前回の続き、八丁堤、見沼通船堀から先へ進みます。この先は『見沼田んぼ』と呼ばれる地域に入ります。
芝川などの流れが長い時間をかけて大宮台地を削った跡が『見沼』という沼沢地、湿地となり、江戸時代初期に開発されて農業用貯水池、『見沼溜井』とされ、江戸時代中期には干拓、新田開発されたのが見沼田んぼです。
芝川その1でも書きましたが、見沼田んぼのエリアは昭和40年頃埼玉県条例、いわゆる『見沼三原則』によって開発が原則禁止され、その後見直しでだいぶ緩くはなりましたが現在も都市開発、宅地化などはできないことになっています。〈ごみ焼却場や学校、高速道路など公共設備的なものはあちこちできていて、どこまでOKかは曖昧かもしれません。〉
八丁堤から芝川を400mほどさかのぼると木造の桜橋
桜橋の上から
上流側にはJR武蔵野線芝川橋梁
八丁堤からこのあたりまで芝川の両岸低地には畑地が広がります。
ここだけでなく、見沼田んぼの農地のほとんどは現在、田んぼではなく畑地に転用されています。かつては水田だった場所も米の減反政策などにより多くが畑に転用されたということです。
武蔵野線を越えた先から上流方向
川の水はだいぶ濁りが目立ちます。淀み気味だからでしょうか。〈青空はきれいなんですが〉
この右側に大きな調節池が存在します。
芝川第一調節池
その越流堤部分
左側を流れる芝川の水位が上がると越流提を越えて右の調節池へ水が流れ込みます。
流れ込んだ水は川の水位が下がると排水機場から排水されます。全量排水しないので池に水が残ります。
第一調節池上流側
現在対岸にも同様の調節池を造成中。大型ダンプなどが走り回っていました。
武蔵野線から北側の国道463号(越谷街道)の範囲、かつてはほぼ水田でしたが、芝川の両岸に巨大な調節池を設けたため農地はなくなりました。
国道463号(越谷街道)を渡った先もほとんど畑が広がっています。
畑の写真はないのですが、河川敷堤防は菜の花でいっぱいでした。〈名残りの菜の花でしたが〉
少しずつ上流に向かって歩きつつ
対岸遠くの花桃らしき花もいれて
支流加田屋川(かたやがわ)合流点付近
正面に少しだけ見える橋の下を通って流れ込んでいます。
小さな流れですが加田屋川も芝川同様流域の低地には中世以前、沼地や湿地が広がっていたようです。のちに見沼同様干拓、新田開発されて水田地帯になりました。
加田屋川合流点付近まで北向きに歩いてきましたが、ここで流れの方向が変わって西に向かって進みます。といっても相変わらず川沿いは両岸とも畑が広がり、菜の花が咲いています。
見沼大橋の上流側から
対岸、橋の先はメタセコイア並木となってます。〈ここからは数本しかないように見えますにゃ〉
さらに1400mほどさかのぼって
芝川下流方向(さいたま市緑区新宿)
堤防の上は芝川サイクリングロード〈時々未舗装〉が続きます。
その少し先、北宿大橋付近から上流方向
さいたま新都心、大宮周辺の高いビルが前方に、だいぶ近づいてきました。
ちょっと間を飛ばしてさらに2300m、山口橋を背後に下流方向
さいたま市見沼区上山口新田
依然見沼田んぼの範囲内ではありますが、住宅地が堤防のすぐ脇まで迫ってきています。対岸高架は首都高速新都心線〈通ったことがない〉
川の下流方向を見て。
高速道沿いに行くとさいたま新都心方面ですが川沿いに、ここらへんからまた北上して歩きます。
片柳橋から上流方向
現在の条例では見沼田んぼ地域、公園としての開発は認められるようで、公園3連チャン
大宮第三公園・みぬまの沼
芝川堤防上から。
池の部分だけでなく、掘り下げられているところ全体が大雨のときに水が溜まるよう設計されてますね。
対岸森の上は台地、台地上は住宅地が広がっているようです。
第二公園の隣りは第一公園でなく大和田公園。第一公園に相当する『大宮公園』はそれら3公園の西側にあり、その中には武蔵国一宮、大宮氷川神社も。
Wikipedia:氷川神社には「神社の境内は、見沼の畔に立ち、もとは見沼の水神を祀っていたと考えられている。」の一文があるのを見つけました。
流れが蛇行、逸れました。元へ戻ります。
大和田公園の北側へ出て芝川の『石橋』に出ると広々とした風景、向こうは東武野田線が走ってます。芝川は野田線の先までずっと堤防整備工事中でした。
石橋の上から(さいたま市北区見沼1丁目)
石橋が通る道は旧岩槻道。古くからの道、かつては石の橋だったのかもしれません。
石橋からさかのぼること1300m、
神明下橋たもとから下流方向
対岸木立ちの向こうは『さいたま市市民の森』。
こちらは同じ橋上から上流方向
この先、700mほどでJR宇都宮線橋梁に差し掛かります。芝川両岸に広がる昔の見沼田んぼののどかな風景もそのあたりまでとなります。
宇都宮線芝川橋梁とその手前は錆びた?『砂橋』
川に蓋がされているように見えますが、護岸です。水は手前を流れています。
芝川橋梁の左向こうにはJRの東大宮操車場が芝川の流れに沿ってのびています。
1つ下流側の橋から砂橋方向を望む
砂橋の向こう側はしばらく川沿いに歩けません。
〈ネズミ捕りやってた〉踏切を渡って住宅地内を迂回、JR操車場の端まで行きます。
分水橋上から芝川下流方向
鉄道車両のほうが気になる方もいらっしゃると思いますがとりあえず。
この直下、芝川が見沼代用水西縁を伏越しています。
見沼代用水(みぬまだいようすい)は見沼溜井を干拓、新田開発したときに新たに引いた農業用水路です。利根川からはるばる水路を掘り、ここのもう少し上流で東縁(ひがしべり)、西縁(にしべり)の2本の水路に分岐させ、見沼田んぼへ導入しています。見沼田んぼで使用した排水はおもに芝川へ流されるということになってました。現在も現役の用水路です。
伏越し手前の見沼代用水西縁の流れ
用水路に沿う橋が分水橋、橋の一番高くなるあたりが1つ前の撮影位置です。
そちらへ戻って、伏越手前の水門付近(芝川)。
砂伏越という名称
『砂』とはこの付近の地名、先ほど『砂橋』もありました。
芝川の水は水門をぬけてから下へ落とされ、見沼代用水路の下をくぐりぬけ、サイフォンの原理で再び元の高さまで上がってきて、何事もなかったようにまた流れていきます。
〈個人的に疑問なのは、ここの水門が閉じたら芝川の水はどこへ逃げるのだろうか?〉
分水橋は東大宮操車場を横断します。
操車場線路の上から
中央に写る185系電車が先ごろすべて引退したという事を何かで知りました。
こちらには何編成もの185系が留め置かれてました。
同じ橋上別角度から
操車場奥の奥にポツンと置かれていたやつ
手前は芝川です。
操車場の上流側はこんな感じになります(さいたま市北区本郷町)
八丁堤、見沼通船堀からこちらJR操車場付近までが芝川沿いの見沼田んぼ領域。
そこを外れ、このあたりからは芝川の流れが大宮台地から見沼の開析谷、低地へ下りてくるところとなります。
この先の様子は次回にします。
前回分
つづきはこちら
芝川流路地図 今回分は芝川(2)