東京・本郷の坂道(6) 見送り坂・見返り坂・金魚坂・本妙寺坂

今回本郷の坂道は菊坂に接続する坂道です。
長い谷筋に沿ってのびている菊坂には周辺の本郷台地上から下りてくる何本もの坂道が繋がっています。その中で名前のついた坂道を順に巡っていきます。

 

見送り坂・見返り坂〈みおくりざか・みかえりざか〉

本郷通り国道17号中山道)にありワンペアの坂道、坂標識でも2坂いっしょに解説されてます。本郷3丁目交差点から北へまず下って『見送り坂』、菊坂通りに折れる道が交差するあたりが底、そこから上がって『見返り坂』となっています。かつては2つの坂の間に『別れの橋』があったと言われています。

どちらの坂も傾斜が感じられないほど緩く、かつ短いので分かりにくいです。現在は国道として拡幅されているためより分かりにくくなっているのでしょう。

本郷3丁目交差点から本郷通り南側を見て

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向こうは一応平坦な部分です。
右向こうに『かねやす』の店舗看板があり〈閉店したとか〉、今も店の前に「本郷もかねやすまでは江戸の内」の川柳が掲げられています。

 

逆の北側方向

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手前が見送り坂、向こうに見返り坂、全貌が写っていますと言われてもほとんどわかりません。道路反対側黄色い看板のある付近が底で、左へ菊坂通りが折れ、別れの橋があったあたりです。

 

そのあたりから見返り坂

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次は見返り坂側から見返す形で

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道路反対側から望遠気味に

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なんとなく道が窪んでいるように見えます。しかし、単に本郷3丁目交差点からこちらに向かってが上り坂というようにも見えます。そのへんは細かく問わないことにしましょう。

 

坂名標識が窪んだ底、菊坂通りへ入るところに立ってます。
2つの坂と橋でひとつの解説になってます。

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別れの橋跡・見送り坂と見返り坂 本郷4-37先本郷通り
「むかし太田道灌の領地の境目なりしといひ伝ふ。その頃追放の者など此処より放せしと………いずれのころにかありし、此辺にて大きなる石を掘出せり、是なんかの別れの橋なりしといひ伝へり………太田道灌(1432~86)の頃罪人など此所よりおひはなせしかば、ここよりおのがままに別るるの橋といへる儀なりや」と『改撰江戸志』にある。
この前方の本郷通りはややへこんでいる。むかし、加賀屋敷(現東大構内)から小川が流れ、菊坂の谷にそそいでいた。『新撰東京名所図会』(明治40年刊)には、「勧業場本郷館(注・現文京センター)」の辺は、地層やや低く、弓型にへこみを印す、其くぼめる所、一条の小渠、上に橋を架し、別れの橋といひきとぞ」とある。
江戸を追放された者が、この別れの橋で放たれ、南側の坂(本郷3丁目寄)で、親類縁者が涙で見送ったから見送り坂。追放された人がふりかえりながら去ったから見返り坂といわれた。
今雑踏の本郷通りに立って500年の歴史の重みを感じる。
  文京区教育委員会  昭和59年3月

『かねやす』の川柳が言うように、この付近が江戸の町の境界。江戸を追放された人を別れの橋まで見送ったということですね。どちらかといえば坂よりも橋がメインです。

また、加賀屋敷(東大構内)に湧いていた水がここを少しだけ窪ませ、さらに下って菊坂の谷を形成していったのです。こちらはもちろん長い年月がかかっていますが。

 

 

金魚坂〈きんぎょざか〉

本郷通りから菊坂通りに入ってゆるい坂を下ること120m、北側へ入るとてもせまい路地を金魚坂と呼んでいます。坂の長さは50m弱、傾斜は…下の写真を見てください。

金魚坂坂下、菊坂通りから

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路地に入っていくと『金魚坂』の看板

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こちらは350年以上の歴史があるという金魚の卸問屋「吉田晴亮(せいすけ)商店」、現在は喫茶店金魚坂を併設してここから名前が知られるようになったとのことです。

 

坂上からふり返り

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水槽や木箱などが坂道を占拠しております。〈私道?〉

 

坂上側の通りにある珈琲金魚坂建物

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塀の内側

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左側塀のほうは大きな生け簀、細かく区切られて金魚がたくさんいるのが見えました。金魚すくいや錦鯉釣りもできるとか。
お店の宣伝と化してしまいました。

坂、というよりこの路地に標識などは存在しません。

 

 

本妙寺坂〈ほんみょうじざか〉

菊坂通り坂上本郷通りから入って250mほど行ったところに十字路があり、南側に折れる道が本妙寺坂です。
坂の長さは80mほど、短いです。坂上に向かってやや左に曲がっています。

菊坂通りから本妙寺坂下

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傾斜はそこそこ、写真で判断してください。

 

道を入ってすぐ右に入る道がありますが、菊坂通りに並行する菊坂下道がここにつながっています。
こちらが菊坂下道

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本妙寺坂、半ばから坂下方向ふり返り

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この右側に坂名標識が立ってます。(左側にも『真砂遺跡』『菊坂界隈文人マップ』の解説がありますが省きます。)

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本妙寺
この坂は、本郷の台地から菊坂へ下っている坂である。菊坂をはさんで真向かいの台地には(現在の本郷5-16あたり)かつて本妙寺という法華宗の寺があった。境内が広い大きな寺で、この寺に向かって下る坂であったところから「本妙寺坂」と呼ばれた。
本妙寺は明暦の大火(振袖火事・明暦3年=1657)の火元として有名である。明治43年豊島区巣鴨5丁目に移転した。
文京区教育委員会  平成6年3月

上の写真前方に見える北側の道のほうに本妙寺があったうえそちらも坂道なのですが、なぜか対面側の道に本妙寺坂の名前がつけられています。
ちなみに振袖火事の時は江戸城天守も焼けてしまい、以後建て直されることはありませんでしたという事でも有名ですね。

 

左にカーブしつつ少し上がるとすぐに坂上に達します。
坂上付近

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坂上の先

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左は区立本郷小学校、道は少し先で春日通りにぶつかります。

今回はここまでです。

 

本郷坂道地図
今回分は 14.見送り坂 15.見返り坂 16.金魚坂 17.本妙寺

地図だいぶ見にくくなりました。🙇

 

前回菊坂

miwa3k.hatenablog.jp