散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

坂道探訪 国分寺崖線の坂道・世田谷(3)

国分寺崖線の坂道、世田谷区の3回目です。
今回は二子玉川にも近い、国道246号東側の瀬田1丁目から3坂、行善寺坂、行火坂、瀬田夕日坂、そして瀬田1丁目と上野毛3丁目境界のまむし坂です。

 

◆行善寺坂〈ぎょうぜんじざか〉

瀬田1丁目の坂道です。大山道、国道246号の旧道、明治以前から二子の渡しへ通じる道として存在していました。
坂上に行善寺があります。

境内、何写したの?な位置から

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門前の道路は坂の上

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右下側に「瀬田の行善寺と行善寺坂」の案内標識。
上の説明も一応

獅子山西光院行善寺(浄土宗)
本寺の開基は長崎伊予守重光(法名・行善)、開山は法蓮社印誉上人伝光(ほうれんしゃいんよしょうにんでんこう)和尚であり、永禄年間に建立された。
本尊は阿弥陀如来で、寺宝には玉川出現楠薬師(くすやくし)があった。
この地は展望にめぐまれ、江戸時代から玉川八景として有名であり、将軍も遊覧の折、しばしば立ち寄った。
  二子渡舟   太田子徳
 玉くしけ二子のわたり明ぬやと
  見しや鵜舟の篝也(かがりなり)けり
昭和五十年二月  世田谷区教育委員会

行善寺坂の始まりはもう少し先です。

 

坂上から

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坂を下りず、左へ入ったところには
瀬田貝塚跡標柱と案内(右)

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縄文前期の貝塚。当時はこの坂下、二子、瀬田付近まで海水が入ってきていたということです。

前の行善寺坂へ戻り、下ります。

上部から下方向

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道は途中でゆるくカーブしています。

 

もう少し下りたところ、左から合流する道があります。
行火坂(あんかざか)との合流

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行火坂はこの後で。

 

坂道の合流付近から下を

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また少し先から上を

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この付近でほぼ坂下です。

行善寺坂、距離は長め(270m)、傾斜は場所によって差がありますが中程度~ややきつい坂道です。

 

坂を下りきってその先
丸子川を調布橋で渡ります

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前方は東急大井町線二子玉川ライズSC。その向こうは多摩川です。

 

 

◆行火坂〈あんかざか〉

瀬田1丁目、行善寺坂の中ほどに合流する、距離は短い急坂です。

道が分かれるところに石の標識があります。
坂下から

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中ほどから下方向

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突き当りが行善寺坂。

 

同じく上方向

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上部はしだいに勾配が緩やかになっていきます。

 

ほぼ坂上からその先

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坂上は法徳寺の墓地となっていました。

 

ふり返って

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◆瀬田夕日坂〈せたゆうひざか〉

瀬田1丁目の坂道。行善寺前の古い道を行善寺坂と反対方向へ100mほど行ったところから、西側に向かって下る道です。
現在は坂下で道路に突き当たって終わる短い急坂ですが、かつてはさらに西に向かって下る道が延びていて、途中玉川電車の玉川遊園駅前を横切り、丸子川(六郷用水)が流れる低地まで続いていました。
玉川電車跡を通る田園都市線によって道は分断されてしまいました。(歩道橋による往来は可能)

瀬田夕日坂坂下から

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かわいらしい置物が置かれ、坂名がその下部に描かれてます。
坂は上に見えるカーブミラー手前まで、とても短いです。

 

坂上、行善寺へ続く道から

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車止めの向こうから

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坂上側にもきちんとネームプレートがあります。以前はこちらにも動物をあしらった置物が置かれていたようですが、見当たりません。

これらネームプレートや置物は近くにある多摩美術大学と地域住民との活動の一環として設置され、瀬田夕日坂の名称も決めたそうです。2002年頃ということです。

 

かつての坂道の続きも追いかけてみました。

瀬田夕日坂、坂下から西方向

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道路向こうは現在田園都市線線路です。かつては玉電の愛称のある路面電車が走り、玉川遊園という駅が左側に存在していました。

 

歩道橋上から線路の向こう側

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下、正面から右手は玉川高島屋SCガーデンアイランドの一部です。

 

歩道橋とその先の階段を下りて振り返る

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さらにその下におりて上を

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瀬田夕日坂につながる急坂があります。
この背後には丸子川、低地まで下りてきました。

 

 

◆まむし坂〈まむしざか〉

行善寺坂下から丸子川下流方向へ数百メートル行くと駒沢通りに交差します。
瀬田1丁目と上野毛3丁目境界、駒沢通りの坂道が”まむし坂”です。

丸子川を渡る境橋から

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駒沢通りはこの背後でも少し下ってます。数十メートル後ろが一番低い場所。

橋を渡ってすぐに左へカーブ、その先右へ、全体としてS字カーブする長い坂、勾配は全体通して緩いです。

 

最初の左カーブ

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東急大井町線のガードをくぐります。

 

ガードをくぐって少し上がると少し右カーブ

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下を振り返って

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こちら側歩道下はコンクリート蓋の暗渠道でした。

 

いったん勾配が緩やかになりますが、再び右カーブ

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左端の壁に”瀬田隧道”、水道送水管トンネルの入口があります。

 

カーブは続き、勾配もきつくなります。

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さらに上がって坂上付近から振り返り

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ほぼ坂上から先

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勾配はゆるくなりますが、まだだらっと先へ上っています。直進すると環八通り多摩美大前交差点へ出ます。

道路右側が多摩美術大学上野毛キャンパスの建物です。

 

こちら、まむし坂には坂名標識はありません。(世田谷区が付近に設置した地図のなかにまむし坂の名称が書かれているそうです。)坂名は坂学会のページを参考にしました。

 

今回はここまで。

坂道マップ 今回分は9~12まで

 

次の坂道へはこちらから 

miwa3k.hatenablog.jp