山梨県上野原を起点に妙に流れのゆるやかな川や相模湖などの水辺を見ながら相模原市緑区中野(旧津久井町の中心地域)まで歩いてみました。
その1は途中の甲州街道吉野宿あたりまでです。
駅南口から
左建物は駅連絡用のエレベーター棟です。駅ホームが河岸段丘の途中にあって大きな段差があります。
南口側はホームから建物の4,5階分下りてくる形ですが、北口からはもっと段差の大きな上り、長い坂道、階段が立ちはだかります。
南口正面から北側を
正面の段丘上に市役所など町中心部があります。上がってしまえば上は平坦なようです。
そちらも旧甲州街道など通っているので機会があれば訪ねてみたいです。
この日は反対側へ歩きます。駅南口からほど近いところで桂川を渡ります。
渡り終わってふり返り
道路わきの標識を見ると大きく「相模川」とあってその上に付け足しで「通称 桂川」なんて書かれてます。
たしかに相模川の上流部ではありますが、甲州に入ったら別に相模川じゃなくてもいいんじゃないのなんて思いました。
下流に相模湖(相模ダム)があって水がせき止められている影響でこのあたりからは流れがなくなり、島田湖と呼ばれる湖に変わっています。
相模湖への連絡水道
とはいえ向こうがすぐに相模湖というわけではなく、昔からの河道が続いています。でも流れがほとんどないので細い湖がずっと続いているような状態。
余計な事を言えば、桂川の流れがこのへんで急に緩やかになるため、運ばれてきた土砂が大量に堆積します。この湖では常に浚渫が行われていて、下に頭の見えるのが浚渫船、土砂はダンプに載せ替えて、処分場がすぐ隣りにありました。
島田湖見納め
足元はすでに神奈川県、相模原市というより2006年までの旧町名、藤野町のほうが自分にはしっくりきます。〈神奈川県に住んでた期間がいちばん長いもので〉
近くの石楯山を巻く道を通り、いったん山のなかに入って樹木で視界が遮られます。
すき間から下は(神奈川へ入ったので)相模川、流れはありません
いつ降った雪だろう?
日陰にはあちこちに残ってました。
進んで。下に見える2つの橋、手前は弁天橋、遠くは日連大橋
川向こうは藤野の町、山を隔てるように中央高速道が通ってます。
道ばたに現代彫刻が置かれていました。
「あなたと…明日の空の色について」というタイトルの作品
まだこのあたりが藤野町だった頃、町は芸術振興に力を入れており、その一環ですね。
いろいろな作品が町のなかに置かれています。中央高速道などから見える大きなレターのオブジェ「緑のラブレター」がありますが、それも。近くのスポーツ広場入口ゲートも凝ったつくりになってましたが、それも?
先へ行くと下り坂になり、見えてきたのは秋山川
こちらも湖のようになってます。
遠くに見えるのは丹沢の山々、こちらからだと裏丹沢といわれるほうだと思いますが、詳しくないもので…。
坂を下っていったところにトンガリが3つ。ここにも芸術作品が。
「両側の丘の斜面」というタイトルです
⇩左の斜面なんかがモチーフなんでしょうか?
秋山川ごしに
手前はつり用ボート。
相模川との合流近く、秋川橋上から
ふり返って
下は秋山川ですが、橋名は秋川橋。
川を渡った先は日連(ひづれ)というところ。〈日蓮ではない〉
先へ歩くと『日連橋』へ
橋には「相模川」と書かれていましたが本流ではなく別の沢がつくった谷を跨いでいます。わりと新しい橋で脇に谷を巻く旧道が残っています。崩落で通行禁止でしたが。
日連橋上から2枚
一部が写っている橋はこの先渡る勝瀬橋。
こちらは2橋、黄色の吉野橋(甲州街道)、奥に新吉野橋(中央高速)
それぞれの下を流れるのは陣馬山の方に源がある沢井川、手前、水が見えるのは相模川。
勝瀬橋近くへ来て
橋たもとから上流方向
このへんからは川幅がぐっと広がって、相模湖です。
勝瀬橋
橋上から下流側の相模湖
右側、崖にあるのは旧橋の橋台。
調べてみるとそちらに架かっていた先代勝瀬橋は1959年竣工の日本最初の斜張橋、〈写真で見ると〉美しい姿でしたが2009年に解体されてしまいました。道幅が狭く車の離合ができなかったようです。
橋を渡ると道は吉野交差点で甲州街道(国道20号)に出合います。交通量の多い現役国道を歩く気がしないので近くで分岐している旧甲州街道(甲州古道)に入り、少し山側を迂回して進むことにします。
旧甲州街道に入るといきなり急坂
木の標柱が立ってます。「甲州古道吉野宿高札場」と記されていました。
古い時代の面影はあまり残っていないようですが、この付近が甲州街道の吉野宿跡なのですね。
旧甲州街道を少し江戸方へ向かって歩きますが、ノートのほうはここでいったん休憩です。