散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

坂道探訪 白山台地の坂道(3) 蓮華寺坂・逸見坂・伊賀坂

ここ2回は白山台地南西側斜面にある坂道を巡ってきました。今回は反対側(北東から東方向)にある坂道です。坂道を下った谷間は現在白山通りが通っています。

 

蓮華寺坂〈れんげじざか〉

最初に解説から。坂下、白山通りとの白山下交差点近くに立ってます。

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蓮華寺坂(れんげじざか)  文京区白山二丁目と四丁目の間
蓮華寺即ち蓮花寺といへる法華宗の傍(かたわら)なる坂なればかくいへり。白山御殿跡より指ヶ谷町の方へ出る坂なり」と改撰江戸志にある。
蓮華寺は、天正15年(1587)高橋図書を開基、安立院日雄を開山として創開した寺院で明治維新までは、塔頭が六院あったという。
なお、この坂道は小石川植物園脇の御殿坂に通じ、昭和58年(1983)にハナミズキツツジが植栽され、春の開花、秋の紅葉が美しい並木道である。
文京区教育委員会   平成12年3月

前回(2)で最後に辿った『御殿坂』の坂上から200mほど先が蓮華寺坂の坂上で、道なりに下ると白山下交差点で坂下です。坂長は約120m、傾斜はほどほどといったところでしょうか。道幅があるためか見た目は緩やかです。道は坂の下へ向かってゆるく左にカーブしています。

 

坂上、傾斜が大きくなる手前から

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下りはじめて坂下を望み

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下に見えるのが白山下交差点です。坂はそれほどに長くはありません。

ちなみに下で交差している白山通りは1970年代に入って経路変更されたいわゆる新道部分になります。近くには旧道も現役で残っていて、蓮華寺坂を通る道との交差部はやはり『白山下』交差点です。

 

同じ位置から上

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中間付近から

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上に見えるのは小石川白山教会。

 

坂下付近から

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坂名の由来となった蓮華寺はカーブミラーの先を左に入って行く道の少し先にあります。

坂上に向かって太陽が入ってしまい、何枚か見にくい絵になってしまいました。〉

 

 

◆逸見坂〈へんみざか〉

白山下交差点から白山通りを北西に150mほど行き、左(南西)に入る細い道が逸見坂です。

白山通りの歩道から見た逸見坂

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歩道の端からすぐに上がってます。ただ、傾斜は坂下の一瞬を除いてさほどなく、坂の長さも100m程度、見てのとおり直線の道でどこにでもある平凡な坂道に見えます。

 

平凡に見える坂道に名称がつく何かいわれがあるのでしょうか。坂下近くに解説標識があります。

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逸見坂(へんみざか)  白山4-32と34の間
白山神社裏門の南、小石川御殿町と指ヶ谷の間より南へ御殿町へ上る坂あり、逸見坂といふ、旧幕士逸見某の邸(やしき)、坂際にありしより此名に呼ぶなり」(『東京名所図会』)
武家屋敷にちなむ坂名である。このあたり「旧白山御殿町」で、逸見坂はその北のはずれにあたる。
町名の由来は、白山御殿(後に五代将軍になった館林候綱吉の屋敷)からきている。
御殿廃止後、幕府の薬園(現在の小石川植物園)となる。
坂の西側の「本念寺」には蜀山人(太田南畝)の墓がある。
東京都文京区教育委員会   平成元年11月

戸切絵図を見ると周囲は武家屋敷と寺院、神社。すでに武家屋敷のなかに『逸見』の文字は見当たりませんが通りには『ヘンミサカ』の記載があります。白山通り付近まで当時は白山神社社領が広がっていたようで、解説中にある「白山神社裏門」とヘンミサカの通りが接しています。
坂名の由来は詳しくわかりませんが、古く白山御殿から白山神社を結ぶ道にあったのが逸見坂ということです。

 

坂名標識の少し上から坂下方向

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下は白山通り、信号機のある交差点になっています。その向こうの木立ちは龍雲院、その奥に白山神社があります。

 

坂半ばから上方向

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上の方は傾斜もゆるくなります。

 

坂上近く、傾斜がさらにゆるくなるあたりから

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道はこの背後で平坦となり、現在は小石川植物園の塀に突き当たって終わります。

 

おまけですが、解説板に書かれていた蜀山人(太田南畝)の墓がある本念寺が逸見坂のひとつ隣りの通り沿いにありました。

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〈間違ってそちらの通りへ入り込み、坂道標識かと思ったら、というわけでの1枚💦〉

 

 

◆伊賀坂〈いがさか〉

白山下交差点から次は白山通りを南へ進みます。250mくらい行くと右(西)側へ入る細い道がありそこが伊賀坂です。

白山通りから折れて伊賀坂の入口

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入ってすぐですが、足元すでに緩く上がってます。
奥に見える建物は区立指ヶ谷(さすがや)小学校。指ヶ谷はこの周辺の古い地名です。

 

小学校手前から

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道は狭く、左右に蛇行しながら上がって行きます。

正面奥、道路左側フェンスの前に坂名標識があります。

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伊賀(いが)坂    白山2丁目28ー29
白山台地から白山通りに下る坂で、道幅は狭く、昔のままの姿を思わせる。この坂は武家屋敷にちなむ坂名の一つである。
伊賀者の同心衆の組屋敷があった(『御府内備考』)とか、真田伊賀守屋敷があった(『改撰江戸志』)という二つの説がある。
『東京名所図会』では真田伊賀守説をとっている。伊賀者は甲賀者と共に、大名統制のための忍者としてよく知られている。
文京区教育委員会   平成9年3月

 

坂標識の先、左カーブのその上から下方向

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同じく上方向

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少し上がってまた右に曲がり、そこが十字路になってます。

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ここがちょっとくせ者でして、左も中央もまだ上りが続きます。もっと言えば来た道以外どこも上りなんです。
事前調査があまくてここで迷いました。

訪問後わかった正解は中央、下りてくる人がいる道ですが、リュックの人について左へ上がる方へ入ってしまいました。

 

左の先はこんなかんじ

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駐車中の車の手前で道は右に折れてます。そのあたりが坂上

ということで伊賀坂、ここで詰んでしまいました。いちおうストリートビューで正しい伊賀坂の先を確認してみると、右にカーブしつつ緩い傾斜があと50mほど続いてほぼ平坦となるようです。さらに先へ行くと蓮華寺坂の道路にぶつかってました。

 

白山台地の坂道は以上になります。わりと小規模で地味な道が多かった印象です。

 

坂道位置地図・白山台地
今回分 7.蓮華寺坂、8.逸見坂、9.伊賀坂

 

前回分

miwa3k.hatenablog.jp

次は本郷の坂道を歩きます。

miwa3k.hatenablog.jp