散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

古い入間川川跡をたどる その4 現在の芝川流路から毛長川流路

2022年4~5月に『古入間川』川跡を辿った記事内容を改訂、再構成しています。
現在位置は芝川、旧芝川との分岐点青木水門付近(川口市上青木2丁目付近)です。

(56)芝川(左)・竪川(手前)合流点(前回再掲)
右側土手の向こうが青木水門。
芝川はここで堅川という別の河川と合流、正面奥へ新芝川として下っていきます。
新芝川は1965年に完成した新しい流路です。

 

今回も歩いた川跡近辺を中心に地理院地図の治水地形分類図に情報を反映しました。3分割です。

〈クリックorピンチで拡大〉

毎度の説明ですが
・青い点線で挟まれた内側が古入間川河道の範囲
・黄色で示されているのが自然堤防、オレンジ色は台地段丘
・緑系は低地
・古入間川跡を現在流れる河川、水路の一部はラインを強調
・赤地カッコ付き数字は写真撮影位置、記事中写真と番号対応

 

(57)青木水門付近から
右、柵の向こうは芝川、新芝川の流れがあります。水門から左へは新芝川開削以前の芝川本流でした。

(57)青木水門を背後に旧芝川下流方向

現在青木水門は常時閉じていますが、堅川が芝川合流点手前で分水されて右側から少量の水が流れ込んでいます。

古入間川河道は青木水門付近で旧芝川から離れていきますが国土地理院・治水地形分類図を見ると旧芝川河道両側にも自然堤防地形が認められます。これは古入間川が旧芝川河道を流れていた期間があった事を示唆しています。
〈旧芝川河道の東側にも蛇行のはげしい河道跡が認められ、そこを流れていたのも古入間川かもしれません〉

 

古入間川の明瞭な川跡は青木水門付近から東へ蛇行を繰り返しながら進んでいます。

(58)いったん新芝川流路の南側へ出た古入間川河道内から(川口市鳩ヶ谷緑町2丁目)
足元歩道部分は暗渠水路、道路前方に新芝川堤防が壁になってます。古い河道に関して特にこれといった痕跡はありませんが、昭和40年代の地図ではこのあたり「堤外」という字名が見えます。堤外はいわゆる河川敷でありこれが唯一ここが河道跡であったことを示す手がかりです。

 

(59)新芝川に架かる橋を渡って川北側の古入間川河道跡へ(川口市南鳩ヶ谷7丁目)
道路右側は大きめの暗渠水路。先に見える勾配の先に新芝川千歳橋があってその付近にこの水路の水が放流されてます。
このあたり水路があちこち張り巡らされてます。かつては河道跡含め周囲はほとんど水田だったところです。

 

北東方向へ進んだ川跡が蛇行して南東へ方向を変えるあたり
(60)県道34号線(第二産業道路)旧鳩ケ谷市役所手前(川口市三ツ和1丁目)
少し先左にある旧鳩ヶ谷市役所敷地は古入間川河道内にありました。(鳩ケ谷市は川口市と2011年に合併)

 

南東へ進む川跡は県道(第二産業道路)から次第に逸れていきます。

(61)古入間川河道沿いに脇道に入ると
歩道部分、蓋をされた暗渠の水路です。第二産業道路から古入間川河道沿いに続いてます。

(62)暗渠水路を少し下ったところ、上が並木となっています(川口市赤井1丁目1)

(62)もう少し下り並木の尽きるところ
ここは右側から毛長川がこちらに出てきて手前へ流れの方向を変えている地点です。ここで方向が大きく変わるのは昔からここで古入間川に合流していた名残りと思われます。毛長川はここから古入間川河道に沿って流れ下っていきます。
正面の護岸に四角い蓋のようなものが見えますが先ほどの暗渠水路の末端、毛長川へ放流されてます。

(62)毛長川上流方向
1つ前の写真の右側
白い柵の下に流れ。この上流1㎞強で2つに分かれ、そこが毛長川の名前のはじまる点です。それより上流へまた1~2㎞で大宮台地(鳩ヶ谷支台)赤山地区周辺が源となっています。かつては『毛長堀』『毛長落(おとし)』とも呼ばれたそうです。(『中居堀』の名も見えました)

 

350mほど下流へ移動します。

(63)高土手橋から上流方向
両岸は増水時の水を流し込む調整池(毛長川調整池)になっています。
近くにあった解説板を読むと調整池の底は海水面より低いそうです。ここにたまった水は毛長川に戻さず、地下水路(毛長川放水路)で近くの新芝川へ送られてそちらでポンプアップして放水されるとのことでした。
調整池の底面はテニスコートになってました。海水面より低い位置にあるテニスコート...

 

その下流側、毛長川を中央に古入間川河道跡(幅200~250m、長さは..結構長い)が工業団地となっています。河道跡は近年までおもに水田だった低地、そこを造成して工業団地にしたのでしょう。

(64)新郷工業団地中央部を縦断して流れる毛長川(川口市江戸3丁目)

水の濁りは工場のせいではないと思いますが、淀みぎみではあります。低地で高低差がほとんどないので水が流れにくいのです。

 

さらに500mほど下った先からは毛長川が埼玉県と東京都の境界となります。
毛長川は古入間川河道跡を引き続き流れているので古い入間川は東京都域も流れていたことになります。〈個人的にはちょっと想像しにくい〉

(65)東京都足立区となる毛長川右岸側は小さな土手上狭いながら遊歩道が整備されてます
右に毛長川、対岸埼玉県川口市側は工業団地が続いてます。

(66)新砂子路橋(しんしゃごじばし)上から(足立区舎人6丁目、川口市本蓮4丁目境界)

左が足立区、右が川口市。この付近古入間川河道幅は広いところで500m以上あります。水が淀みやすい低湿地が広がっていたのだと思われます。
現在は住宅地、工業地域と建物が建て込んでますが。

 

新砂子路橋から約300m下流
(67)舎人橋上から上流方向(足立区舎人4丁目)

下は毛長川、最近改修されたばかりです。
この背後は毛長川と見沼代用水東縁、水路同士の交差地点になります。

(67)同じく舎人橋上から見沼代用水東縁(みぬまだいようすいひがしべり)の流れてくる方向を見て

ここから左を見ると1つ前の画になります。足元欄干の下から右へ毛長川が流れます。

橋の先桜並木が続きますがそれに沿って見沼代用水東縁が向こうから流れてきます。

前回『見沼代用水西縁』ってのが出てきましたが、見沼代用水は江戸時代(1728(享保13)年)に開かれ、埼玉県行田市の利根川から取水され途中で東縁、西縁の2本に分岐、東は東京都足立区、西は埼玉県川口市まで伸びる大規模な灌漑、農業用水路です。

現在はここが実質的に見沼代用水東縁の終点でほとんどの水が毛長川に放流されていますが、かつては東縁が毛長川の上を掛樋(水路橋)で越え、さらに下流、足立区内へ水路が続いていました。(現在もごく少量の水が毛長川の下をサイフォン方式で通過して下流側へ流れています)

(67)舎人橋、砂小橋、一本橋、3つの橋でコの字に囲まれたところに『舎人堰水門』があります
水がずいぶん濁って、てのは置いときまして。左方向から見沼代用水東縁、一部は地下のサイフォンを通って右側へ通過していきますが、見えている水は向こうへ方向転換して毛長川と合流、かなりの水量です。右は後方から流れてくる毛長川本流。

交差地点を下流側から
流れ中央の放流工、左から毛長川、右から東縁の放流水、合わさって毛長川として流れくだります。

 

250mほど下ってふれあい橋の手前
〈ちょっと逸れますが〉右側建物は大相撲境川部屋でした。

(68)ふれあい橋のたもとからのびる緑道

緑道側は毛長川の旧流路、400mほど先で現在の流路に戻ります。昭和40年代頃の河川改修で流路が変えられたようです。

 

(69)足立区舎人・舎人二つ橋上から(足立区舎人3丁目)
毛長川は古入間川河道跡を忠実にたどっています。
その河道跡南端部分を見沼代用水東縁の水路(現在は水路ではなく親水公園などになってますが)も通っています。

(70)里人やすらぎ橋から毛長川(草加市新里町・足立区舎人3丁目境界)
近年の河川改修で川幅を広げて川底を低く掘り下げ、護岸も改められていることもあって過去の河川の面影は感じられません。

(71)谷塚橋上から(足立区東伊興3丁目)

(72)辰井川合流点に水門ゲート2つ(対岸・草加市谷塚上町)
向こうの門が通常時[開]、増水時向こうを[閉]めこちら排水機場からポンプで強制排水、という方式なので水門2つ。辰井川への逆流防止です。

谷塚橋から毛長川下流右岸側に遊歩道が断続的にあります。『武蔵野の道舎人コース』その一部です。
(73)武蔵野の道舎人コースの歩道から
すっかり「毛長川を歩く」となっておりますが古入間川河道跡から外れてはいません。

さらに下ると日光街道(国道4号草加バイパス)毛長堀橋を通過。橋名が古い呼び方「毛長堀」を使ってます。
昭和40年頃の地図までは毛長堀表記が見られます。草加バイパスは1967(昭和42)年完成のため「堀」なのでしょうか。

毛長堀橋から200mほどで旧日光街道・水神橋
(74)水神橋下流側からふり返って
架けられてから長い年月が経ってそうな橋です。旧日光街道筋なので現橋よりさらに古くから橋が架かっていたと思います。

 

水神橋付近から下流に向かって毛長川は古入間川河道跡南端付近を流れています。

さらに300mで次の花瀬橋
(75)花瀬橋上から下流方向(足立区花畑5丁目・草加市瀬崎4丁目境界)
文教大学あだちキャンパスの北側にかかる新しい橋です。川面は桜の花びら
ちなみに左側見切れてますがお菓子の『ひよ子』の工場があります。

(76)歩いたのは春でした(草加市瀬崎7丁目)


(77)大鷲さくら橋から上流方向
このあたりも川面には花びら

 

大鷲さくら橋から下流方向に約500mで毛長川の終端、綾瀬川および伝右川との合流地点に達します。
(78)毛長川最下流鷲宮橋から綾瀬川合流点方向

このあたりは古い綾瀬川と古入間川などの河道が絡みあっています。現在ここを流れる各河川の流路も改修工事などで変化していて結構複雑です。〈文字で説明しきれないので上に置いた地図3枚目を参照お願いします〉

 

とりあえず今回はここまで。

 

その1~3

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