前回の続き、後半部です。
相模原麻溝公園から先、横浜方向へ進みます。
こちらは麻溝公園内の花壇
水道みち緑道は園内をこのように通り抜けていきます
👆👆の塔はグリーンタワー相模原、高さ55m
相模原麻溝公園をぬけるといっとき野生を取り戻し?
その後、今はほとんど住宅地となった地域を通過します。
一般道から分けられた専用の緑道として先へ〈やっぱり直線で〉のびていきます
相模原市南区双葉2丁目付近
同じく
もう少し進んで市道を横切った先、右側に米軍住宅のフェンスが現れます
緑道は先へ伸びていきますが米軍住宅内に取りこまれて行き止まりになります。
でも送水路水道管はそのまま米軍住宅敷地内を直進しています。
水道管の敷設は1887(明治20)年頃、1950(昭和25)年に接収されて米軍住宅となる前の旧日本陸軍施設が開設されたのは1939(昭和14)年ということで水道管がずっと早かったのですね。
こちらは緑道が行き止まりになっているポイントではありませんが米軍住宅との境界
東側へまわり込んで正門ゲート前
水道みちが米軍住宅敷地から出てきたあたり(南区南台4丁目)
奥の方にフェンスがありますが目隠しないので内部まで見通せてます。
ほぼ同じ位置から反対方向
先へ進むと小田急小田原線踏切があります(南区南台3丁目)
手前に見えるマンホールには「横浜市」の文字があり、横浜水道関係のものだと分かります。
踏切の先(南区東林間3丁目)
このへんは歩くための道というより長細い公園、広場といった感じになってます。この両側に一般道も設けられてます。
「水道みち」の標柱
横には
明治二十年に完成した横浜水道はそのまま「水道みち」と呼ばれて人々に利用されました。またこの道に沿って「水道新開(中村新開)」が開かれています。
👆で前を横切る道路から左を見ると
これは横浜水道とは無関係ですが
「東林間の窪み」と勝手に呼んでる窪地です。その真ん中を道路が通っているのでこんなふう(下ってそれからまた上がる)に見えます。窪みの底にある東林間五丁目交差点に立つと道路4方向とも先が上りになっているのがわかります。
この窪地、地図で確認すると差し渡し250mほどのほぼ円形、窪みの深さは3~4m程度でしょうか。料理などで使う丸小皿のような形の窪地です。
相模原台地のこの周辺にはおそらく地下水の影響でできた窪地がいくつかあります。その一部は沼地になっていたものもありました。
水道みちに戻ります。
小田急江ノ島線東林間駅付近です
左駐輪場と足元の道の下に送水管が通って、道路、線路と斜めに交わってます。
線路の向こうも駐輪場になって同じような風景です。
さらに先へ依然まっすぐな歩道が続きます(南区上鶴間8丁目)
もう少し行くと大和市に入り(大和市中央林間9丁目)
右手前は水道みちに26ヶ所ある「トロッコ」の歴史看板のひとつ。
水道みち《前半》部の冒頭にも書きましたがトロッコの歴史とは
水道管敷設にあたってその資材、機材の運搬手段としてルート上にレールを敷きトロッコを使用したことを言っています。
ここは三井用水取入所(取水口)から24㎞、12番目「下鶴間」の看板になります。
看板の左奥に置かれているのは「仕切弁」、導水管内の水をとめるための弁です。
1911年イギリス製、36インチ(910mm)横型仕切弁といい、大正時代に行った拡張工事時に設置されたものだそうです。
大和市に入ると「みち」の名称も「さくらの散歩道」と変わります。
その先は若干起伏を伴いますが整備された歩道



最後は下り坂で
東京都と神奈川県の境界となる境川に出ていきます。
水路開設当初、川をどのように渡っていたかは定かではありませんが
川沿いに近づくと(大和市下鶴間)
現在は4本の水管橋が境川を渡っていくのが見えます。
川沿いの歩道、大和市側から
手前側3本の管が横浜水道(手前から取水地別に道志川系、相模湖相模ダム系、相模湖沼本ダム系)、奥の1本は神奈川県内広域水道企業団の水道管。
いつの間に水道管4本、どこで集合したのでしょ? 〈いまだにわからない..〉
対岸町田市側へ渡ると再び地下に潜り、隣接する鶴間公園を通って東名高速横浜町田IC付近にある川井浄水場へ向かいます。
町田市側からの水管橋
〈逆光を無理やり加工しました〉
ここから見ると管は2本?
この日はここで水道みちから離脱してしまったのでおしまいにします。
何年か前に文字数がたくさん増えてながい駅名に変わった(元)南町田駅を最後おまけに
前半部