東京・本郷の坂道(8) 新坂 + 西片の石坂・新坂(福山坂)

昨秋巡った坂道のうち、結果的にはみ出してしまった本郷で1坂、西片で2坂をまとめます。
本郷界隈を巡った後すぐに湯島から白山、東大周辺を巡る予定で、その後地域ごとに振り分けてまとめるつもりでしたが色々うまくいかず、というところです。

 

新坂〈しんざか〉

文京区には『新坂』が6つあります。こちらは本郷5,6丁目境界の新坂です。
あと5つのうち2つは別名として新坂以外の呼び方をする坂、本郷1丁目『外記坂』の別名を持つ新坂、この後『福山坂』として取り上げている西片1,2丁目境界の新坂。
そして残る3つは別名として新坂と呼ばれる、春日2丁目の『今井坂』、根津1丁目の『S坂』、関口2丁目の『目白新坂』です。

菊坂と言問通りがぶつかる菊坂下交差点から言問通りを北東に70mほど、東へ上がる細い急な坂道です。
言問通り歩道から新坂入口

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坂下から全景

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長さは約70m、道はほぼ直線、上で左に折れて坂上です。

 

坂道中央付近に解説標識があります。

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新坂
区内にある新坂と呼ばれる六つの坂の一つ。『御府内備考』に、「映世神社々領を南西に通ずる一路あり、其窮(そのきわま)る所、坂あり、谷に下る、新坂といふ」とある。名前は新坂だが、江戸時代にひらかれた古い坂である。
このあたりは、もと森川町と呼ばれ、金田一京助の世話で、石川啄木が、一時移り住んだ蓋平館(がいへいかん)別荘(現太栄館)をはじめ、高等下宿が多く、二葉亭四迷尾崎紅葉徳田秋声など、文人が多く住んだ。この坂は、文人の逍遥の道でもあったと思われる。
東京都文京区教育委員会  昭和63年3月

解説にも文京区内に6つの新坂があることが書かれていますが、唯一ここの『新坂』にはこの名称以外の坂名はなく、正真正銘?の新坂ですね。

 

坂上近くから下方向

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坂上で道がカーブします〈手前すぎて却ってわかりにくい〉

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この後ろは平坦な直線の道となり、本郷通り東大正門前交差点につながります。

 

 

石坂〈いしざか〉

菊坂下交差点から言問通りを西に100m、そこを北へ入る道の先を途中左右にカーブしながら上がっていきます。
地名では本郷でなく西片(にしかた)1丁目になります。

坂下の入口から

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最初は右カーブです。

 

ふり返って言問通り方向

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最初のカーブ付近

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坂を上がりつつ右へ、次に左へ曲がります。坂上までの距離は全長160mほどです。
途中、一段高くなったところで右に分かれる道(手前のT字路サイン)があり、そちらの先は平坦な直線道でした。

また道路右上側にスペースがあり、坂道標識があります。

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石坂(いしざか)
「町内より南の方、本郷田町に下る坂あり、石坂とよぶ……」『新撰東京名所図会』この坂の台地一帯は、備後福山藩(11万石)の中屋敷を幕府の御徒組、御先手組の屋敷であった。
明治以降、東京大学が近い関係で多くの学者、文人が居住した。田口卯吉(経済学者・史論家)、坪井正五郎(考古学・人類学者)、木下杢太郎(詩人・評論家・医者)、上田敏(翻訳者・詩人)、夏目漱石(小説家)、佐佐木信綱歌人国学者)、和辻哲郎倫理学者)など有名人が多い。そのため西片町は学者町といわれた。
――― 西片町の景 ―――
交番の上にさしおほう桜さきけり
  子供らは遊ぶ おまわりさんと (佐佐木信綱
文京区教育委員会 昭和60年3月

 

左カーブ途中

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Rのきついカーブです。

 

左カーブの先

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いったん直線になり、先で再度右へ曲がります。その先は平坦になります。カーブは急ですが傾斜はそんなにきつくありません。
右側階段は上にある保育園への連絡用ですね。

 

最後の右カーブとその先

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台地へ上がりきると先は直線道路、こちらの台地も本郷台地の一部です。
下向き方向の景があまりありませんでしたが『石坂』でした。

 

 

新坂(福山坂)〈しんざか(ふくやまざか)〉

石坂を上がった先の直線を200mほど進み、左(西)に折れると西片の新坂上に出ます。こちらは西片1,2丁目境界の坂道です。

坂道は最初右、続いて左、逆S字にカーブします。〈上がるのも下るのも同じ〉
坂上から下方向

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上の写真で人がいるあたりから坂上をふり返り

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坂を上がると平坦、50mくらい先で石坂からの道と交差しています。

 

逆S字にカーブ

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傾斜はそこそこあります。坂の延長は約120mほど。

 

中程の壁際に坂道標識があります。

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新坂(福山坂)
『新撰東京名所図会』に、「町内(旧駒込西片町)より西の方、小石川掃除町に下る坂あり、新坂といふ」とある。この坂上の台地にあった旧福山藩主の阿部屋敷へ通じる、新しく開かれた坂ということで、この名がつけられた。また、福山藩にちなんで、福山坂ともいわれた。新坂と呼ばれる坂は、区内に六つある。
坂の上、一帯は、学者町といわれ、夏目漱石はじめ多くの文人が住んだ。西側の崖下一帯が、旧丸山福山町で、樋口一葉の終焉の地でもある。
東京都文京区教育委員会 昭和63年3月

 

坂下で交差する道が前方に

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交差点の先は平坦になり、その50mほど先で白山通りに交差します。

 

坂下近くから上

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今回は以上3坂となります。

 

坂道位置地図 今回分は 22.新坂 23.石坂 24.福山坂

 

前回その7

miwa3k.hatenablog.jp