川崎市は細長いのですが、その位置的に中ほどを散策しましたという記録です。時は5月中頃
地域的には幸区と中原区の境界付近から高津区、宮前区にかけて、取り留めなく歩きました。
とか言っておいて最初は綱島、横浜市港北区ですね
足元は鶴見川堤防の上
左に少し高めの建物が写っててさらに左見切れたところにもっと高い建物がありますが、そのへん地下に東急新横浜線の新綱島駅があります。
正面に下りて進みます。
綱島東4丁目あたり
綱島から矢上川・矢上橋方面へ伸びる道が1本あるのでそこを歩いてます。
矢上橋上から矢上川下流方向
左へ渡って川崎市に入ります。幸区矢上
矢上川沿い少し上流側へ
渋川合流地点付近
左から矢上川、右からくる渋川と合流
川崎市内を流れる農業用水、二ヶ領用水(本流筋の川崎堀)の途中で分かれ、矢上川へ注ぐ渋川
二ヶ領用水の悪水路(排水路)という位置づけになりますが、だからことさら汚いとかではないです。
渋川に架かる橋を渡り、尻手黒川道路(県道14号)に出て綱島街道との交差点を越えたあたり(中原区木月4丁目)
高架は東急東横線・目黒線、右側はその車両基地(東急東横線元住吉検車区)があります。
車両基地の先で歩く向きを変えて
箱が積み重なる商店街
ここは元住吉(モトスミ)ブレーメン通り商店街
通り反対方向
商店街渡って少し先
ここは川崎市国際交流センターというところ、その中庭でいいのかな(中原区木月祇園町)
その北側には法政大学川崎総合グラウンド(中原区木月大町)
向こうに武蔵小杉の高層ビル群
さらに北方向へ歩き、JR南武線、南武沿線道路に出たところ
そこから細道経由で中原街道に出たところ
上は庚申塔(だったかな)後ろ側から。ちょうどその祠屋根に被ってしまったのですが、向かい合って道のむこうには地蔵尊〈御顔が隠れてしまた〉(下の写真)
解説あり『街道と地蔵尊:中原街道沿いに多く残る石仏、石碑は、特に細道や用水支流との交差地点に目立つ。ここは井田堀と交わるところ。この地蔵尊は歳の市や地元の祭の拠り所として大切な存在であった』
井田堀であったという細道をそのまま辿って二ヶ領用水(川崎堀)に出ました。
薬師橋上から
その先にある「常楽寺」
こちらは通称『まんが寺』と呼ばれるお寺。本堂は日本漫画博物館でもあるそう
その現本堂は江戸元禄の頃建立されましたが、1968(昭和43)年の解体修理の際に襖や壁などに漫画を描いたことからまんが寺と呼ばれることになりました。
ただその後のアップデートはされてないようで、昭和の時代を彷彿とさせる画がたくさん、のようです。
さらに北へ進み多摩川の近くへ(中原区宮内1丁目)
正面コンクリの構造物(おそらくボックスカルバートでしょう)、その両側奥には緑の多摩川堤防がのぞき、堤防の向こうは多摩川。手前は資材置場というか工事現場
ここは多摩川に新しく架ける等々力大橋(仮称)の神奈川県側の橋詰になるところです。
反対側をみると
なんとなく向こうへ新しい道路が伸びていくのかなというのがわかりますが、まだ一部土地の整備が終わってなさそう。
多摩沿線道路・下野毛3丁目交差点を渡って多摩川堤防に上がったところから
正面はゴルフ場
少し下流側へ目を転じると等々力大橋やや凹型の橋脚3つ
久しぶりに来たこのへんの多摩川河川敷、少し上流に向かって歩いて行きます。
すぐに第三京浜の橋、対岸の二子玉川あたりの高いビルも見え
刈られた草で牧場のよう
東急大井町線の電車がみえて二子新地あたり(高津区瀬田)
鉄道橋の下から二子橋ものぞいてます。
橋を潜った先から二子玉川あたりをふり返り
さらに国道246号新二子橋下をくぐり平瀬川合流地点へ
左は多摩沿線道路東久地橋、河川敷の橋は名無しらしい
名無し橋から合流点
もう少し上流へ歩き高津区宇奈根まできました。
堤防上から
下は『パークゴルフ場』とサッカーコートがみえてます
多摩沿線道路・宇奈根交差点を渡って多摩川から離れ
二ヶ領用水・久地7号橋を渡ります(高津区久地4丁目)
二ヶ領用水路本流です。
ここは用水の水をいくつかに分ける『久地円筒分水』の設備よりも上流側ということで、まだ水量は豊富にあります。
(久地円筒分水で分水されるよりもその手前で余水として川に放流されてしまう水量のほうが多い気はしますが)
このあたりは高津区久地、二ヶ領用水沿い上流へ少し進むと多摩区というところですが、ここで方向転換
そろそろ帰りのことも考慮して都合のよい場所へ向かうことにしました。
高津区下作延6丁目付近
上にのぞく建物は三菱自動車㈱関連、研修施設?
周囲は普通の住宅地、この先もこれといった特記事項を見つけられなかったので淡々と進みます。〈集中力が途切れたとも〉
JR南武線と南武沿線道路を渡って緑ヶ丘霊園の端の下あたりへ
平瀬川を渡って坂道にさしかかり中(高津区上作延3丁目)
丘の尾根まで上がって道路を渡ったらまたすぐに下り坂でした(宮前区宮崎)
このあと記録ないのですがもう少し歩くと
東急田園都市線宮崎台駅(宮前区宮崎2丁目)
この日はここまでですが、付け足し
この一帯現在は川崎市宮前(みやまえ)区ですが1889(明治22)年から1938(昭和13)年までは「宮前村」、読みは「みやさきむら」といいました。
この「みやさき」の読み方が現在の宮崎台駅や周辺の地名「宮崎」に継承されています。(現在駅名地名は『みやざき』と濁りますが)
また田園都市線となりの駅は「宮前平(みやまえだいら)」、駅周辺も「宮前平」で「みやまえ」はそちらが使用しています。
同じ名前だった一帯をうまいこと使い分けましたね。