散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

東京・本郷の坂道(4) 東富坂・旧東富坂

南北に走る白山通りと東西に走る春日通りが交わる春日町交差点を谷底として、西の小石川台に上がるのが富坂(西富坂とも)、東の本郷台に上がるのが東富坂です。今回は未訪の東富坂(真砂坂)とこの坂の旧道になる道にある旧東富坂をたどります。

 

東富坂〈ひがしとみさか〉

別名:真砂坂〈まさござか〉

春日町交差点から春日通りを東の本郷台地に上がる東富坂、かつては坂の北側一帯を真砂町と呼んでいたことから真砂坂の名前が一般的だったようです。

坂下から春日通りを上がっていきます。

春日町交差点から東富坂方向

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(これは西富坂を訪れた日のショット)

昔から存在したのは旧東富坂の道だけでしたが、明治の頃、市電を通すための道路を旧道(旧坂)に対して北側へずらす形で開きました。なので坂上と坂下で道がカーブしています。

 

坂下、春日町交差点付近のカーブ

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坂の傾斜は見てのとおり緩く、途中勾配の変化もありません。明治時代の路面電車が上れる程度の傾斜である必要がありますからね。坂の長さは320mほどです。

 

上がりはじめてから春日町交差点方面をふり返って

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坂下付近歩道の奥に坂道標識が立ちます

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東富坂(ひがしとみさか) (真砂坂(まさござか))
本来の「東富坂」は、この坂の南を通る地下鉄丸ノ内線に沿った狭い急坂である。現在は、「旧東富坂」と呼んでいる。もともとの坂は江戸の頃、木が生い繁り、鳶がたくさん集ってくることから「鳶坂」といい、いつの頃からか「富坂」と呼ぶようになったという。
現在の東富坂は、本郷3丁目から伝通院まで、路面電車(市電)を通すにあたり、旧東富坂上から春日町交差点まで新しく開いたゆるやかな坂道である。この市電は、1908年(明治41)4月11日に開通した。現在、文京区役所をはさんで反対側にある坂を、「富坂(西富坂)」と呼び区別している。
文京区教育委員会  平成8年3月

坂道周辺の建物、店舗などいまも『真砂坂』を冠しているものが多いです。坂名も『東富坂』を正式名にしたのは最近なのかと推測。

 

坂の半ばから。

下方向

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反対側歩道から上方向

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少し先で左にカーブして坂上になります。

 

また反対側から坂上近くの交差点

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旧東富坂の道路との合流点付近になります。

 

坂上から春日通りの先

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前方にはスカイツリーも見えてますね。

 

こちらはその次の交差点
真砂坂上交差点

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道が平坦になった先にあります。

その次の交差点は中山道国道17号)との本郷3丁目交差点です。

 

 

旧東富坂〈きゅうひがしとみさか〉

春日通りを本郷3丁目交差点方向から西進し、道なりに右カーブすれば東富坂ですが、直進すると旧道である旧東富坂の坂上へ出ます。

坂下は白山通りに突き当たり、正面は東京ドームシティ・ラクーア建物です。

白山通りへの出口から

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高架は東京メトロ丸ノ内線

 

坂下から上方向

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半ばから丸ノ内線車両と

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この背後、狭い歩道上に坂名標識があります。

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旧東富坂(きゅうひがしとみさか)
むかし、文京区役所があるあたりの低地を二ヶ谷(にがや)といい、この谷をはさんで、東西に二つの急な坂道があった。
東の坂は、木が生い繁り、鳶がたくさん集ってくるので「鳶坂」といい、いつの頃からか、「富坂」と呼ぶようになった。(『御府内備考』による)富む坂、庶民の願いがうかがえる呼び名である。
また、二ヶ谷を飛び越えて向き合っている坂ということから「飛び坂」ともいわれた。
明治41年、本郷3丁目から伝通院まで開通した路面電車の通り道として、現在の東富坂(真砂坂)が開かれた。それまでは、区内通行の大切な道路の一つであった。
東京都文京区教育委員会 昭和63年3月

現東富坂の道が開かれる以前の古い通りということが記されています。

道は坂下から真っ直ぐ上がり、春日通りに出る直前で左右にカーブします。坂長は140m程度、坂上付近の一部を除いて傾斜はそこそこあります。

 

坂半ばから上方向

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フェンス向こうの丸ノ内線は中央電柱とカーブミラーの奥がトンネルの出入口になっています。

 

丸ノ内線軌道の支障がなくなるところで道がスライドします。

坂上近くから下方向

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右側駐車場部分がトンネル出入口の上、そこを避けるように道路が左スライド。

 

これは少し下側から春日通り合流点方向を見たもの

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春日通り側も東富坂のほぼ坂上付近で合流しています。

〈同じ白い車が駐車位置まで変わって何回も写ってますが私のではありません。念のため〉

 

本郷坂道地図
今回分 11.東富坂、12.旧東富坂

 

前回分 本郷(3)

miwa3k.hatenablog.jp

続き 本郷(5)

miwa3k.hatenablog.jp