近頃単独ではまとめにくい小ネタ在庫が増えつつあり、カテゴリー別に整理を考えました。
まず鉄道ジャンルからです。ゆる~く見てください。
1.相鉄新線 西谷駅・羽沢横浜国大駅あたり
神奈川県内を走る相鉄線、JR乗り入れで都心直通がはじまるのですが、開始が2019年11月30日と決定しました。
途中の西谷(にしや)駅から線路を延長し、JR貨物横浜羽沢駅付近に駅を新設してJR線に乗り入れます。
工事や駅の様子を通りすがりに見ました。写真は19年6月~7月です。
西谷駅ホーム端付近
この背後へ横浜方面、羽沢方面新線と分かれた線路がそれぞれ延びています。新線はその先トンネルに入り、次の羽沢横浜国大(はざわよこはまこくだい)駅までずっと外に出てきません。
西谷の素材これだけ。通りすがりなもので…
トンネルの中を勝手に通るわけにはいかず、丘陵を越えて羽沢を目指します。
丘の上は長閑です
横浜野菜ってブランドがあるんですかね? 幟はにぎやかですが畑にまだ野菜はできていないようです。
正面谷間がJR貨物横浜羽沢駅、相鉄羽沢横浜国大駅
坂道を下りたところに相鉄の新駅ができます。谷の向こう側には住宅がありますが、こちら側はそれほどでも。
相鉄新駅を遠景で
正面に近い茶色っぽい建物手前が駅入口。右側一帯はJR貨物の駅です。
相鉄の駅ホームは地下にあります。
新駅周辺の道路は整備がほぼ完了しているようですが、それ以外の整備はこれからのようです。
羽沢横浜国大駅
駅入口付近から
駅名の入った看板などは据付済、すでに関係者などへのお披露目は済んでいるみたいです。
駅舎、現在はこんなかんじ
建物外観はほぼ出来上がってますが、内装、周辺はまだです。
JR接続線方向
遠くに線路が見えているのが上り方向JR接続線、駅を出て地上に上がってきます。下り方向線路は貨物駅の下をくぐってくるので見えません。すでに両社の線路はつながっているそうです。
それと、ここは2022年に東急線との相互乗り入れも予定されており、そちらへの新線トンネル建設工事も行われています。
幅の広い貨物駅をまたぐ橋は以前から存在していました。この橋がないと貨物駅反対側からはアクセスが大変そうです。
そして駅名にも採用された横浜国大はこれを渡った先にあります。この橋がなかったら駅名も違うものになっていたのでは?
跨線橋を渡ってから相鉄新駅方向
向こうの黒っぽい建物が相鉄線新駅駅舎です。
で、横浜国大ですが、跨線橋を渡ってからさらにひと山越えての道程となります。この駅を利用すると大学の北門から出入りすると思うのですが、かなり過激な坂道もあって。はたしてどの程度の利用者があるのでしょう。
横浜国大北門付近
なんでこんな写真まであるのでしょうね?
2.東横フラワー緑道
東急東横線が横浜高速鉄道みなとみらい線と相互直通される事で、横浜駅から東白楽(ひがしはくらく)駅近くまでの区間が地下化され、その跡を横浜市が緑道に整備したものです。
鉄道の地下化工事完了は2004年でした。
横浜駅きた西口
日本のサグラダ・ファミリアなんて揶揄されてる、永遠に工事の終わらない駅です。ネットで覆われている向こう側が以前、東横線の高架線路が通っていたあたりになります。
横浜駅近くはビルの建設や街の再開発などですでに線路跡は残っていません。
東横フラワー緑道は横浜駅から北東へ500mほど離れた台町入口付近から始まります。
横浜駅側緑道はじまり
緑道はこの先東白楽駅近くまで、かつての線路跡を忠実に辿っています。
現在の東横線もかつての線路の真下を通ってます。なので通気口などから時々電車の走る音が聞こえることも。
入口はいってすぐ
かつてのレールが再現されています。でもこのあたり、以前は高架線でした。
東横フラワー緑道
現在坂道になっているところを上がると高島山トンネルがあります。
トンネル入口手前の門
歩道としてのトンネル通行可能な時間は6:00~21:30。上はかなり急な台地で、そこを貫くトンネルは歩いて行き来する人にとってはありがたい存在です。実際にトンネルを生活道路として利用している人はかなり多いようです。(写真では誰もいないですが)
高島山トンネル内部
反対側から
このトンネルは歩道用に改修するにあたり、コンクリートで内部を補強したそうです。そのためトンネルの断面は鉄道が通っていた頃よりだいぶ小さくなっています。元々は複線の線路と電車が通っていました。
ここから振り返るとまもなく反町(たんまち)駅です。駅は現在も地下に存在しています。
反町駅付近の緑道、高島山トンネル方向を見て
反町駅付近も以前は高架線だった記憶があります。ていうか、トンネル以外は当時の終点桜木町から東白楽の先までずっと高架でした。
緑道から現在の反町駅舎など
正面広場の向こうが現在の駅入口。手前横切る道路は国道1号、そこに架かる橋、リベットが打ってある橋脚や欄干はかつての鉄道橋のものかもしれません。
国道を渡ると緑道は階段、地上へ下ります
中央が緑道の続きです。
新太田町駅跡付近
この付近には1926年路線開通時から1945年まで、新太田町(しんおおたまち)駅が存在しました。
駅は1945年横浜大空襲で被災、その後廃止となっています。
緑道に駅の記念碑があるとのことですが、気づかずに通り過ぎてしまいました。
もう少し先へ行くと緑道はスロープを上がります。現在の東横線が地上に現れるトンネル出口を確保するためです。
トンネル出入口直上から東横線
緑道としてはここでほぼ終わり、左側公園へ下りるか、右のスロープで東白楽駅方面へ歩道も続きます。
神奈川工業、神奈川総合高校正門横から東白楽駅方面
東白楽駅出入口
3.南武線川崎河岸貨物線跡
次は川崎へ飛びます。
その昔、南武鉄道(現在のJR南武線)が建設した貨物線が矢向駅から川崎河岸(かわさきがし)駅の間にありました。
多摩川河原の砂利を河口に近い川崎河岸まで鉄道で運搬し、そこからはしけなどに積み替えて東京湾岸各所へ運んでいたそうです。
その後、多摩川砂利採掘の規制などで貨物量が減少し、1970年頃に貨物線自体が廃止されました。
その跡が緑道、公園に整備されて現在に至っています。
貨物線が分岐していた矢向駅
左側が現在の矢向駅、右側留置線のさらに右を分岐した貨物線線路が通り、手前から弧を描いて右向こうへ行っていたようです。古い地図によれば。
緑道は”さいわい緑道”と名付けられています。川崎市幸区ですので。
さいわい緑道はじまり地点付近
先でもうちょっと左へカーブしていますが、その先はずっと直線です。それと、このあたり緑道の幅は比較的せまいです。
この背後が矢向駅方面ですが、そちらの線路跡は完全には残っておらず、道路や空き地になっているところもあれば住宅など建物が建っていたりもします。現在の地図によれば。
(矢向駅から緑道のはじまりまでの区間はたどってません。)
コーナーをまわって直線区間へ入ってきました(幸区新明町2丁目)
この先で国道1号(第二京浜)を渡り、その先は南河原公園の端を横切ります。
南河原公園付近
さいわい緑道
もう少し先へ行くと川崎河岸駅に近づきます
幸区河原町1丁目付近。この付近からヤードが広がり、線路が分岐していたようです。
現在はしだいに緑道の幅が広がり、道というより広場のようになっていきます。
緑道終点付近から振り返り
現在はこの付近”緑道公園”と、名称は公園になっています。
この付近はたくさんの貨車が入って砂利の積み替えを行っていた場所、いくつも線路が分岐した跡で幅が広くなっています。
この背後は多摩川堤防も近くです。そのあたり、現在はマンションが建っていますが、船舶、はしけへの積み込み場だったのでしょう。
また、右側には現在河原町団地の建物が見えていますが、以前は東京製綱川崎工場があり、工場の貨物もこの貨物駅が取り扱っていたということです。
この緑道と公園、鉄道の遺構は何も残っていなかったと言っていいかと思います。