初詣は今年も神奈川伊勢原の日向薬師(ひなたやくし)。
鉄道の駅から本堂まで片道7~8kmを往復歩く慣わしとしています。
今年は参詣のあと、日向渓谷を奥に少し歩いて歩行距離を伸ばしてきました。
そちらの風景を添えてみます。
今年の往路、こんなところをあるいて行きます正面は大山、ここから見てその手前に日向薬師、渓谷などがあります。
この付近は『実蒔原古戦場』、近くにある解説、以前ここに載せたものを再掲します〈初詣とは無関係ですが〉
伊勢原市指定史跡 実蒔原古戦場(さねまきばらこせんじょう)
文明18年(1486)7月26日、太田道灌が相模国糟屋(伊勢原市)にあった、主君扇谷上杉定正の館で謀殺されました。道灌没後、山内上杉氏と扇谷上杉氏の間に対立が生じ、ついに長享元年(1487)戦端が開かれました。長享の乱の勃発です。
相模や武蔵国内などで両者の抗争が続く中、長享2年2月5日、扇谷上杉氏の本拠地糟屋を押さえようと武州鉢形城(埼玉県寄居町)から出兵した山内上杉顕定は、軍兵一千余騎をもって押し寄せました。
山内勢は糟屋の背後に当たる定正の弟、朝昌が守る七沢城(厚木市七沢)を攻め、城は落城しました。
これに対して、定正は手兵二百騎余で河越城(埼玉県川越市)から駆けつけ、両軍は実蒔原で激突しました。実蒔の地形を熟知していた扇谷勢は、寡兵にもかかわらず、山内勢を打ち破りました。
定正は後にこの合戦のことを「二度と学ぶべからざる行い」(上杉定正状)と述べています。
山内勢の中には太田道灌の実子・資康がいました。
なお、従来朝昌は七沢城落城時に討死したようにいわれていましたが、後に大庭城(藤沢市)を守護するようになりました。
平成22年3月 伊勢原市教育委員会
しばらく細道を歩くと日向地区に入ります。
バス通りに合流目前
こちらは十二神橋下を流れるのが日向川、伊勢原駅と日向薬師を結ぶ路線バスが橋の上、右へもうしばらくで参道入口です。
参道入口
少し行き、急な階段がはじまるあたりは『衣裳場(いしば)』と言って源頼朝が参詣した際に白装束に着替えた場所とされています。
階段を上がるとまず山門
仁王門、金剛力士像
仁王門脇の解説看板が新しくなっていたようなので写しておきました。
〈ちょっと苦しかったけど自動文字起こしして整形〉
伊勢原市指定文化財
金剛力士像(こんごうりきしぞう)
Wooden Statues of Kongo-Rikishi制作年代 江戸時代(天保四年 一八三三)
像高 阿形 三五〇・〇㎝(右)
吽形 三五二・〇㎝(左)
構造 寄木造・玉眼・朱漆塗金剛力士像(仁王)とは寺門の両側に立ち、仏敵の侵入を防ぐといわれています。
ここに安置されている金剛力士像は、伊勢原市の文化財に指定されています。金剛杵を手に持ち、忿怒の相をしており、向かって右は口を開く阿形、左には口を閉じる吽形が配されています。制作年代は、宝城坊本堂に祀られている賓頭盧尊者坐像(びんずるそんじゃざぞう)の台座裏に書かれている銘文から、天保四年(一八三三)に鎌倉仏師の後藤真慶(ごとうしんけい)によって造立されたことがわかっています。
天保四年(一八三三)に宝城坊の前身である霊山寺から出火し、参道とともに仁王門も焼失しましたが、前述の銘文から、その年のうちに金剛力士像が再建されたことがわかります。
仁王門(におうもん)
Nio-mon制作年代 江戸時代(天保四年 一八三三)
構造 三間一戸・一重・寄棟造・鉄板葺本堂へ向かう参道の中腹に建つ、金剛力士像を安置する門です。「三間一戸」という、柱と柱の間が三つ、出入口が一つの造りとなっています。屋根は鉄板葺で、大棟から四方向に葺き下ろし、四本の隅棟がある「寄棟造」、重なりが一つである「一重」の構造となっています。柱は礎石建ちで、その礎石の上に立つ円柱や組物は欅材、桁や軒裏の化粧垂木は松材が使用されているとみられます。隅木や化粧垂木は弁柄と思われる朱色で塗装されており、その化粧垂木の裏板の材には墨塗が施されています。また木材の断面である木口には貝殻の粉末から作られる白い胡粉が塗られています。
天保四年(一八三三)に金剛力士像とともに再建されたものと考えられます。
仏敵とは見なされず、今回も寺院内に入るのを拒まれることなく
門をくぐると
杉の大木、緑の苔
さらに階段、参道をあがっていくと
本堂の下へ〈正面、本堂の姿が...飛んでしまった〉
最後の階段を上がります本堂右後方の山が日向山
ふり返って
境内に入り、手水舎で清め
そして
参拝しました。
再び本堂(薬師堂)
「日向薬師」(ひなたやくし)の名で親しまれている当山は、正式名称を日向山 宝城坊(ひなたさん ほうじょうぼう)といい、江戸時代末期までは日向山 霊山寺(りょうぜんじ)と称し 、多数の坊からなる日向修験の拠点として栄えていました。
その歴史は古く、霊亀2年( 716 )に僧行基により開創され、1300年の歴史を伝える高野山真言宗のお寺です。開創以来、歴代天皇の御帰依深く、勅願寺としての時代を経て、将軍 源頼朝やその妻 北条政子など名立たる武家が度々参拝・祈願し、篤い帰依を受けたことなども知られ、その歴史を物語る多くの仏像・宝物等も伝来します。特に仏像をはじめ彫刻作品の多さでは、東国において稀な一例とされています。
国内でも有数の大きさを誇る美しい茅葺き屋根が特徴の本堂(薬師堂)は、墨の黒と弁柄の朱の彩色が目をひきます。《日向薬師webサイトから引用》
境内
幡かけ杉(二本杉)とその左に鐘堂
鐘を近くで四隅合わせて12本の柱で建てられた鐘堂、吊るされているのは暦応3年(1340)の銘文を持つ銅鐘で国指定重要文化財になっています。
と、ここまでは毎年訪れるたび同じような構図の写真ではありまして..
再び参道を下って日向薬師バス停前の道路へ戻ります。
バス停近くのいろんなもの
道路から山の奥方向をみてここで山とは「大山」のことですが、ここからは大山頂上付近は見えません。
日向渓谷の奥へ向かって少し歩きます。
日陰道分岐日向川に古い橋がかかって、道は日陰道。
日陰道は古い道らしいですが、現在は彼岸花、紫陽花が植えられた散歩道となっています。〈花のシーズンに訪れたことがない..〉
日向薬師バス停から約700m行くと
浄発願寺(じょうほつがんじ)があります三重塔が目立ちます。
正面から道路側に向いた扉がひらかれてました。
浄発願寺は
慶長13年(1608)木喰弾性が開山。4世空誉により大きく発展。
罪人の「駆け込み寺」としても知られています。
もとは現在地より約1㎞ほど上流の一ノ沢にあったが、昭和13年9月の台風による土石流被害により、現在地に再建されました。《伊勢原市観光協会サイトから引用》
こちらの寺院までは2020年初詣で訪れたことがあります。
その奥へ
杉林の坂道、帰り道坂の途中から下を見て
日向薬師バス停からは1200mくらい
石雲寺(せきうんじ)前にて
雨降山(うこうざん)石雲寺(せきうんじ)
日向川に沿って上った山深い山中にあります。寺伝によれば、養老 2(718)年に諸国行脚の旅にあった華厳妙瑞法師が亡き大友皇子の冥福を祈って建立したとされます。山号は大山寺と同様の「雨降山」。寺には「真宗明覚大法王」と彫られた大友皇子の位牌が祀られており、また伊勢宗瑞(北条早雲)の三男幻庵が、天文 12(1543)年に石雲寺に対して諸役を免除することを通達した文書も残されています。《伊勢原市webサイトから引用》
〈山中にもかかわらずこのあたりに寺院が多いのは日向山霊山寺(現在の日向薬師宝城坊)が多数の坊からなる日向修験の拠点であったため、そこから派生したものかと勝手に思っていましたが、浄発願寺や石雲寺の解説などを見るにそんなことはないのですね〉
石雲寺の前はマス釣り場でした
バーベキューサイトも〈季節的に営業はしてません〉
さらに上がっていきます
『名勝日向渓谷』
渓谷には二段の滝
同じ滝、梅ヶ尾橋上からは奥に小さく
森の中に古い大山道道標をみつけました上部に不動明王像を載せた(首から上が欠けてますが)大山参詣道界隈でよく目にする道標です。左方後ろにももうひとつ石碑が見えます。
その近くには大山への登山道が分岐
案内標によれば大山山頂までは4.6kmだそうです。〈標高差はこの場所から900m近くありそう〉
そのすぐ隣りには「伊勢原市日向ふれあい学習センター」建物
同じ施設のバーベキュー場からの日向川道路の先にふれあい学習センター建物も見えます。
施設は2019年に閉鎖されたようです。
その先には周囲に不釣り合いなほど広い駐車場ふれあい学習センターの駐車場だったのでしょうか?
近くには釣り、キャンプ場などもあったようでオンシーズンはたくさん人が来ていたのかもしれません。
この時期は寂しく、簡易な立て看板なのが「熊出没注意」の緊急性を却って高めています〈『頻繁に出没』の文言も〉。
駐車場の上側端から道は林道になります。
林道日向線起点付近ここにもいろいろ注意書き
林道にはいると数百メートル先で通行止め
道路脇には湧き水がありました左下、細いパイプの先端から水が流れ出ています。
通行止めより先の林道は大山の中腹をくねくね進むのですがさすがにそこまで辿る気にならず、この場所で引き返しました。〈クマにも会いたくないし〉
最後に
林道起点から通行止柵の間にあった
「SMBCの森」入口この奥にはすでに閉鎖されたキャンプ場などがあったのですが。
真新しい看板、SMBCの文字とともにここは何だろうか気になりました。〈新興宗教団体かなんかの合宿所かと..〉
帰って調べてみるとSMBC=三井住友銀行でした〈通称名を似せた怪しげな組織ではなかったのだnya〉。
「ネイチャーポジティブ・脱炭素社会の実現、環境教育の実施、森林業の活性化等に関する社会的価値の創造に取り組む目的で日向地区の森林約220ヘクタールをSMBCが(2024年5月に)取得し《後略》」ということで、も少し易しい説明だとよかったのに
帰り道は日向薬師方面へずっと下り坂。飛ぶように歩いて
途中、日向川と七沢川の合流点左、大山の下から日向川。すでに伊勢原市日向地区からはだいぶ下った場所(すでに厚木市内)です。