丁目付近から北東方向
この背後には泉橋酒造という1857(安政4)年創業の日本酒酒蔵があります。そちらの酒米を栽培しているのが目の前の水田だそうです。遠方に見える段丘が相模原台地の一部です。
「相模原台地」は詳しくみると階段状になっていて、上から「相模原面」「田名原面」「陽原(みなばら)面」と呼ばれる3段の河岸段丘に分かれています。それぞれ「上段」「中段」「下段」とも呼ばれます。
上段⇔中段⇔下段⇔低地、それぞれの境界には「ハケ」と呼ばれる段丘崖があります。
ただちょっとややこしいのは相模原台地のどの部分も3段に分かれているわけではなく、下段面や中段面のない場所もあります。
段丘に沿ってしばらく低地側を歩いてから台地へ上がって行くことにしたので当分風景は田んぼの中ばかり
鳩川を渡ると座間市に入ります。
座間市四ッ谷付近から西方向
その前と基本的に風景は変わりませんが、目の前は畑でしょうか
奥は大山と丹沢など。この日、山のほうは雪が舞っていたのか山の姿がときどき白く霞んでいました。
その畑の先へ進むと長い畝
畝(うね)というより堤防、左からそこを越えてきました。
右側は少し先が相模川(そちらにも別途堤防築かれてますが)、ここにはその古い堤防が残っているのかもしれません。
ここはまた田んぼですね。
相模川の川表まで出てみました(座間市新田宿)
《相模川左岸この付近の標高28m》
また広い農地の中、奥に相模原台地と座間丘陵
成り立ちが異なる2つの台地、丘陵ですが、遠くから見ている分には一体化して区別つきません。
これは「ねこの木」の愛称をもつ3本の木
葉が繁るともっと「ねこ」になります。
広い田んぼをさらに渡り歩きます。
相模原市南区新戸あたりから北の方角をみて
〈晴れと曇りの境目にいます〉
前方、相模川と段丘崖間の幅がしだいに狭くなってゆきその間に古くからの集落があります。
磯部の集落、たぶん古くからある道沿いにて
こちらは(水の流れは見えませんが)農業用水路が道のまん中を通っているのでしょう
その部分歩道のような扱いになってますが左右も交通量少ないので歩行者は勝手に好きなところを歩いてました。
そのすぐ先は相模川の流れが段丘崖にぶつかって大きく方向を変えるところです。(相模原市南区磯部)
相模川沿いに出てみます
下は相模川河川敷、流れは左奥から来てここで「く」の字をひっくり返した形にカーブ、左手前へ流れ下っていきます。
右のほうには2つの橋がみえます。右側の道路橋はより高くなる段丘へ上がるので勾配がついてます。左は歩道橋で相模川上流側の河川敷と堤防に沿う歩道につながって勾配はありません。
《標高、下の河川敷で38m、足元で42mほど》
2つの橋の下は段丘上を流れてくる河川の水を相模川に落とすための放水路などが設けられてます。
歩道橋(新三段の滝橋)の上から鳩川放水路・(新)三段の滝
台地上を流れる鳩川などの水は多くがここで放水路から相模川へ放流されています。
この右側には現在の放水路より前に造られた放水路があってそちらにも(旧)三段の滝があります。
〈ちなみに「三段の滝」の名称は相模原台地の段丘が3段あることとは関係ありません念のため〉
同じ位置から反対側
手前は滝を落ちた鳩川放水路の水、先の方わかりにくいのですが右から流れる相模川と合流しています。
こちらは新三段の滝橋を渡ってすぐのところ、段丘の上を見て
右のフェンス先は三段の滝で隣りを通っていた道路、左はコンクリで固められた段丘崖。
ここの段丘、下は相模川の低地ですが上は中段(田名原面)です。下段(陽原面)はもう少し相模川上流方向へ行かないと存在しません。
段丘崖(ハケ)の下を伝って八瀬川(やせがわ)が流れています
川はこのすぐ下流、鳩川放水路のごく近くで相模川に合流しています。
この付近ではまだ段丘を上がらず
さらに相模川上流方向、相変わらず田んぼのなか、低地と中段間の段丘崖(相模原市南区当麻)
新三段の滝橋から2㎞ほど相模川沿いにさかのぼり
ようやく段丘崖を上がることにしました
右へトラックが上がっていくのが県道(52号相模原町田線)の当麻坂。
その後ろ段丘上に建物と鉄塔が見えてますが、そちらへ林の中を奥へ低地から一気に田名原面へ登ります。
ちなみに👆で左のほうへ坂を上がると下段(陽原面)にのぼることになります。陽原面の末端部分がちょうどこのあたりなので奥へ進む場合、台地下段面(陽原面)が存在しません。
県道を渡って坂の下には當麻山無量光寺外門(相模原市南区当麻)
時宗の旧大本山、ということで坂をあがる前に門脇の〈古い〉解説文を読んでみます。
無量光寺
この寺は山号を「当麻山(たいまさん)」といいます。鎌倉時代、時宗の開祖である一遍(いっぺん)上人は、「亀形峰(きぎょうほう)」と呼ばれるこの丘の上に「金光院(こんこういん)」という庵を結び、修行に励んだといわれています。
その後、嘉元元年(1303年)に弟子の真教(しんきょう)により「無量光寺」が開かれました。
しかし、明治26年(1893年)の大火により、二脚門を除く大半の建物は焼失してしまい、現在は仮本堂となっています。なお、当寺にある木造の一遍上人立像と古文書は市の重要文化財に、さらに寺の境内は市の史跡に指定されています。
相模原市 相模原市観光協会
以前訪れたので境内には入らず
寺院の駐車場から当麻山公園へ
相模川の低地から台地中段(田名原面)へ上がります。
公園内をぬけて細い坂道をあがります。
さらに

上に建つ建物のあたりまで上り、ふり返って丹沢方面
左の鬱蒼とした林の中に無量光寺本堂などがあります。
正面を上がってくる道は「無量坂」
《標高は坂下無量光寺外門付近が41m、上がったこちらが76mです》(陽原面末端付近の標高は60m程度です。こちらのルートでは陽原面がなくなり田名原面まで一気に35mほど上がりました。)
中段面を少し進み、こちらへ上がってくる道路の橋上から
深い切通しになっての坂道です。切通し上の面が中段(田名原面)、切通し下の交差点から先に住宅の見えるところは下段(陽原面)です。交差点手前切通しがはじまるあたりが中段⇔下段間の段丘崖になります。
〈相模原台地の段丘崖って特に名前ないみたいですね。武蔵野台地だと国分寺崖線や立川崖線なんて名称ありますが〉
中段(田名原面)も全般的に平坦で低地とあまり変化はありません。
眺めがきく場所が少なくて家庭菜園的な畑の端から『平ら』をうかがう
低地と異なるのは田んぼがなくて畑地が多いこと。その畑も最近は宅地化されて住宅密度が比較的高い中段面です。
また田名原面の比較的狭い平地には(どれも小さいですが)川が3つも流れています。
古くからの集落もいくつかあったようで通りかかった道からこちら
長屋門と奥には主屋もみえます(相模原市中央区上溝)
相模原市登録有形文化財に指定されている「清水家旧主屋と長屋門」、19世紀半ばの建築とのこと。
農家の建物です。一般に台地上では水が得られにくいので農業は難しいのですが、こちらは近くを川が流れているのであまり不自由はなかったのかと思われます。ただし水田にするほどには、というところでしょうか。
3つある川のひとつ
鳩川・番田橋近くから
2つめ姥川(うばがわ)・かじこ橋
この2つの川の間は150mほどしか離れていません。
さらに3つめ道保川は次の段丘崖のすぐ下を流れています。
その段丘崖が見えるところまで来て
向こうの森になっている段丘崖、下が中段(田名原面)、上が上段(相模原面)です。
こちらの崖(線)は「(相模)横山」という名称もあるようです。
正面の道を崖下まで行くと道保川公園があります。
公園内には何カ所か自然の湧水があって道保川(どうほがわ)の源流になっています。
公園内の湧水を集めた池
これより道保川となって流れ下り、三段の滝付近で鳩川に合流します。
崖下からの湧水の流れ

公園の中から段丘崖を上段へあがれる道があります
段丘崖途中からふり返って
上段にあがってすぐのところも道保川公園内
右側で崖が落ち込んでいます。
《上段、崖のすぐそばは標高115m》崖下の中段、道保川公園内は84m程度でこちら上段⇔中段間段差も30mくらいということになります。
上段(相模原面)は相模原台地のなかでいちばん広い面積を占めています。ほぼ平坦な面になっていますが傾斜があって北西側が高く(最高標高170m程)、南東に向かって徐々に高度を下げていきます。(台地末端標高50m程度)
その一方で東西方向はほぼ一定の高度(標高)となっています。
最初にもちょっと書きましたが、相模原台地は古い時代の相模川によって山地から運ばれた土砂が堆積した扇状地性の台地で、堆積物のうえにはさらに火山からの降下物などが積もって隆起しています。
上段の相模原面は特に目立った河川などもなく平坦、地下水位も低いことから水利が良くなく、長い間何にも利用されない原野となっていました。現在は東京、横浜などへの通勤圏商業圏内であることから台地上多くの地域が住宅地、工業地などとして利用されています。元々何もなかったところでもあり大規模開発もしやすかったのでしょう。
道保川公園上段側の境界
右は公園、道路をはさんで左側は〈永遠に〉住宅が続いています。
こちらは建て替え途中の県営上溝団地(相模原市中央区光が丘)
左の空き家となっている建物は1960年代後半に建てられたそうで周囲にまだたくさん残っていますが、団地は現在リニューアル中、新しい建物(右側)が建設中です。
そのほかの場所も住宅が密集、周囲を俯瞰できるようなところがありません
途中淵野辺公園を通過
園内の広場付近
《淵野辺公園一帯の標高112mほど》
この公園一帯は戦時中陸軍機甲整備学校のあったところ。戦後米軍が接収しキャンプ淵野辺として軍人、軍属の住宅、レクリエーション施設などとなり、1974年日本に返還されてます。
台地上を貫く大動脈の国道16号を渡り、JR横浜線古淵駅まで歩いてこの日は終わりにしました。
《古淵駅の標高は107m》
東西に歩いた台地上段(相模原面)はほぼ平坦、標高差はあまりありません。
駅より先は境川を経て多摩丘陵へとつながりますがそちらのほうはまたそのうち