散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

芝川を歩く その1 荒川合流地点から遡って見沼通船堀

このところの川あるき、江戸川、荒川をはじめ、江戸時代からの巨大土木事業であった利根川東遷、荒川西遷事業に関連する河川に沿って歩いています。

(大落)古利根川葛西用水、元荒川、中川と辿り終えて次を考えました。

本家の利根川と荒川(現在途中まで)は残っていますがあれこれ都合があってとりあえず後回し。次は古代の荒川流路だったこともある《綾瀬川》と半分決めていましたが、現代のこの川、日光街道草加松原などなど良いところもたくさんあるものの、ところによって非常に歩き難い。その分ちょっと順位を下げ、他の候補を再検討。

そんな中、東遷、西遷事業と直接結びつかない部分もありますが、荒川に注ぐ《芝川》(しばかわ)はいろいろ変化があり、川沿いに歩きやすそうだという点でまずここから見てみることにしました。

 

それではスタート。

まず芝川が荒川に合流する地点、芝川水門へ。足立区鹿浜と川口市領家境界になりますが、都内からは隅田川と荒川を越えた先となり、アプローチがちと面倒です。

環七通り鹿浜橋たもとから荒川

f:id:miwa3k:20210510130434j:plain

足元は足立区新田、渡って左方へ荒川を500mほどさかのぼると芝川水門があります。

 

芝川水門(サイドから)、芝川合流点

f:id:miwa3k:20210510130442j:plain

向こうから流れ下るのが荒川。その前方(左)には隅田川を分流する岩淵水門も見えています。

 

芝川水門位置から(新)芝川方向

f:id:miwa3k:20210510130451j:plain

写っている説明板には「芝川水門・新芝川排水機場」とあります。

〈左上部分〉
芝川水門は増水時に、荒川の水が芝川に逆流することを防ぎます。新芝川排水機場はせき止められた芝川の水をポンプで荒川に排水します。
芝川では、昭和33年と昭和41年に大洪水が発生し、荒川の水が芝川に逆流してはん濫するなど芝川流域の人々に大きな被害を与えました。こうした洪水による被害を繰り返すことのないように、荒川への流入部に芝川水門と新芝川排水機場をつくり、芝川の増水を防いでいます。

 

少し上流から振り返って
左芝川水門、右新芝川排水機場

f:id:miwa3k:20210510130500j:plain

荒川水位は定常、芝川水門ゲートが開いています。

 

方向を変え
ほぼ同じ位置から対岸を望む

f:id:miwa3k:20210510130509j:plain

対岸の水門は芝川旧流路の合流点に設けられたものです。1965(昭和40)年に芝川放水路(右から流れ込んでいる現在の本流)が完成し、旧流路は廃止されました。現在この水門は常時閉じられ〈さらに鋼矢板打ち込まれてるし〉、旧流路を少量流れる水は1.8㎞上流にある排水機場から荒川へ放出されています。

芝川放水路が通称新芝川です。(現在行政上は「芝川」、旧流路は「旧芝川」)

 

新芝川沿いにさかのぼって歩きます。しばらくは典型的な都市河川の風景です。

新芝川最下流の橋・山王橋

f:id:miwa3k:20210510130519j:plain

渡って対岸(右岸側)からは芝川サイクリングロードが始まり、そこを歩きます。

 

この姿で『稲荷橋』(川口市東領家3丁目)

f:id:miwa3k:20210510130528j:plain

芝川水門から約1400m。後で調べたら近くに『法眼稲荷社』というのがありました。

 

南平大橋(川口市弥平4丁目・足立区入谷7丁目境界)

f:id:miwa3k:20210510130537j:plain

 

その近く、芝川マリーナ

f:id:miwa3k:20210510130546j:plain

ここから海へ出るには芝川水門を経て荒川を下るのでしょう。橋の下をくぐれる高さの船でないとダメですね。

 

川口市朝日5丁目付近

f:id:miwa3k:20210510130555j:plain

大きな煙突は朝日環境センター(ごみ焼却場)、川を渡るのはあずま橋、土手の道は芝川サイクリングロード。
このあたり流れはまっすぐ。〈新芝川は1960年代に開かれた水路〉

 

国道122号(岩槻街道)鳩ヶ谷大橋下流側から

f:id:miwa3k:20210510130611j:plain

橋の下は地下鉄も通っているはず。

 

鳩ヶ谷大橋から1㎞弱で芝川分流点に着きます。

旧芝川・新芝川分流点青木水門と新芝川

f:id:miwa3k:20210510130620j:plain

左の青木水門からさらに左へかつての芝川が流れていました。新芝川はここから開削されて旧芝川の東側を流れ、荒川合流点手前で再び旧芝川と合流する形になっています。

 

現在青木水門は閉じていますが、この付近で合流する芝川支流竪川から親水公園に若干量が流れ込むようになっています。

青木水門の旧芝川側

f:id:miwa3k:20210510130630j:plain

f:id:miwa3k:20210510130641j:plain

 

竪川と芝川の合流

f:id:miwa3k:20210510130653j:plain

青木水門を背にしたあたりから。右が芝川、左から竪川(たてかわ)が合流します。

 

合流点の上流側から振り返る形で眺めると

f:id:miwa3k:20210510130704j:plain

左手前から芝川、右手前から竪川。左向こうへ新芝川、右向こう青木水門(旧芝川)となります。

これより上流は『芝川』と呼んでいきます。

この先もしばらく住宅地の中を進んでいきます。

 

川口市上青木6丁目・上根橋付近

f:id:miwa3k:20210510130714j:plain

川沿いにのびる歩道・サイクリングロードですが、ここはスロープの歩道橋も併設されています。〈上り下り面倒ですがちょっぴり眺めがよい〉

 

さらに1400mほど先

東京外環自動車道と根岸水門

f:id:miwa3k:20210510130725j:plain

東北道とのジャンクションも近く、道路2階建てです。
手前の根岸水門は支流の藤右衛門川(とうえもんがわ)との合流点。

ここでちょっと寄り道。

見てきた話じゃありませんが古代の芝川はこの付近で入間川(古入間川)と合流しており、芝川の流路はここまででした。〈ここで入間川とは?という気がしますが、Wikipedia:芝川(埼玉)内にも書かれてます。〉
入間川流路は地理院地図治水地形分類図でも読み取ることができます。
それによれば現在の荒川・入間川合流点(川越市古谷)付近から現在よりも東に寄って流れ、大宮台地の西縁から南縁を蛇行しながら巡って、現埼京線武蔵浦和駅、東京外環道浦和IC付近を通過して外環道沿いに上の写真のあたりへ流れていました。
その下流は現在の芝川流路を、青木水門(新旧芝川分岐点)へと流れ、さらに東へ毛長川流路から綾瀬川を合流、垳川流路から葛飾・三郷境界の小合溜井を経て現在の江戸川へ合流していました。

 

戻って外環道の北側へ。

こちらにももうひとつ立派な水門があります

f:id:miwa3k:20210510130737j:plain

藤右衛門川放水路、外環道南側で合流していた藤右衛門川の分流です。

このへんから《名残りの》ですが菜の花、ずっと先まで咲いていました。

 

川口市安行領在家、芝川左岸から上流方向

f:id:miwa3k:20210510130745j:plain

 

外環道交差から約1700m
前方は八丁橋

f:id:miwa3k:20210510130756j:plain

この橋を境に芝川の風景は一変します。

八丁橋西詰から

f:id:miwa3k:20210510130806j:plain

道は赤山街道、八丁堤の上を通っています。

いろいろ解説が必要です。

ここ(川口市木曽呂・さいたま市緑区大間木境界)は大宮台地の南縁にあたり、芝川が流れる台地の谷間が南側の川口低地に出てくる場所です。
古くこの台地の谷間は沼沢地でしたが、1629(寛永6)年関東郡代伊奈忠治によりその出口に長さ八町(約870m)の堤防が築かれ(八丁堤)、芝川の流れを堰き止めて灌漑用水地、見沼溜井を造りました。
堤の上を通る赤山街道、赤山(現川口市赤山)は伊奈氏の拠点、赤山陣屋のあった場所で、土木工事の現場や他の陣屋などとの連絡のために設けられた街道ということです。
見沼溜井はその後、大雨での氾濫、干ばつ時の干上がりなど不都合が多かったことで1727(享保12)年、八丁堤の一部を崩し見沼溜井を干拓、新田開発しました。
新田開発により依然灌漑用水は必要だったので代わりに利根川から用水路が開削導入されました。なので見沼に代わる用水路、『見沼代用水路(みぬまだいようすいろ)』といいます。
1731(享保16)年には八丁堤の北側に芝川、見沼代用水東縁、西縁の3水路を結ぶ舟運のための運河、見沼通船堀(みぬまつうせんぼり)が設けられ、干拓された見沼田んぼから米などを江戸へ運びました。

 

八丁橋の西側、堤上に残る『鈴木家住宅』

f:id:miwa3k:20210510130817j:plain

f:id:miwa3k:20210510130829j:plain

鈴木家住宅
国指定史跡見沼通船堀のうち
昭和57年7月3日指定
享保12年(1727)、鈴木家は高田家とともに井沢弥惣兵衛為永に従って、見沼干拓事業に参加しました。享保16年の見沼通船堀の完成と同時に鈴木・高田両家は幕府から差配役に任じられ、江戸の通船屋敷で通船業務をつかさどり、八丁堤などには通船会所を持っていました。
鈴木家は、各船に対する積荷や船頭の割り振りなどの船割りを行い、文政年間〈1818~1831〉以降は八丁会所において船割りにあたり、住まいも八丁に移しました。
現在残る鈴木家住宅は、この頃の建立となり、見沼通船の船割り業務を担っていた役宅として貴重な建物です。
平成9年3月
さいたま市教育委員会生涯学習文化財保護課
<後略>

 

八丁橋から芝川上流方向

f:id:miwa3k:20210510130839j:plain

芝川両岸に橋がありますが、その下が見沼通船堀です。見沼代用水東縁(ひがしべり)、西縁(にしべり)2本の水路と結ばれているので2つの堀があります。ただ、現在は通船はしておらず水量もわずかしかありません。こんなに細いのかと思うほどです。

 

東縁との間の堀

f:id:miwa3k:20210510130852j:plain

奥に閘門堰枠が見えます。東西の見沼代用水と中央の芝川の間に水位差があるため閘門(ロックゲート)が設けられていました。通過の際は船を閘室内に入れて門を閉じ、水位を上下して船の通る先の水位に合わせてから門を開きます。

 

こちらは前後2つの関(ゲート)が見えます〈小さいけど〉

f:id:miwa3k:20210510130903j:plain

西縁との間も同じ構造になっています。

 

これは西縁との堀が芝川に合流するところ

f:id:miwa3k:20210510130915j:plain

こちらも現在は水量少なく、船が通れたとは信じ難いです。

 

芝川を遡ります。

これより上流は見沼溜井、のちに見沼田んぼのあったエリアになります

f:id:miwa3k:20210510130930j:plain

見沼田んぼ一帯は現代も優れた遊水機能を備えていることが分かり、治水上の観点から宅地化などの開発を抑制するための『見沼三原則』が1965(昭和40)年に制定されました。現在は土地利用制限はやや緩和されていますが、引き続き自然環境の維持、保全は行われています。

これまでおもに住宅地内を流れていた芝川も周辺の景観はがらりと変わります。

 

見沼通船堀から少し奥に木造の橋〈工事中のようですが実は橋保護のためか〉がありました。
桜橋

f:id:miwa3k:20210510130943j:plain

 

見沼田んぼへのほんの入口ですが、とりあえずここまで。
その2と3

miwa3k.hatenablog.jp

 

 

芝川流路地図 今回分は芝川(1)

 

 

埼玉県川口市さいたま市緑区