玉川上水は、承応2(1653)年に多摩川羽村取水口から四谷大木戸までの上水路が開削され、翌年には江戸市中に通水を開始している。その玉川上水を水の流れとは逆方向に歩いてみた。スタート地点は四谷大木戸である。多摩川の羽村堰までは43kmあるので、3回くらいに分けて歩く予定。その1は三鷹まで。
その1の行程
玉川上水の詳細についての解説は東京都水道局のHPにあるものがわかりやすい。歴史的なところを一部抜粋編集してまとめてみた。
◆玉川上水開削以前
徳川家康の江戸入府の頃、小石川(※現在の東京都文京区小石川)の水源から、神田方面に通水する「小石川上水」が作られた。1600年頃。
井の頭池や善福寺池・妙正寺池等の湧水を水源とする「神田上水」が完成したのは寛永6(1629)年頃。
その後家光のとき参勤交代の制度が確立すると、大名やその家族、家臣が江戸に住むようになり、人口増加に拍車がかかりました。もはや既存の上水だけでは足りなくなり、新しい水道の開発が迫られるようになりました。
◆玉川上水の開削
承応元(1652)年、幕府は多摩川の水を江戸に引き入れる壮大な計画を立てました。
工事は、承応2(1653)年4月4日に着工し、わずか8か月後の11月15日(この年は閏年で6月が2度あるため8か月となります。)、羽村取水口から四谷大木戸までの素掘り(崩れの補強を行わずに掘削すること)による水路が完成しました。全長約43キロメートル、標高差はわずか約92メートルの緩勾配(緩い傾斜)です。羽村からいくつかの段丘を這い上がるようにして武蔵野台地の稜(りょう)線(尾根:谷に挟まれた山頂など高い部分の連なり)に至り、そこから尾根筋を巧みに引き回して四谷大木戸まで到達する、自然流下方式による導水路です。翌年6月には虎の門まで地下に石樋、木樋による配水管を布設し、江戸城をはじめ、四谷、麹町、赤坂の大地や芝、京橋方面に至る市内の南西部一帯に給水しました。
「玉川上水起元」の記述によれば、工事には2度の失敗があり、工事の総奉行老中松平伊豆守信綱の家臣で野火止用水の開削者安松金右衛門の設計により羽村に取水口を決定し、玉川上水成功に導いたとも言われています。
明治にはいって淀橋浄水場が現在の新宿副都心地区にできてからは玉川上水の導水路は代田橋付近から浄水場への新水路に変更されたが、1965年(昭和40年)に淀橋浄水場が廃止されるまで上水用の導水路として使用されていた。
現在も羽村堰取水口から小平監視所までは、その先東村山浄水場に送られる水が流れている。
そして今回、玉川上水を歩くにあたっていろいろ参考にさせていただいたサイトがある。
最新の情報がイラストつきでまとめられていてとても分かりやすい。歩いている最中にも頻繁にアクセスしていた。
さてスタート地点、現在の四谷四丁目にある四谷大木戸へ向かうために、東京メトロ丸の内線で四谷三丁目駅へ。
四谷三丁目駅1番出口
新宿通りを西に進んで、四谷四丁目交差点と四谷区民ホールの間のスペースに、四谷大木戸跡の碑がたてられている。
その隣には水道碑記(すいどういしぶみのき)
玉川上水開削の由来を記した記念碑だそうだが、何が書いてあるのかまったくわからなかった。
それらの説明板はこちら
ここからスタートは、いきなり四谷区民ホールの裏手にまわり、職員専用通路のようなところから自転車置き場を経て、新宿御苑大木戸門のところへ。
新宿御苑大木戸門
大木戸門の名は四谷大木戸から来ている。御苑のなかには入らず、その脇に整備されている新宿御苑散策路にはいる。
新宿御苑散策路入口
ここは新宿区によって整備された遊歩道で、新宿御苑の開園時間のみ中を通ることができる。料金はかからない。
新宿区HPから
玉川上水の歴史的価値を次世代に継承していくため、「玉川上水・内藤新宿分水散歩道」をかつての流れに沿って、新宿御苑散策路に整備しました。 平成21年度から23年度にかけ整備を行い、全区間(全長540m)が平成24年3月に完成しました。
玉川上水の流れをイメージしたせせらぎ
イチョウの木が色づいていた。
御苑新宿門側から一般道に戻り、道なりに左にまがってゆくと新宿駅南口に出る。たとえば江戸時代、玉川上水の流れがあったころの新宿駅南口付近ってどんな風景だったのだろう。想像できない。
新宿駅南口手前から
いつも何かあるとテレビ生中継のある新宿駅南口前には、この日報道関係者は無く、平和な一日であることを実感しながら西口側へ。最初の交差点、西新宿一丁目交差点を左折してひとつ裏の通りにはいり、そのまますすむと、通りの突き当りの小さな公園からがかつての玉川上水の流れに沿った歩道のはじまりになる。新宿区から渋谷区にはいる。
文化学園服飾博物館前の玉川上水のモニュメント(左側、半円形のレンガ造り)
近くには「このモニュメントは、明治時代に新宿駅構内の地下に設けられた、玉川上水の煉瓦造りの暗渠をモチーフとし、当時の煉瓦を一部使用して、ほぼ原寸大で再現したものです。」の解説があった。一部抜粋
遊歩道には玉川上水に架かっていた橋の欄干が残されているところが何か所もある。
三字橋(みあざばし)の欄干
欄干だけが残されているので橋、上水の流れはない。初台交差点の近く。
幡代小学校先の遊歩道
右側はすぐ甲州街道、上は首都高速4号線。この先で玉川上水遊歩道が首都高から離れ、尾根筋をたどって少し南の方へ曲がってゆく。
渋谷区西原1丁目あたりの遊歩道、新宿方向を振り返って
南方向へ曲がった玉川上水の流れがちょうどサインカーブのように急に曲がって北の方向に変わる場所がある。現在の地名でいうと渋谷区大山町と世田谷区北沢5丁目の境界あたり、五條橋付近。
五條橋のひとつ手前、四條橋付近、上水下流の新宿方向
このあたり地形のわずかな高低差を巧みに利用して、尾根筋の、付近でいちばん高い場所に水を通せるように苦心している。たしかにこのあたりに来ると周りの地形に必ず少しの下り坂があることに気づく。そして坂の上になる場所に玉川上水の跡がある。標高差でいえばわずか、10mにも満たない差なのだが。
流れが屈曲した地点でちょうど渋谷区から世田谷区に入り、玉川上水第二緑道に名前が変わる。
玉川上水第二緑道
この先は京王線笹塚駅へ。駅の近くは暗渠ではなく、流れが見られる場所がある。
笹塚駅近くの開渠部分の流れ
この水は多摩川から流れてきたものではないが、付近の湧水を流しているとの情報があった。流れの量は少ないがきれいな水であった。
京王線笹塚駅で玉川上水は跳ね返るように向きを変える。笹塚駅の西側の流れ
しばらく行くとまた暗渠になってしまう。上が緑道。
その先環七通りを歩行者もまた地下道(暗渠だ)で潜り抜け、反対側へ出ると京王線代田橋駅ホーム直下でまた流れが顔を出す。木の向こうが駅のホーム。
公園の向こうのアーチ橋の下に流れがある。
近づいてみた
さらに代田橋駅ホームの真下から
流れはちょっと先の甲州街道の下から出てくる。遡って歩いている場合、これより上流では当分流れをみることはない。
甲州街道(国道20号)に出て西にすすむ。世田谷区から杉並区にはいる。大きなタンクの見える(東京都水道局和泉水圧調整所)松原交差点を右折するとすぐ左側に遊歩道がある。ここが玉川上水のかつての流れになる。玉川上水公園と名付けられている。
玉川上水公園から
ここは短い距離ですぐに京王井の頭線をまたぐ陸橋にぶつかる。
井の頭線の陸橋(光線が悪いが)
人が通るための橋の向こうを横切っているのはかつての玉川上水の導水管。
近くに寄って、フェンスのすぐ向こう側の円筒状の物体が導水管
もちろん江戸時代のものではないが、新宿の淀橋浄水場が現役の時代にはそこへ送られる水が流れていた。いまは使われていない(はず)。
明治大学の門の前で甲州街道に合流し、西へすすむと松原2丁目交差点あたりから北側に緑地帯が現れる。最初は首都高の高架で影になり、全然冴えた緑地ではないが、しばらく行くと高速道路と離れていく。玉川上水第三公園という流れに沿った長い公園が続いていく。
左側が玉川上水第三公園、杉並区下高井戸2丁目付近
杉並区下高井戸3丁目付近
このあたりで玉川上水第二公園となり、再度甲州街道と首都高4号線にぶつかるまで流れに沿って公園が続く。
甲州街道(国道20号)にぶつかるところで、国道の上を通っていた首都高(というかここらへんからは中央高速道)が右に分かれる。ここから玉川上水の浅間橋までの間は、中央高速建設時に道路をかつての玉川上水の流路上に建設することになった区間なのである。上水は暗渠化され、そこへ中央高速の高架が建設されて現在に至っている。この区間、黙々とただ歩く。
途中1枚だけ
浅間橋にさしかかると中央高速道の高架は左に離れてゆき、一息つける。この先は都立玉川上水緑道として整備中の区間となる。
玉川上水の流れが暗渠に吸い込まれてゆくところ(完全に光がはいってしまい見にくい)
ここ浅間橋の地点まで流れてきた玉川上水の水は、この先暗渠で中央高速の下を流れ、環八との交差点で環八の下を流れて、井の頭線高井戸駅付近で神田川に放流されているとのことである。
玉川上水緑道の入口で
右側に新しい道路の整備中、それにあわせて歩道(緑道)のほうも整備されている。この先三鷹市との境、牟礼橋付近まで新たな車道ができる(できてしまう)。道路工事はもう少し経つと開通できそうなかんじであった。
歩道はここを歩いた時点では、この先岩崎橋下流側と牟礼橋下流側の2か所で迂回する必要があったが、その他の場所はすでに整備済みとなっていた。ただ、両岸とも工事中の区間が多く、味気ないところもあるのは確か。
兵庫橋から見た玉川上水、下流側
牟礼橋まできて、交通量の多い人見街道
ここから三鷹市にはいる。
牟礼橋に沿ってある「どんどん橋」(旧牟礼橋)、手前レンガのアーチ橋
ここから先、井の頭公園にかけては舗装されていない歩道がずっと続く。土、この季節ならば落ち葉を踏みながら歩くことができる。気分よく三鷹駅まで一気に歩くことができた。
長兵衛橋を望む
三鷹市井の頭1丁目付近で
新橋、の先あたり。井の頭5丁目付近
同じあたりの紅葉
井の頭公園にはいって、左側が競技場、右柵の下に玉川上水の流れがある。
競技場に向かって
萬助橋の交差点と欄干、この写真の後ろに井の頭公園の入口。つまり井の頭公園を出たところ。
ここから三鷹駅までは一直線。途中、太宰治がうんぬんという場所はまたもや気づかずに通り過ぎてしまった。数か月前に三鷹駅の方から井の頭公園に向かって歩いたときも気づかなかった。まあ、縁がないということで。
むらさき橋の交差点と欄干
三鷹駅南口近くにて
橋は「三鷹橋」、橋の向こうで駅のホームの下を、暗渠で水が流れる。駅北口の先はまた流れは顔を出している。
ちょうど駅前に着いたので本日はここまで。
三鷹駅南口
この日は18.8km歩いた。紅葉が全部落ち葉にならないうちに次を歩く。