多摩川と武蔵野台地の間にできた崖、国分寺崖線の坂道を訪ね歩いて記録しています。
世田谷区2回目は岡本、大蔵周辺の八幡女坂、堂ヶ谷戸坂、岡本三丁目の坂、新坂です。
◆八幡女坂〈はちまんおんなざか〉
世田谷区岡本2丁目、岡本静嘉堂緑地と岡本民家園(岡本公園)の間を入り、岡本八幡宮へ至る階段坂です。
坂の手前を丸子川(六郷用水)が流れ、八幡橋を渡ります。
八幡橋手前から
奥へ続く道がアプローチ。右側は岡本静嘉堂緑地、奥の建物は世田谷おとぎの森保育園。
入ると徐々に崖の傾斜がきつくなり、道は階段になります。
保育園園庭付近
左にカーブした先
同位置から下を振り返って
もう少し上がって
坂の途中で横に折れる道(前方右へ)があり、そちらへ行けば岡本八幡宮の境内へと入ります。
坂道の名称が「八幡女坂」、本来は神社境内に入って女坂の終端です。
今回は直進して崖線の上へ出ます。
坂上近く
上に見えている門は静嘉堂文庫の裏門です。
開いていたので中へ入りました。
静嘉堂文庫、建物正面から
建物前の解説を黙読しました。
東京都選定歴史的建造物
静嘉堂文庫
所在地 世田谷区岡本2-23-1
設計者 桜井小太郎
建築年 大正13年(1924)4月
武蔵野の面影をよく留める丘陵の一隅にこの建物は建っている。鉄筋コンクリート造2階建スクラッチ・タイル貼りの瀟洒な建物で、イギリスの郊外住宅のスタイルを濃厚に表現している。
静嘉堂文庫は、三菱合資会社の第四代社長であった岩崎小彌太が、その父彌之助の収集した日本や中国の貴重な古典籍を永久に保存し、更に研究者に公開することを目的に建設したものである。
設計者の桜井小太郎(1870~1953)は、イギリスで建築を学び、英国風の落ち着いた品格のあるデザインを得意とした。岩崎小彌太も明治33年イギリスに留学し、ケンブリッヂ大学を卒業した英国通であり、両者の呼吸が一致した作品である。内部は玄関ホール、ラウンジ、閲覧室、2階に応接室等があり、19世紀後半イギリスのアーツ・アンド・クラフト運動の雰囲気をもっている。
東京都生活文化局
建物を背後にして
正面、丸い池を挟んだ向こう側、木立の中にはジョサイア・コンドルによって建てられた”岩崎家廟堂”があり、右側には静嘉堂文庫美術館があります。どちらも写ってませんが…
再び裏門をぬけ、岡本八幡宮から八幡男坂に相当する正面の参道から丸子川まで下ります。
隣接する岡本民家園近くに「右 おんな坂」の石標がありました。
正面の道を先へ行くと岡本八幡宮正面へ”男坂”ですが、坂学会のページでは”女坂”だけが挙げられています。
丸子川沿いに次の堂ヶ谷戸坂へ向かいます。
その途中で
◆堂ヶ谷戸坂〈どうがやとざか〉
岡本2丁目、3丁目の境界にある坂道。岡本八幡宮などから丸子川沿いに300mほど遡ったところにあります。
丸子川を渡る堂ヶ谷戸橋が坂下です。
橋手前から
ほぼ真っ直ぐの急坂。全貌ここにおさまってます。
坂の上り始め
右側は老人ホーム、道路端に手すりがありますが、お年寄りが歩いて上り下りはきつそうです。
中ほどから下方向
さらに坂上近く
坂上から下を見て
坂の上は十字路になっていて、その先の道、もう少し緩い坂道が続きます。
少し変わった雰囲気の建物が右側にありました。元はアルジェリア大使館、別の場所へ引っ越して現在は空き家、周囲の立ち木などが整理された状態のようです。
堂ヶ谷戸坂に坂名標識などはありません。坂名は坂学会のページを参考にしました。
◆岡本三丁目の坂〈おかもとさんちょうめのさか〉
文字通り岡本3丁目の坂道、直線の急坂は遠くからもよく見え、目立ってます。
坂の上からの眺望が良好です
天気が良ければ富士山(この時は見えてない)も望め、坂上に国交省が「関東の富士見100景」の標柱を建てています。
これ
関東の富士見100景
富士山の見えるまちづくり
地点名 東京富士見坂
平成16年11月 (以下略)
「地点名 東京富士見坂」とありますが、これは一般名でこの坂道の固有名称ではありません。(Wikipedia:東京富士見坂 都内7つの坂・地点を示すものである。 坂学会さんいわく「非常にまぎらわしい」)
急傾斜のため歩道は階段
車道は下りのみ一方通行。
坂の途中から下方向
遮る物がなく、さらに景色が広がりました。
下から見上げる
坂下から
坂の下は仙川の流れ、川に架かる西谷戸橋から
坂名標識はなく、坂上の関東の富士見100景標柱のみです。坂名は世田谷区国分寺崖線マップの表記を参考にしました。わりと最近につけられた坂名と思われます。
Googleマップは”岡本の富士見坂”。
この周辺、崖の傾斜が急で高低差もあり、名前のない坂道でも見事な急坂があちこち見られます。
◆新坂〈しんざか〉
岡本3丁目の西隣り、大蔵6丁目にある坂道。
岡本三丁目の坂を下ってそのまま六郷用水沿いに進むと永安寺があります。お寺の西側を折れたところにある坂道です。通る道は古く、明治期の地図にも記載があります。
新坂、坂の途中から
道の右側は永安寺、坂の下方には本堂など、上にかけては墓地。
坂道の傾斜は中程度、それほど長い坂でもありません。
中ほどから下方向
坂下が突きあたり、T字路左右を六郷用水が流れていました。
ほぼ上部から
坂上から
左側が新坂、上がったところで道路が交差しますが、右へはさらに坂が上がってます。そして背後へは下り坂とややこしい。
多摩川(野川)と仙川の間の舌状台地先端といった場所です。
坂名標識はなく、坂名は世田谷区国分寺崖線マップの表記を参考にしました。
まったく別の日ですが
永安寺門前
今回はここまで。
坂道マップ 今回分は5~8まで
世田谷・国分寺崖線1