散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

逗子から鎌倉名越、浄明寺、二階堂、今泉を経て横浜市南部まで歩く

久しぶりに鎌倉周辺を歩きました。尾根を越え、谷を横切り、アップダウンの連続ルートです。

スタートは京急新逗子駅

f:id:miwa3k:20200316113549j:plain

最近駅名変わって「逗子・葉山」になってるはずです。葉山ぢゃないけど。

 

逗子海岸に寄り道

f:id:miwa3k:20200316113558j:plain

 

海岸から北上、横須賀線線路沿いに進みます。
線路が名越のトンネルに入る手前で法性寺(ほっしょうじ)の境内へ。

門の手前から

f:id:miwa3k:20200316113605j:plain

山名、猿畠山(えんばくさん)といい、山門扁額両側に白い猿があしらわれています。
日蓮が白猿に導かれ難を逃れた岩窟の地に建立された寺だそうです。

 

境内に入ると急な坂道、階段を上がります。鎌倉七口のひとつ名越切通しへつながる道です。

階段の途中振り返り

f:id:miwa3k:20200316113613j:plain

下の屋根は法性寺現本堂、遠くに葉山二子山。

 

坂を上がりきると奥の院

f:id:miwa3k:20200316113622j:plain

手前、日朗*1菩薩御廟所となる四面堂、中央は祖師堂、その左にあけられた岩窟(やぐら)は日蓮が避難した場所といわれています。
鳥居、石段の上は法性寺鎮守である山王権現祠があり、塔の先が見えています。

 

奥の院のさらに奥は墓地、その先名越切通しからの尾根道へ

f:id:miwa3k:20200316113631j:plain

 

その尾根道近くに
お猿畠の大切岸(おさるばたけのおおきりぎし)

f:id:miwa3k:20200316113641j:plain

これは一部分です。
長さ800m、高さ3~10mほどの断崖が尾根に沿って続いています。鎌倉幕府が三浦一族の攻撃にそなえて築いた防衛遺構とされてきましたが、近年の発掘調査で大規模な石切場の跡と確認されました。
「お猿畠」とは法性寺の白猿伝承に因むものです。〈付近の解説板から抜粋〉

 

また尾根沿いには
石廟2基

f:id:miwa3k:20200316113648j:plain

鎌倉時代後期から南北朝時代の間に作られたとされ、鎌倉市指定文化財です。

 

尾根に沿って逗子市、鎌倉市境界。計画ではこの石廟近くで尾根を越えて鎌倉市大町7丁目方面へ下りる予定でしたが、その道が見つかりません。地理院地図では「幅員3.0m未満の道路」として描かれているのですが。

計画変更、逗子ハイランド住宅地へ大切岸上の尾根道を進みました。

ハイランドから報国寺方面への抜け道あたりで(鎌倉市浄明寺6丁目)

f:id:miwa3k:20200316113655j:plain

ここに1本近道(車は通れない)があるので非常に都合がよいのですが、入ってみると昨秋の台風被害の復旧作業中で通行禁止の立て札がありました。でもちょうど作業の休憩時間中、運よく通ることができました。

 

浄明寺2丁目付近の谷間の道へ出て

f:id:miwa3k:20200316113702j:plain

 

この道を下っていくと旧華頂宮邸前を通過します。

華頂宮邸、門の前から

f:id:miwa3k:20200316113710j:plain

1929(昭和4)年に華頂博信侯爵邸として建てられました。
建物内部は通常公開されてませんが、庭園には入れます。休園日以外は…
2020年春の建物公開は中止だそうです。

 

ということでフェンスのすき間から 行儀悪い

f:id:miwa3k:20200316113717j:plain

 

後ろのフランス式庭園

f:id:miwa3k:20200316113726j:plain

さらに後方には日本家屋、無為庵という茶室もあります。

 

道を下ると金沢街道(県道204号)に出ますが、その手前に

報国寺、山門前

f:id:miwa3k:20200316113733j:plain

こちらは竹林の庭が有名なお寺です。門前にて失礼。

 

北側、浄妙寺方面へ歩き、丘上の住宅地をぬけてそのまた北側へ出ると二階堂。

護良親王墓入口付近から

f:id:miwa3k:20200316113741j:plain

長い2つの階段(168段)をあがった奥に墓がありますが、パスしました。

 

手前にひいた位置から

f:id:miwa3k:20200316113749j:plain

〈Myメモ〉護良親王(もりながしんのう、もりよししんのう)は後醍醐天皇の皇子、建武の新政下の征夷大将軍足利尊氏と反目して鎌倉に幽閉、中先代の乱で殺された。

桜の左に見える石碑は「理智光寺址碑」。理智光寺(りちこうじ)という寺院が明治はじめまで存在していたそうです。

 

小さな橋を渡ると永福寺跡へ出ます。

橋のうえから

f:id:miwa3k:20200316113801j:plain

 

永福寺跡

f:id:miwa3k:20200316113808j:plain

大きくて全体を俯瞰できませんが、ここに3つの堂をもつ伽藍がありました。その前面にあった池から奥を見ています。

〈解説から抜粋〉永福寺源頼朝が建立した寺院。源義経藤原泰衡など奥州合戦戦没者の慰霊のため、平泉の二階大堂大長寿院を模して建久3年(1192)、工事に着手した。
鎌倉市は発掘調査を行い、中心部の堂と大きな池を配した庭園跡を確認、堂は二階堂を中心に左右対称で、北側に薬師堂、南側に阿弥陀堂の両脇堂が配され、東を正面とした全長130mに及ぶ伽藍、前面に100m以上の池が造られていた。

 

中央、二階堂跡

f:id:miwa3k:20200316113818j:plain

解説文(日本語部分のみ)

二階堂
三堂の中心の仏堂で、大きさは正面約19.4m、奥行約17.6m、周囲に幅2.4mの裳階(もごし:差掛の庇)を付けた本瓦葺であったと考えられます。基壇は全国的にも極めて珍しい木製で化粧されており、大きさは正面が約22.5m、奥行が約20.6m、推定の高さは70㎝でした。正面と両側面に階段がありました。堂の本尊は釈迦如来と考えられています。

この周辺の地名、「二階堂」はここからきています。

薬師堂、阿弥陀堂、門などは省略。

 

永福寺跡から東、山側へ入ると瑞泉寺、西、街中方向へもどると鎌倉宮です。

鎌倉宮入口の鳥居前

f:id:miwa3k:20200316113828j:plain

 

拝殿手前

f:id:miwa3k:20200316113836j:plain

創建は明治2年、祭神は護良親王(大塔宮)。

このあたりへ来ると鎌倉観光のメインコースにも近いのですが、人出はそれほどありません。

 

鎌倉宮参道を戻ると八幡宮方面ですが、

北の覚園寺方面への道から

f:id:miwa3k:20200316113845j:plain

右手は茶室のようです。

 

石仏のたくさん置かれたところから細い脇道にそれ、天園ハイキングコース入口(覚園寺口)を入ります。

f:id:miwa3k:20200316113853j:plain

 

しばらく行くと通行止

f:id:miwa3k:20200316113901j:plain

昨秋の台風の影響でしょう。
あの台風以来何か所か森や低山に入ってますが、折れたり傾いた木、根をあらわにした倒木、土砂崩れなどをあちこちで見ました。鎌倉も例外ではありません。

2020年3月現在、鎌倉市内ハイキングコースは全面通行止になってます。

 

仕方ないので一気にジャンプ。

着地点をちょっと誤り、ハイキングコースの尾根道(なんだこの勝手なゆるさは)

f:id:miwa3k:20200316113909j:plain

向こうは今泉の住宅地です。

 

住宅地を通って散在ガ池森林公園へ向かいます。

住宅地内緑道から(鎌倉市今泉台5丁目)

f:id:miwa3k:20200316113916j:plain

 

森林公園に入り、遊歩道を進むと緑色の池が見えてきます。(こちらは通行禁止ではありません)

鎌倉湖(散在ガ池)の水面

f:id:miwa3k:20200316113926j:plain

f:id:miwa3k:20200316113936j:plain

周辺の農業用水を確保するため江戸時代に開かれた人造湖です。
現在は無用となりましたが残され、公園として保護されています。

湖の北側で水面近くに出られます。

流れ出す水

f:id:miwa3k:20200316113945j:plain

少しのぞいている橋の向こうは湖面。

 

散在ガ池森林公園をぬけてさらに北へ歩くと鎌倉市横浜市の境界、それに沿って尾根、散策路が通っています。

尾根の道から

f:id:miwa3k:20200316113959j:plain

右から来て正面へ向かいます。

案内標識の下には「倒木による通行危険箇所あり」、地図写真入りの周知が出されていました。

 

歩いて行くと道は森をぬけ、鎌倉パブリックゴルフ場に沿っていきます。

ゴルフ場と反対側の住宅地へ階段を下ります

f:id:miwa3k:20200316114015j:plain

下ると横浜市栄区桂台南、大規模に造成された住宅地です。

 

北へ向かって進んでいくと大きな調整池が現れます。

桂台の住宅と調整池

f:id:miwa3k:20200316114025j:plain

 

元々谷戸地形だった場所、水が湧き、流れができます。谷戸口側へ向かって小さな散策路がつけられていました。

谷沢堀小川アメニティにて

f:id:miwa3k:20200316114038j:plain

この小さな流れは北側を流れる㹨川(いたちがわ)に合流しています。

 

㹨川稲荷森水辺広場付近

f:id:miwa3k:20200316114047j:plain

ここまで歩いてきた疲労が出てきて集中力も途切れがちになりました。

㹨川は以前歩きましたし、そろそろ帰ります。

いたち川を歩く 柏尾川合流点から源流のひとつへ - 散歩の途中

 

帰途、長い上り坂に出合ってしまいました。ふり返りつつ(横浜市栄区若竹町)

f:id:miwa3k:20200316114058j:plain

 

さらに洋光台駅まで歩いてる(磯子区洋光台4丁目)

f:id:miwa3k:20200316114110j:plain

 

足あと地図

 

*1:鎌倉時代日蓮宗法華宗の僧。日蓮六老僧の一人