散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べてから書くノート

座禅川を歩く 平塚西部の穏やかな川

平塚市西部を流れる座禅川(ざぜんかわ)を歩きました。
同じ平塚市内を流れる不動川を源流近くまで遡った後、分水嶺をこえて座禅川の上流側へ、そこから川を下って歩き、金目川へ合流する場所までを見届けてきました。

座禅川、名前がユニークですが、丘から里へ流れ下る小さく長閑な川。里の穏やかな川沿いは気持ちのよいところでした。

座禅川・流路

青のラインが流路、本文中の写真番号と地図中の撮影位置を合わせてます。

 

不動川の源流から移動して座禅川の源流を目指しますが、途中に座禅川支流の源近くを通るので、最初にそこの様子を見に行きました。

平塚市びわ青少年の家というキャンプ場、屋外活動用施設の近くです。
字名が琵琶という地域、谷戸奥から小さな集落に向かって水の流れがあります。

(1)正面奥、谷戸の湧水が水路となってこちらへ流れています

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(2)集落へ流れ下って

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流れの名前はわかりません。勝手に名付けるなら「琵琶沢」でしょうか。この後周辺の湧水なども集め、近くの一般道に沿って流れ下って芳盛寺寺院近くで本流に合流しています。そのへんはのちほど。

ここに寄った後、本流の源流付近へ向かいます。

 

座禅川本流の源は平塚市土屋、七国峠付近とWikipediaには記されています。ハイキングコースの指導標に”七国峠”の文字があちこちあるので、この標示に従って歩きます。途中、草むらから野ウサギが出てきました。

七国峠も含め座禅川源流付近の丘陵地帯は現在広くゴルフ場として開発されています。その北側を通る道路を歩いて行くとゴルフコース側から流れ落ちてくる水が確認できました。

(3)ゴルフコース脇から道路下を通って谷間に流れ落ちる水

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わかりにくいですが、すべり台くらいの傾斜があります。側溝になっていて下の谷間に勢いよく流れていました。座禅川本流を形成する水の一部になっていると思われます。

 

その谷間に下りていく途中にひとつの谷戸がありました。

(4)座禅川本流の源近くの谷戸

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左側、篠やぶとの境界に細い流れがあるようです。これより上へは入っていません。

 

下流方向に道路を下るとすぐに水の流れる音が聞こえました。付近に”尼が滝”という滝があるようなので、そこの水音かもしれません。
でも滝へのアプローチ方法が分からず、近づくのはあきらめました。

(5)尼が滝付近にて

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向こうの森手前に谷間があり、そこに水の流れ、滝があるようです。

 

しばらく水の流れを確認できないまま下って行きますが、別の支流と合流した先、人家が見えはじめる場所まで来てようやく橋の上から本流を見ることができました。

(6)中入橋から下流側、本流ようやく確認

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200~300mほど下ると土屋霊園前バス停近くへ。
霊園方面から流れてくる別の支流と合流し、地形的にもこのあたりで傾斜地から里の平地に変化します。

(7)霊園方面からの流れをあわせたあとの座禅川本流

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下流方向を見ています。

この後100mくらい先でまた支流が合流します。

 

(8)琵琶方面からの支流との合流地点

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最初に琵琶地区で流れを見た支流の合流です。前方奥から手前にくる流れです。本流は右手前から左へ流れています。

左側には背後にある芳盛寺への橋、芳盛寺橋が架かっていて、寺院へ続く石段があります。

 

(9)石段の下に寺の由緒など

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高野山真言宗土屋山 芳盛寺
鎌倉幕府創設に功あった土屋三郎宗遠(1123年~1213年)の菩提寺として建仁4年(1204年)創建。創建時は阿弥陀寺と号す。
時移り土屋氏にかわって応永年間(1394年~)、関東公方(長官)足利氏満の庇護を受けたが、応永23年(1416年)の上杉禅秀の乱後、この地の領主となった大森芳盛の菩提寺となる。
寺の前を流れる座禅川の名の由来は、修行僧が川のほとりで座禅したことによる。(創建寺から壇林所(学問所)として栄えた名残である)

右側は『寺宝 真如法親王筆と伝えられる「弘法大師御影」』とあります。

真如法親王平安時代の人で、画風などからすると室町時代頃の作と類推されるとのことです。(平塚市HPより)

 

(10)芳盛寺橋下流

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座禅川の名の由来も判明し、さらに下っていきます。

 

川は上流から芳盛寺付近まで古いブロック積みの護岸がありますが、少し先へ下るとそれもなくなってしまいます。

(11)両岸のブロック積みはなく、なだらかな護岸に変わる

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(12)昔ながらの自然の川といった感じ

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改修は行われているようですが、素朴な自然の川の雰囲気。

 

(13)住宅地域を通過します

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川の様子はあまり変わりません。

 

(14)小さな堰の下流側から

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所どころ補強はされていますが都市河川のようなガチガチの改修はされていません。たぶんいつも穏やかな川なのでしょう。

 

季節の花もあちこちに。

(15)この季節は紫陽花

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(16)紫陽花2

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紫陽花のほかにもいろいろ小さな花も咲いていました。そのほか桜の木なども植えられています。

 

金目川との合流点が近づいてくると周囲は水田が目だってきます。
(17)たんぼ

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田んぼの向こうに金目川の土手、その向こうは丹沢の山。

 

(18)水田地帯を流れる座禅川

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金目川から用水を取り入れて水田を潤し、その余水が座禅川へ流れ込んでいました。

 

(19)金目川合流近く

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左向こうの土手が金目川のものです。右の橋の先で合流します。

この近くでもうひとつ三笠川という小さな川が座禅川に合流しているはずですが、見逃したようです。

 

(20)金目川合流地点を座禅川川上から

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向こうの広い河原は金目川です。この先は金目川として流れて行きます。
遠くに見える橋は金目川に架かる水管橋だったかな?、人や車は渡れない橋です。

座禅川はここまでです。源流からの距離はおおよそ4㎞といったところかと思います。

 

(21)金目川の土手から合流点方向

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鮎釣りの人がいました。

座禅川合流地点は見えてないのですが、右端のコーナーあたりになります。

 

帰りは金目川を少しさかのぼり、いちばん近い橋、土屋橋を渡って東海大学方面へ出ました。

座禅川流域のほとんどすべては土屋という地名、鎌倉幕府御家人でもあった土屋三郎宗遠を祖とする土屋一族の苗字の地ということになります。菩提寺であった先ほどの芳盛寺をはじめ、土屋一族の墓、土屋城址なども周辺に存在しており、そのあたりの歴史をからめて歩くってのがこのあたりでは一般的なのでしょうか。

 

この日はこちらとセットで歩いています。

miwa3k.hatenablog.jp

以前、金目川を歩いたとき、一瞬座禅川の名前が出てきていました。

miwa3k.hatenablog.jp