散歩の途中

散歩しながら観察して記録してちょっと調べて書くノート

田村通り大山道を歩く その1 東海道藤沢宿から伊勢原まで

大山道(おおやまみち・おおやまどう)歩き、はじめました。
手始めは田村通り(たむらどおり)大山道。

まず大山と大山道についてごく簡単に。

神奈川県、丹沢山地東部にある大山は阿夫利山、雨降山(いずれも、あふりやま)とも呼ばれ、阿夫利神社が祀られている。古くから山岳信仰の山で、江戸時代には大山講が盛んになり、大山への参詣者が急増した。
大山道とは大山への参詣者が通った、関東、甲州などから大山へつながる複数の街道の総称である。主要なものは8道あるとされる。

 

田村通り大山道は大山道の中で最も主要とされ、最もにぎわいをみせた経路とされている。(by Wikipedia・大山道)

東海道藤沢宿の西方、旧辻堂村四ツ谷から分岐して西へ進み、相模川を田村の渡しで越え、伊勢原を通って大山へ通じる。
この街道がにぎわった理由は、大山への参詣を終えた後、江ノ島の弁財天に詣で、鎌倉、金沢八景などの景勝地を巡る経路が当時一般的になった事による。大山からの田村通大山道は、藤沢宿をはさんで江の島に続く江の島道に通じるためだ。

今回は江の島道、現在の藤沢の市街で遊行通りと呼ばれているあたりから歩き出し、旧東海道藤沢宿を通って四ツ谷に向かい、そこから田村通り大山道を伊勢原までたどった。大山まではまだたどり着いていない。

田村通り大山道足あと(藤沢から伊勢原まで)

藤沢駅北口のペデストリアンデッキを下りるとすぐ遊行通り、駅前からすぐに昔の道をたどれる。

遊行通りから

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この通りは東海道藤沢宿遊行寺橋から分かれる江の島道の一部。その藤沢宿遊行寺橋が描かれた広重の浮世絵が掲げられている。

江の島道にも庚申堂(本尊は木造の青面金剛立像、「次の御開帳は2040年です」なんて書かれていた)があったり、古い建物や、杉山検校が建てたといわれる道しるべが残っていたりする。
それほど長い街道ではないが、改めて歩いてみてもおもしろそうだ。

江の島道沿いの古い蔵、商店

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江の島弁財天道標

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十数基確認されている杉山検校建立とされる道標のひとつ。
正面に「ゑのしま道」、右面「一切衆生」、左面「二世安楽」と刻まれ、江の島道をたどるすべての人の現世、来世での安穏、極楽への願いが込められていると解説板にはあった。

遊行寺

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東海道と江の島道の分岐点。橋を渡るのが東海道、向こうへ行くと遊行寺清浄光寺)、さらに江戸方面になる。

橋の向こうは道路工事中。(なぜかここを通るときは橋と寺の間で工事をやっているというジンクスがある)
この日は遊行寺山門の手前まででUターン

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再び遊行寺橋を渡ってまずは旧東海道を西へ歩く。藤沢宿での寄り道は今回無しで。

旧東海道、白旗交差点付近

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国道1号(藤沢バイパス)との合流、四ツ谷交差点

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手前が旧東海道に相当する道で、従来は左の歩道あたりを通過して左向こうへ延びていたのだろう。植え込みの大きな木の向こうが東海道と大山道の追分になる。

国道1号を渡ってそちらへ回り込む。
田村通り大山道入口

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左端が東海道(現国道1号)で間に四谷不動、大山道には大山前不動、一の鳥居が立つ。

四谷不動、不動尊坐像の載った道標

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国道側を向いている解説の文字。

四谷不動(大山道標)
東海道と大山道が交差する四谷辻に建てられていた道標で、大山不動尊の下、正面に「大山道」、両側面に「これより大山みち」とあります。延宝四年(一六七六)に江戸横山町の講中が建てたものです。堂外の道標が初代のもので、万治四年(一六六一)に江戸浅草蔵前の講中によって建てられたものです。江戸時代を通じて、江戸町人の大山参詣が盛んでした。四谷辻には多くの茶屋が立ち並び参詣客を誘いました。今でも七月一日の大山開きには、四谷町内会の年中行事として、辻堂元町の宝珠寺の住職のもと護摩供養が行なわれています。
平成五年二月 藤沢市教育委員会

大山道側、天狗の面がかけられている一の鳥居

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大山は天狗信仰も盛んで、この面は1960(昭和35)年の鳥居改修の際にかけたもの。
初代の鳥居は1661(万治4)年に建てられている。
鳥居向こうへ続く幅のせまい道が古道感あって良い。

この鳥居をくぐるとすぐに幅の広い新しい道と交差する。その先ですぐ道が分岐、そこに地蔵尊の祠がある。

分岐点に祠

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お地蔵様の下の石柱は道標のようだが、風化が激しく読みとれない。
現在の地図で見れば左が大山道、そちらへ進む。右は何の道だったのかは結局分からなかった。

しばらく細い道を行くと改修された県道に合流する。改修されたといってもずっと直線にした程度で道幅はあまり広がっていない。合流点が藤沢市茅ヶ崎市のちょうど境界。

直線化された県道をほぼ西へ歩く

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この道は神奈川県道44号伊勢原藤沢線で、現代の田村通り大山道である。
左は旧道の名残りだろうか、すぐ先でまた合流している。(茅ヶ崎市菱沼1丁目付近)

大山道の先にお寺の赤い屋根

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赤い屋根は妙行寺。ここで道は右に少しカーブして小さな坂を下る。

その坂の途中に「松林村役場跡」の大きな碑がたてられていた。
松林村(しょうりんむら)は周辺7ヶ村が1889(明治22)年に合併してできた村で、1908(明治41)年に茅ヶ崎村などと合併して茅ヶ崎町ができるまで存在した村。

すぐに室田小学校前を過ぎると
神明大神の鳥居、古い大木、長屋門風入口のある旧家

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左右に横切っているのが大山道。鳥居からこの背後、新湘南バイパスが通るが、その先にかつての赤羽根村の鎮守であった神明大神の本殿がある。

鳥居横の大木はケヤキのようだが、だいぶ痛々しい姿になってしまっていた。きっと古い木で、大山詣での人々をも見てきたんだろう。

そこからすぐ先には
六地蔵

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赤羽根六地蔵堂とあった。堂の手前は墓地。

そこからわずかな距離で
本在寺

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高田熊野神社

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神社右側が大山道。

この一帯、古い集落、村の中心地だったのだろう。その雰囲気がよく残っている場所だった。
こういう場所を歩くのは楽しい。

そこからさらに西へ行くと新湘南バイパスの高架下を松風台入口交差点で横切り、バイパスの北側へ出る。

そしてJR相模線の踏切

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これを渡るとまもなく県道45号に合流。合流するとすぐに小出川を渡り、寒川町にはいって、歩く方角は北または北西へと変わる。

寒川町境界と小出川大曲橋

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県道45号(丸子茅ヶ崎線)に出ると道幅も広がり、交通量も格段に多くなる。その分、車の通行に神経を使わなければならなく、古い街道を歩いている雰囲気はなくなってしまう。

寒川町大曲から中瀬地区をぬけて一之宮まで来る。

景観寺前

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ここはT字路になっているが、右向こうへ折れる道は多摩川丸子の渡しを越えて江戸虎ノ門へ続く中原街道。また左向こうへ大山道、相模国一之宮寒川神社もあり、かつては一之宮の宿もあった交通の要衝だった。

大山道側へ宿内を進むと、現在は児童公園のようにもなっているが
梶原景時館跡、一之宮天満宮がある

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源頼朝家臣であった梶原景時(1140~1200)はここ一之宮を所領にしており、広大な館がこの付近にあった。
歴史音痴な自分のための備忘として、館は児童公園規模ではなく、この周囲数百メートル四方、館は「城」と読み替えたほうがいいと思う。

梶原氏館跡から先へ歩きだす。

国鉄相模線西寒川支線線路跡の緑道を渡る。近くには西寒川駅跡が六角広場として残っている。

その先にはすぐ目久尻川が流れているが、その堤防の直前に
一之宮不動堂(河原不動尊

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堂内には江戸時代初期の不動明王坐像、2体の供の仏像(童子像)が祀られている。内部は暗かった。
堂前には2つの解説板が立ち、左の板の前には上に不動像をのせた大山道の道標がある。その台座には正面に「右大山道」と大きく刻まれ、左面は「左江戸道」(現在の中原街道をさしていると思われる)とある。現在置かれている方角と逆になるので、元は道路反対側か違う場所にあったのだろう。

この後すぐに目久尻川を河原橋で渡るが、現在のこの地点は道路がクランク状になり見通しが悪く、歩道もない。交通量もそれなりに多いので要注意。

河原橋を渡ると目の前に圏央道の高架がそびえ、その向こう側は相模川の堤防になる。

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この区間、現在の道は相模川の流れに沿って北へと行くが、旧道はここから相模川の河原にはいって「田村の渡し」になる。

渡し舟も河原への道も消えているので、渡し場の北側に架かる神川橋に向かい、これを渡る。

神川橋上から、正面に大山を望む

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欄干の柱に「大山街道」。橋の上には所々渡し舟のレリーフもはめこまれている。

田村の渡しは橋の反対、南側にあったが痕跡はもうない。相模川右岸側がかつての田村(現平塚市田村)になるが、橋の下流側に現在「田村の渡場跡」の石碑がある。
そちらは相模川を歩いたときに記録していた。

miwa3k.hatenablog.jp

神川橋のたもとには八坂神社があり、境内には大山道の道標なども保存されている。

橋を渡って2つめの信号は旧田村十字路。交わるのはかつて八王子道と呼ばれた、旧国道129号の道すじ。ここで大山道は右折していったん八王子道にはいる。かつてはT字路だったためだ。

その交差点脇には十王堂跡碑、大山道道標などが残る。
旧田村十字路、大山道道標など

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道標は右に「右大山みち」、左に「左ふじさわ 江のしま かまくらみち」、「左大いそみち」とある。
隣りの石柱は文字が刻まれているが、上部が折れていることもあり内容は読みとれず。

このほかに十王堂跡碑、その解説板があり、解説では「江戸時代ここに(田村)十王堂が建てられていた。天文6年小田原北条氏と河越上杉氏が相模川で合戦、その戦死者を妙楽寺住職が弔い、十王堂一宇を建てた。」といったことが書かれていた。

右に折れた道はすぐ先のT字路で左に折れて、再び西方向へまっすぐ進んでいく。周辺は昔、見渡す限り田んぼだっただろうと想像される。

横内という地区に入り、御霊神社の鳥居の前を通過すると、東海道新幹線の高架を右にカーブしながらくぐり、渋田川にさしかかる。
かつての道は新幹線手前でカーブせず、真っ直ぐ渋田川にぶつかり、川を渡ったところで右に折れて川沿いを上流方向へ進んでいた。

新幹線高架をくぐった先で律義に旧道に沿う道へ出てみたが、あぜ道だった。

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前方の桜並木が渋田川の堤防。

今度は川沿いに上流方向へ、昔は道が続いていたそうだが、今は堤防の土手を歩くことになる。

渋田川土手上から、正面は大山

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歩くにあたって参考にした資料では、この橋を渡って対岸の土手を進め、とあったのだがちょっと疑わしい。(ここを渡ると渋田川を都合3回渡ることになる。でも資料どおりに歩いた。)

伊勢原市に入って渋田川の土手から離れると、下谷交差点。ここで藤沢、茅ヶ崎あたりで歩いていた県道44号(伊勢原藤沢線)に再び出る。

藤沢、茅ヶ崎市内では古道の面影がいたるところに残っていたこの県道も、伊勢原市内では現代の普通の自動車道。
でも歩道くらいつけといてくれや

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道路の先には大山。

小田原厚木道路を歩道橋で渡る(伊勢原インター近く)

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伊勢原インター入口交差点横は東円寺

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かつてここには舟を繋いだ松の木があったそうだ。現在の平塚市北部からこの一帯、歩いてきたところは水田が多かったが、昔は広く湿原、沼地も広がり、舟での行き来ができたのだという。おそらく大山道が整備される以前のことだろう。

ここに舟を繋いだということは、この先低地から台地へ上がっていくことを意味する。
寺の先から大山道(県道44号)には勾配が現れる。

少し先で、道標?

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道路左側電柱の下にも石でできた何かがまとめて置かれていた。

何回か坂を上がり下がりして、台地の上に出ると
八坂神社鳥居

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鳥居には「祇園社」とある。(市内には同じく八坂神社の伊勢原大神宮もあるので何か区別したほうがよさそうだ。こちらは沼目にあるので沼目八坂神社。)

神社参道の途中に庚申塔兼大山道道標が置かれているとのことだったが、この中には入らなかったので見逃した。
調べてみると、この神社には1303(応永10)年作といわれる銅鐘(県重要文化財)が残っているそうで、かなり歴史のある神社である。

鳥居の先で道は右に曲がり、そこから100mほど先のT字路を左折する。
その分岐(沼目団地入口交差点)に道標が残っている。

左大山道、右日向道と刻まれた道標

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日向道とは伊勢原市内にある日向薬師へ向かう道で、その先厚木市飯山観音へとつながる参詣の道である。

ここを左に折れると小さな谷を越える。
左大山道、谷へ下りて、また上る

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先へ上っていき、途中で右折する。桜台という現在の伊勢原市街地へ入る。

三福寺前

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ここの手前が五叉路になっており、その1つ、伊勢原駅方向への道が大山道の名残り。

大山道の名残り、伊勢原駅近辺にて

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道はこの先、奥に入って白い建物のところで途切れる。そこは小田急伊勢原駅である。

ちょうどきりがいいのでこの日はここまでとした。

伊勢原駅ホームから

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大山登山下車駅の看板。

さて大山道はこれから大山、山登りになるが、まだ先を歩いていない。

田村通りだけでなく、ほかの大山道も歩きたいけれど、その都度大山登山はきつそうなので、本音をいえば阿夫利神社までは1回で済ませてしまおうかとも…
どうしようかは思案中。