多摩川は源流を山梨、埼玉県境の笠取山山頂近くに発し、はじめは一ノ瀬川、その後、丹波川と呼ばれて、東京都の奥多摩湖へ注ぐ。奥多摩湖の小河内ダムから多摩川となり、奥多摩町、青梅市を流れ下り、さらに多摩丘陵と武蔵野台地の間をいくつもの段丘をつくりながら流れ下る。下流に近づくと、東京都と神奈川県の都県境を流れる。下流域は六郷川とも呼ばれ、羽田空港と川崎市川崎区殿町をはさんだ付近で河口となる。河口から下流側にもさらに埋立地が存在し、その先で東京湾に注いでいる。
多摩川左岸、すなわちずっと東京都である側の岸については、すでに歩いていたのだが、GPSの足跡を残していなかったり、写真の記録がいまいちだったりで、ここにノートとしてまとめることをためらっていた。足跡記録のまったくとれてなかった、河口から調布取水堰を最近もう一度歩いてきたので、全編、といっても上流はいまのところ、羽村市の羽村堰までではあるが、新規にノートにまとめてみようと思った。一部個々の写真の季節に違和感が生じる可能性があるけど、そこは薄笑い程度で許してくだされ。
その1の行程
多摩川左岸には「たまリバー50キロ」という題目のついたサイクリングコース(もちろん人も歩ける)が、おおむね整備されている。左岸を歩く場合はこのコースをずっと行けば基本OKなのだが、このコースのスタート地点は大師橋付近。ここはすでに河口から2kmほど上流になる。そこから下流側は、海老取川に架かる弁天橋と旧穴守稲荷大鳥居のある付近まで道路が整備されている。その下流、河口近くまでは、川岸と羽田空港の敷地の間がこれまでずっと、そしてこの先も当分、大規模な工事を行っている。現在この区間に整備された歩道はないので、並行する環八通りの歩道を歩くしかない。
今回は多摩川左岸を河口からさかのぼる形で歩くので、まずは河口を目指す。運よく、多摩川河口の標識がある地点は、羽田空港国際線ターミナル近くにある。
スタート地点は羽田空港国際線ターミナル、いちおうバス停の標識から出発
ターミナルビルの1階、到着専用のバスストップから、方向としてはモノレールの軌道に沿ってそのまま歩道を外に歩いて行く。
ターミナル内は警備の人も多いけど、バス停付近は周辺で働く人の通勤路みたいな歩道なので、特に怪しまれる心配はない。すぐに環八通りの信号に突き当たる。
その信号から左右はこんなかんじ
渡るとすぐに多摩川で、コンクリートの堤があるのでそれに沿って目を凝らすと、わりと近くにある。
これが多摩川0キロの標識
建設省多摩川0.0Kと刻まれている。そしてこんなふうに埋め込まれている。
ここがたぶん政治経済的に決定された、河口だ。対岸正面、引出つき書類ケースみたいな四角い建物があるが、その左側の運河との境付近にも似たようなものがある。
書き方が微妙だったので補足:右岸川崎市側の0.0K標識は、こちらから見て、運河を越えた左の浮島側の端にある。
河口からさかのぼる。スタート。
最初は川と道路の間にこのようなスペースがあるのだが、すぐに大規模な工事区間にはいってしまう。
迂回路がないので環八通り脇の歩道をあるく。こんなかんじ
海老取川に架かる弁天橋の近くまでくると車道はトンネルになっているところがあるが、歩行者は脇に踏み分け道ができているのでそちらを通るとトンネルを通らずに済む。
フェンスの隙間から旧穴守稲荷の大鳥居のところへ行ける。
鳥居の下をくぐって
弁天橋を渡ったら、左側にある歩道にはいって多摩川の方向へまわる。
多摩川の堤に沿って、最初は一般道を100mくらい歩くが、すぐに歩道が現れるのでそちらへすすむ。
最初はこんなかんじ
そしてほどなく「多摩川左岸海から2K」ポスト
多摩川は左岸、右岸とも1キロごとにこのポストが置かれている。(0キロ地点のみ、先ほどの標識。)
先に見えているのは大師橋。「たまリバー50キロ」のスタート地点はまだ上流。
大師橋に近づくと、羽田の渡し跡碑がある。かつて渡し舟のあったところ。
羽田の渡しは別名「六左右衛門渡し」とも言われ、江戸時代以前よりあったようである。字西町前河原より大師河原村字殿町に渡していた。羽田側に穴守稲荷、川崎側に平間寺(川崎大師)があり、両寺社へ参詣する人々の足として大いに利用されたそうだ。昭和14年(1939)、大師橋開通まで存続していた。
現在の大師橋は2006年完成、長さ550mの斜張橋。下り車線と上り車線はそれぞれ独立した2つの橋になっていて、ワイヤーを張っている主塔が2つ見えるが、左側の塔は上り車線のみ、右側の塔は下り車線のみに跨っている。全体としては対称形の橋に見えるが、よく見ると非対称な橋が2本架かっていることになる。
橋に詳しい方の解説を引用させてもらった。
普通の吊橋は、塔の上にメインケーブルを渡して両端をアンカレイジで固定し、メインケーブルからハンガーロープを垂らして橋桁を吊る。普通の吊橋ではケーブルを張るために塔は少なくとも2本は必要だが、大師橋のように、斜張橋は主塔から直接ワイヤーロープを橋桁に張って吊り支えるので、塔は1本でも可能である。
おまけでもう1つ。大師橋の下流側には首都高速の橋梁が別途架かっているが、こちらの橋は川崎側では大師橋を通る産業道路の真上にあるが、東京側では産業道路との距離が170m離れている。首都高の橋は川を斜めに横切っている。
大師橋の近くには、多摩川のレンガ堤防が残っている。
1918年(大正7年)から行われた河川改修工事で築かれた堤防。この写真の場所だけでなく、もう少し下流側にも、いまの堤防より外側、一般道路沿いに残っている。
羽田・旧レンガ堤(PDF)
http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000099108.pdf
大師橋の下をくぐるとほどなく、堤防の外側に「本羽田公園」が現れる。そこにテニスコートが数面あるが、そのちょっと手前位置あたりの、堤防の遊歩道上が「たまリバー50キロ」の下流側スタート地点となる。大師橋からは上流に300m程度か。
自転車はレンガ色、歩行者は緑色の範囲を使うように通路区分されている。歩行者側の道路上にシールが貼られているが、これは基本この先500mごとにある。でもだいたいはがれてしまっている。土手の傍らには詳細な地図付きの案内看板も立てられている。
ただこの地点、特段何かある場所でもなく、なぜスタート地点がこの位置なのかはよくわからない。案内看板ではこの位置は「大師橋緑地」となっている。
少し上流へ進んだ土手上の歩道
「たまリバー50キロ」のスタート地点では歩道と自転車道の通路の区別がされていたが、そのうちになくなってしまう。通行区分を律義にまもって歩いている人などいないので、区分があろうがなかろうが関係ないけど。
六郷水門
いまは水門のゲートが開いている状態。
1918年(大正7年)から1933年(昭和8年)まで行われた多摩川改修工事に伴って、六郷水門が施工され、1931年(昭和6年)に完成。1611年に竣工した農業用水である六郷用水の、もっとも下流側の排水を行う場所につくられた。洪水時にはゲートを閉じて多摩川の水の逆流を防いだ。六郷用水はすでに廃止されたが、現在も閘門(こうもん:水位の異なる河川や運河、水路の間で船を上下させるための装置)として使用されているとのこと。ゲートの反対側には船が係留されている。
サイドから
先へすすむ。
多摩川左岸海から5キロポストと向こう、六郷橋、川崎のビル群
多摩川の下流域は六郷川とも呼ばれるが、このあたりの地名も六郷。
六郷橋
六郷橋のうえから、多摩川左岸の歩道と土手
六郷橋
現在の六郷橋は第一京浜(国道15号)の橋で、1987年(昭和62年)に全面開通、その後改良工事が行われて現在の姿になったのは1997年(平成9年)。長さ443m、幅34mあまりの連続箱桁橋。
交通量の非常に多い道路が通る橋だが、橋の美しさとして見るべき部分はあまりないように思われる。
六郷橋のある付近は旧東海道、六郷の渡しのあった場所。そもそも江戸時代のはじめは、東海道、多摩川(六郷川)に橋が架けられていた時期もあったが、度重なる水害の都度、橋が流され、江戸防衛の理由もあって、1688年(貞享5年)以降は橋を設けず、渡し舟による通行となっていた。新たな橋が架けられたのは明治になってから。
国道15号(第一京浜)の通る六郷橋の下をぬけると隣りは京急の六郷川橋梁
右手には六郷土手駅がある。
その次はJRの六郷川橋梁が2本(左 東海道線、右 京浜東北線)
川を横断する橋が連続する場所をぬけると、のどかな広い河原が広がる。多摩川緑地と呼ばれる場所で、野球場は20面近くありそう。そのほかにサッカーゴールもたくさん。
土手の上の歩道はしばらくすると、車も通る一般道が傍らに寄ってくるので、土手下の堤防内に下りて歩くことにする。
時々河原の様子を見ながら歩いていると、向こうに多摩川大橋が見えてくる。
河原から多摩川大橋を望む
この位置からだとわからないが、橋は2本架かっている。
アーチのついている橋は、こちらから見ると手前にあって多摩川送電橋という、人や車は通れない橋。その向こうにもう1本、アーチなどはついていない橋があり、そちらが国道1号の通る多摩川大橋。
近くからみれば2本の橋が架かっているのが分かる。
手前はNTTと東京電力が共用する、送電線専用橋の多摩川送電橋。橋の構造はランガー桁3連で、1984年(昭和59年)に完成。橋長は521.4m。
向こう側が多摩川大橋。国道1号(第二京浜)が上を通っており、六郷橋同様、交通量が非常に多い。ゲルバープレートガーダー橋という構造形式。1949年(昭和24年)に完成した。長さは435mで片側3車線の車道と両側に歩道が通っている。
多摩川大橋と多摩川送電橋、上流側から
上流側からみても2つの橋が一体に見える。
この付近は鎌倉時代から存在した、矢口の渡しがあった場所。ただし、時代によって河川流路がたびたび変わっているため、それに連れて渡し場の位置も細かく移動しているとのこと。昔は堤防もなかったので、大きな洪水があると川の流路も変化した。ここの渡し場は1949年(昭和24年)まで使用されたとのこと。
その少し上流にあるのが矢口ポンプ所(左奥)とその樋門(右)
ポンプ所というのは、下水道管が深くなりすぎないように、その水をくみ上げているところ。
矢口ポンプ所というのはこのあたりの下水や雨水を集め、くみ上げているところで、その水を森ケ崎水再生センター(大田区大森南、昭和島)にある下水処理施設へ送っている。川の堤防内にある樋門は、大雨が降って下水の処理が追い付かなくなった場合に、ここを開いて水を直接多摩川に流すためと、多摩川の水の逆流を防ぐために設けられている、そうである。
多摩川大橋の1つ上流側にある橋がガス橋
ガス橋
東京ガスが鶴見製造所で製造したガスを、東京に送るためのガス管専用橋として作られたことに由来してこの名称になった。1931年(昭和6年)に「瓦斯人道橋」として開通し、1936年(昭和11年)ガス管が増設。現在の橋は1960年(昭和35年)に架け替えられ、旧橋の橋脚と橋台を使用した薄肉鋼断面の鋼床版箱桁橋を中央3径間に持つ。また橋の左右下側に現在も直径67cmのガス管が1本ずつ通っている。長さ388m。
現在のガス管のなかは。ガス管ネットワークも現代では蜘蛛の巣状に複雑になっていて、1か所でつくられたもののみが通っているわけではなさそう。この部分詳細は不明。
ガス橋の下から
橋の下側に通っているのがガス管。反対側の下にももう1本通っている。
河原のグラウンドと向こう武蔵小杉付近のビル群(大田区下丸子4丁目付近)
しばらく行くと東海道新幹線と横須賀線の橋梁などが見えてくるあたりで「多摩川左岸海から12K」ポスト
ずっと堤防の内側を歩いていたので、1キロごとのポストをずっと見逃していた。こいつはいつも土手の上にある。
多摩川橋梁を渡る新幹線
新幹線の橋は長さ408m、手前横須賀線は382m。構造はどちらも連続トラス橋となっているが、新幹線側はあの鉄橋っぽい、連続したでかい三角形の骨組みがない。
JRの2本の橋を過ぎると、すぐ上流は丸子橋
丸子橋を通るのは中原街道(主要地方道東京都道・神奈川県道2号東京丸子横浜線)。中原街道は中世以前から続く古道で、東海道が整備されるまでは東海道の一部としても機能していた。現在の丸子橋のやや下流、新幹線の橋梁近くにはかつての中原街道の丸子の渡しがあり、その渡し場に下りてくる坂道が、歌で有名な桜坂。
丸子橋
旧丸子橋は1934年(昭和9年)に完成。その後、老朽化と交通量増大に対応するため架け替え事業に着手し、2000年(平成12年)に片側2車線の新しい橋が完成した。長さは405m、構造は鋼ローゼ(2連)+3径間連続PC箱桁橋。
やや遠くから
丸子橋をくぐると、すぐ上流は東急の多摩川橋梁。
東急多摩川橋梁はここ(丸子)と、二子の2か所ある。ここは東横線と目黒線の2つの線路が通っている多摩川橋梁。両線ともいろいろな鉄道会社と乗り入れを行っているため、ずいぶん様々な車両が行き交う。
丸子橋と東急多摩川橋梁の間で丸子川の水が多摩川に注ぎ込む。
丸子川水門
ここの流れには、世田谷の等々力渓谷を流れ下ってきた水も含まれる。
東急多摩川橋梁の下、向こうに見えているのは調布取水堰
堰の上流側から
ちょっと見にくいが、真横には過去の大水で水位が上がった位置(高さ)を日付とともに記してあった。
調布取水堰
1936年(昭和11年)に生活用水の供給のために作ったが、多摩川の水質悪化などにより、1970年(昭和45年)に上水の取水を停止、現在は工業用水のみに利用されている。かつては堰の上、現在の多摩川台公園の中に調布浄水場があり、浄水した水は大田区の一部地域に供給されていた。
堰の上流側
堰があると上流側は流れが緩やかになって、湖のようになっている。
多摩川台公園から見た多摩川
先の、堰の上流側を見たのと同じ方向。
本日はここまで。東急線多摩川駅へ向かう。歩いた距離は15.8km。