前回、鳩川のノート、足あと地図にも出していたので容易に想像がつくが、鳩川を歩いた2日目前半に支流でもある姥川(うばがわ)を歩いた。
姥川・鳩川足あと <前回鳩川その2のノートにも使用>
足あと地図中のアイコン、姥川・鳩川合流点から姥川最上流部までがこのノートの範囲。
JR相模線原当麻駅で下車し、鳩川と姥川の合流点を目指す。
原当麻駅前広場
駅前から住宅地を南の方向へ歩いて行くと、合流地点はそれほど遠くはない。
合流地点下流側から
鳩川遡上のときは右岸の道を歩いていたが、今回は対岸へまわりこんで反対側からの景色。
正面奥へ鳩川、右へ曲がって先の様子が見えないのが姥川。
合流地点さらに近くから
今回は右の流れに沿って遡上。全長6.5㎞の河川ということで距離は長くない。
姥川は鳩川の支流という位置づけだが、水量は鳩川よりも豊富。
枡田橋は県道52号(相模原町田線)が通っている。
再び原当麻駅近くに戻ってくる。
新中丸橋を望む
橋を渡っている道路は、左の方へ300mほど行くと駅だがその途中で鳩川をも渡っている。
合流する前の2つの川は、その間隔がさほど離れることがなく、また、どちらの川も気ままに蛇行しながら流れている。もっと上流で合流していても不思議ではない気がした。
下原橋から、横浜水道の送水管
相模原市緑区青山の道志川で取水した水を横浜市内の浄水場へ送っている。
橋を渡っているのは”横浜水道みち”の長い遊歩道、以前ここを歩いた時にも写真を撮っていた。
もう少し遡って下古山橋から下流方向
西に開けた場所から丹沢の山々
かじこ橋横にも送水管(相模原市中央区上溝)
先ほどは横浜市水道局の送水管だったが、こちらは神奈川県営水道の送水管(水管橋)のようだ。
そこから100mほど上流の人道橋から
その次の虹吹橋はまた横を送水管が通っている。今回は送水管がよく登場する。
虹吹橋から
こちらも神奈川県営水道のもののようだが、かじこ橋にあったものより管径が大きいので別系統と思われる。
田島橋から上流側
この右側(東側)はすぐに道保川公園で、道保川の源流域。
道保川も鳩川の支流で、鳩川分水路付近で合流している。合流直前で水の一部が鳩川下流側に導かれて鳩川そのものになってしまっていた、あの川である。
八幡橋という橋を過ぎた先、向こうにトンネルの出口。
トンネルから出てきた水が姥川へ合流
このトンネルが何者なのか、よくわからない。
たぶん雨水下水の吐口と思われ、相模原台地上面あたりの側溝などを通して集められた雨水をここに吐き出していると推測してみた。
というのも、トンネルの延長上にこんな場所があり
左上の建物に「公共下水道雨水吐き室」とあったからだ。
ちなみに向こうの森は相模原台地の上段面(相模原面)との境界の崖線。その下、中段面のこの場所は田名原面という名称。台地の上面が現在は相模原市の中心部になっていて、市役所、国道16号、横浜線なども通っている。
そして一番手前の管は、何かの送水管?、下水路の上を跨いでいる。(これもよくわからなかった)
そのすぐ先、藤橋から上流側
また出た、でかい送水管。
これは分かっていて、神奈川県営水道北相送水管といい、愛川町の中津配水池へ水を送っている管だ。管径は1000㎜。
その上流でJR相模線の線路をくぐる
人はちょっと迂回して線路反対側へ出る。
その少し先で再び先ほどの北相送水管が川を渡るのを見る。送水管はほぼまっすぐ通されているが、川が蛇行しているため、複数回川を渡る。
2度目の送水管は省略。それでなくても今回水色の管の写真が多い。
それからまもなく、上溝駅近くの商店街付近へ
先の橋は県道57号が通る姥川橋。
商店街などの先へ出ると、川はしだいに段丘崖の直下へ近づく。先ほども書いたが、相模原台地の最上面(相模原面)と中段面(田名原面)の間にある崖である。
県道503号日金沢橋から下流方向
左側が崖になって、ここを通る県道も左へ向かって急な上り坂となる。
この橋の欄干には照手姫(てるてひめ)のレリーフがあった。「戦国の世、この地に住んだと伝わる横山将監の娘照手姫は、この沢のほとりから湧く清水をつかい、日に日に紅かねをつけ粧いをこらしたという」と書かれている。
相模原市ホームページから引用
照手姫は、江戸時代に歌舞伎(かぶき)などで広く知られた「小栗判官物(おぐりはんがんもの)」の主人公です。市域では横山段丘崖(だんきゅうがい)を中心に、照手姫と小栗判官にまつわる伝承が残されています。 姥沢(うばさわ)地区は照手姫誕生の伝承を現代に伝える地です。
姥沢は横山丘陵緑地近くの地名。
川はさらに横山丘陵緑地を流れる
まあ、川の反対側は現在住宅地ではあるけれど
崖下からは湧水が豊富にあるようだ。その湧水が流れ込んで川となっている。
せどむら橋を渡った崖下に庚申塔、地神塔などなど
せどむら橋たもとから
向こう側の護岸は玉石を籠(金属の網だけど)につめたもの。崖側から湧き出す水を通りやすくしている。
横山丘陵緑地の上流側へ出ると、中央に溝が切ってある河道へと変わる
水量がずいぶん少なくなったようにみえてしまう。
そしてまもなく上流端
正面、ゲートの向こうから水が流れてくる。トンネル内部の様子はわからない。
トンネルの上は数十メートルの区間、暗渠があるようだが、ものすごい草の量で様子をうかがうことはできなかった。
暗渠部の向こうはすぐに
国道129号作の口陸橋、交差点。
ここで完全に痕跡を見失う。結局ゲートのあった、流れの見えたところが確認できた最も上流となった。
後から調べたところ、トンネルの中を流れてくるのは周辺の雨水下水が集まった水で、行政的には「姥川第一雨水幹線」と呼ばれ、出口ゲートはその吐口となっている。
姥川はここまで。
この日はこの後、すぐ西側を流れる鳩川へと移って源流へとたどったのだった。
時系列的な続きはこちら鳩川の久保橋から。