埼玉
今回は歩いて見て記た、ではなく最近やった調べものからです。 関東平野を流れる主な河川の古代からの流路変遷(利根川と荒川がメイン)<荒川は現在荒川水系でしたね〈あとで気がつく〉 江戸時代以降の資料はわりと目にはいるもののそれ以前の情報は少なく…
2022年4~5月に『古入間川*1』川跡を辿った記事内容を改訂、再構成しています。前回、綾瀬川と合わさった古入間川が現在の垳川(古綾瀬川)流路へ入り、中川(古利根川)へ接続するところまで下ってきました。現在位置は東京都足立区六木と埼玉県八潮市垳の…
2022年4~5月に『古入間川』川跡を辿った記事内容を改訂、再構成しています。 こんなふうにたどってまいりまして 現在位置は毛長(けなが)川、綾瀬川、伝右(でんう)川、3河川の合流点あたり、東京足立区花畑付近です。 (78)前回再掲・毛長川最下流鷲宮橋から…
2022年4~5月に『古入間川』川跡を辿った記事内容を改訂、再構成しています。現在位置は芝川、旧芝川との分岐点青木水門付近(川口市上青木2丁目付近)です。 (56)芝川(左)・竪川(手前)合流点(前回再掲)右側土手の向こうが青木水門。芝川はここで堅川…
2022年4~5月に『古入間川』川跡を辿った記事内容を改訂、再構成しています。前回、さいたま市南区の武蔵浦和駅まで来て駅前が昔は川跡だったことまでを改めて書き直しました。 続けて先(下流方向)へ進めます。 今回のスタート地点㊶JR武蔵浦和駅東口デッ…
まず今回辿る川跡周辺の地図(国土地理院地図治水地形分類図)を置いておきます 上流部 下流部(の続き) 地図に個人で手を加えたのが以下3点・青の点線で挟まれた部分が古入間川河道跡・古入間川跡を現在流れる鴨川とその他河川水路のラインを強調・丸囲み…
【はじめに】これは2022年4~5月に古い入間川川跡を辿った記事内容を改訂したものです。先行記事は内容が混乱した箇所があったので以前から修正等検討していましたがようやく..というところ まずは前口上 《入間川について》現在の入間川は荒川水系の河川、…
3月上旬に多摩川右岸を歩いた続きです。 この日は小作(おざく)堰までをひとつの目標として歩きましたが少々距離的に物足りず、もう少し歩きたいのでした。 多摩川をこのままさかのぼるのがイージーですが以前歩いたし...このあたりはほとんど土地勘ないので…
入間川をさかのぼって歩き、現在位置は狭山市と入間市の境界にある豊水橋(とよみずばし・ほうすいばし)です。今回その4は飯能市街地にほど近い『飯能河原』まで歩きます。写真がいつもより少し多めです。 右岸入間市側から豊水橋川の中央が市境界、通る道路…
入間川をさかのぼって歩き、現在位置は川越市のやや西寄り、的場と小ケ谷の間をつなぐ初雁橋です。前回から日を改めて再び歩き始めました。 前回離脱点の初雁橋 川の下流方向を見て(川越市的場) この日は雲もなく良い天気。 橋のわりと近くに「入間川左岸…
入間川を荒川との合流地点からさかのぼって歩いています。 現在位置は川越街道(国道254号)が通る落合橋です。この橋は入間川と支流の小畔川(こあぜがわ)、越辺川(おっぺがわ)の3つの川を一気に跨いでいるので、向こう側まで渡って3つの川を見てきました…
埼玉県を流れる入間川(いるまがわ)を歩きました。 入間川の源流域は飯能市西部(2005年まで名栗村だった地域)、秩父市や横瀬町に近い山中にあり、多くの沢を集めて通称名栗川として流れ下ります。飯能市街地近くで平地に出ると入間市、狭山市、川越市(一部…
見沼代用水路を起点の利根大堰へ歩いたあとの記録です。 利根川にかかる利根大堰の管理橋、武蔵大橋を渡って群馬県に入り、利根川堤防を下流方向へ川俣宿跡を通って東武伊勢崎線川俣駅まで歩きました。 最初は利根大堰付近から利根大堰で取水された水が堤防…
見沼代用水歩き〈その5〉、上尾市の瓦葺分水工からさかのぼって歩いています。今回は目的としている見沼代用水路起点、利根大堰までの記録です。 現在地は行田市荒木、秩父鉄道見沼代用水橋梁近く。電車の通過を待っていたらほどなく 真っ赤な橋ににぎやか…
見沼代用水歩き〈その4〉、上尾市の瓦葺分水工からさかのぼって現在地は鴻巣・行田市境に架かるちょっと古いけど新落合橋。 新落合橋、下流側から 橋上から上流方向を見て この橋から上流しばらく流れの中央が鴻巣市、行田市の境界左鴻巣市側、緑のヘルシー…
見沼代用水歩き〈その3〉、上尾市の瓦葺分水工からさかのぼって現在地は久喜市(旧菖蒲町)の見沼代用水、星川分流地点八間堰、十六間堰。 前回分再掲2枚八間堰水門扉前から上流方向 やや前から十六間堰 この分流地点から上流200mでは別の水路(中島用水)…
埼玉県行田市の利根大堰から上尾市の瓦葺分水工で流れが東西二手に分かれる地点まで、江戸時代中期に開かれた延長約32㎞の見沼代用水を歩いています。*1 下流の瓦葺分水工からさかのぼって歩き、〈その1〉では約9㎞上流に位置する柴山伏越まで来ました。続…
見沼代用水、今年夏が盛りになる前まで、途中から2本に分かれた東縁、西縁の水路をそれぞれ歩きました。ようやく涼しくなってきましたので、分岐点より上流をたどって利根川まで徘徊することにしました。 以前、見沼代用水を歩きはじめたときにまとめた概要…
スタート地点までは公共交通機関を利用しましたが、そこからすべて徒歩で4つの県を1日で巡ってきました。 何でそんなことやろうと思いついたんですかね...ま、たまにやるネタものですいずれにせよ歩いてきましたので、記録を残しておくことにします。 どこ…
今回はそろそろシーズン、彼岸花をメインに秋の花をいくつか集めました。東京、神奈川、千葉、埼玉から... 最初の2枚は相模原市緑区、かつての藤野町だった地域 山梨県との境界に近い山里です。 こちらは厚木、七沢という温泉もあるところから 田んぼの用水…
見沼代用水西縁をさかのぼって歩いています。現在位置は見沼氷川公園、武蔵国一宮のひとつ氷川女體神社の下におります。 【再掲】西縁にかかる氷川女体橋から境内方向 見沼代用水東縁、西縁の間を流れる芝川は(これから歩く向きで見ると)見沼氷川公園の付…
見沼代用水、東縁に続いて西縁を歩いた記録です。 東縁のとき同様、末端側からさかのぼって歩いています。東縁は末端が東京足立区内に達していましたが、西縁は埼玉県川口市小谷場、元西福寺前分水口までです。ただし西縁末端が『分水口』とあるように、その…
見沼代用水東縁、八丁堤に隣接した見沼通船堀から上流へ向かって続きを歩きます。 東縁・通船堀分岐点から【再掲】 今回は水路を先へ向かいます。 しばらく見沼(見沼たんぼ、見沼溜井)のあった範囲、その縁に沿って歩きます。 見沼地図も再掲しておきます …
前回の続き、見沼代用水東縁水路八丁堤から上流へ進む前に、今回は見沼通船堀へ寄り道します。 【再掲】東縁水路にかかる山口橋 橋を渡る赤山街道(県道103号)は見沼溜井を造る際に築かれた『八丁堤』の上を通っています。橋の向こうからは江戸時代初期に造…
最初に。見沼・代・用水・東縁(みぬま・だい・ようすい・ひがしべり)でしょうか。〈実は自分も「代」のあたりどこで区切ればよいかわかってません〉 内訳の説明をちょっとだけ。「見沼」は現在のさいたま市緑区、見沼区、北区などの範囲に江戸時代初期開か…
綾瀬川遡上、川の起点まで残っていた区間を歩いたので記録を残します。 前回記録ではさいたま市岩槻区と見沼区境界、旧日光御成道(現在は県道2号さいたま春日部線)が通る大橋まで来ていました。再掲・大橋と大橋井堰 橋に併設される形で大橋井堰(おおはし…
綾瀬川遡上の記録、その3は草加松原のやや上流側、草加・越谷の境界付近からスタートです。 前回再掲・河原の桜並木(草加市金明町) 前回最後に撮った1枚。桜並木がはじまってすぐの場所で引き返してしまいました。 次に訪れたこの日、やはり花はほぼ終わ…
綾瀬川遡上記録、今回は東京から埼玉へとはいっていきます。前回と同じ日の記録、桜も少し多めに出場予定です。 前回の続き、毛長川、伝右川が綾瀬川に合流するところから。3河川合流点 手前の護岸すぐ下が毛長川、水門から流れ出る伝右川、高い塔の向こう…
前回「空堀川を歩く」で源流のある武蔵村山市の野山北公園まで来ました。そのあと同じ日に歩いたところを、ついでと言ってはなんですがまとめてみました。 狭山丘陵南側、野山北公園内の空堀川源流の池から 正面の小さな橋から向こうへ水が流れ出していて、…
前回の続き、柳瀬川を清瀬橋近くの新旧柳瀬川合流地点から歩きます。 新旧柳瀬川合流点〈再掲〉 右奥から旧流路が合流、左は河川改修で最近開かれた柳瀬川新流路で新柳瀬川と呼ばれます。少し上流で柳瀬川の分水路と空堀川(からぼりがわ)の流れを合流させた…