神奈川-横浜市緑区
毎年年明けには前年「散歩」と称して歩いた足跡(軌跡)をアプリを使ってまとめてみるのですが、2022年分を見てみると東京都区内や横浜かいわいの繁華街、鎌倉のように人が集中する観光地などにはあまり足を踏み入れてませんでした。 元々人混みは好まないの…
横浜市北西のすみっこ、川崎市の飛び地や町田市に接するあたりを流れている奈良川(たぶん読み方は:ならがわ)を歩きました。 鶴見川水系、恩田川の支流で全区間が横浜市青葉区、恩田川合流点から源流までは約4400m(準用河川指定区間は3470m)という小河川で…
横浜市保土ヶ谷区と旭区の境界あたり西谷(にしや)から、川崎市高津区と中原区の境界あたり新城(しんじょう)まで、特に境界は意識してなかったですが歩きました。その記録を春っぽく残します。 最初は相鉄線西谷駅で下車、最近都内への直通線分岐駅となりまし…
今回はMy備忘録。なるべく歩道、細道、緑道、なんだこの道は?、をたどって歩いてきましたの記録。 スタートは相鉄・小田急大和駅 まず東方向へ。駅前からは地下化された相鉄線線路跡が歩道になってますが、市街地ですので人通りは多いです。 途中で昔の用水…
千葉の印旛沼を歩いている途中なのですが、天気と都合がうまく噛み合わず、次のノートを書けずにいます。 雨ばかりのこの頃、やみ間の隙間に運動不足解消も兼ね、自分にとっては近場にある川の散歩道を散策してきました。何回か歩いて新鮮味はあまりないです…
最初は2018年1月11日付けで公開したノートです。最近恩田川源流のひとつ、わさび沢(滝の沢ともいう)を訪ねる機会があったので、過去ノートをタイトル含めて更新しました。 恩田川(おんだがわ)は鶴見川の支流。横浜市緑区青砥町付近で鶴見川と分岐し、横浜…
晩秋のおさんぽ記録、横浜市中北部編。これで最後、もうネタがありません。 ◆泉、瀬谷、旭区 良い天気だ。泉区和泉町の畑、向こうに富士山が見えます。というところからはじめます。11月半ば。 和泉川のほとりを歩いてます(瀬谷区宮沢2丁目) また、畑。こ…
江戸城桜田門からの中原街道歩き、日を改めて2日目は川崎の中原から。ちと天気が悪い… 中原街道歩き2日目足あと地図 JR南武線武蔵中原駅に下り、上小田中交差点から中原街道にのります。西へ向かって歩き出すとすぐ、道路右側に大戸神社 たしか境内は鬱蒼と…
その1の続き、時系列では同じ日の後半になります。 矢倉沢往還・青山通り大山道 1日目足あと《赤坂御門から鷺沼まで》今回その2は青ライン上の黄色〇から赤〇 二子橋から先を続けます。多摩川を渡ると神奈川県川崎市高津区に入ります。二子橋交差点(高津…
八王子と横浜を結んだ、またの名はたくさんあるけど”浜街道”。前回、横浜港を出発して横浜市西区と保土ヶ谷区境界に位置する、芝生(しぼう)追分までやってきた。 続きを歩く。浜街道足あと・横浜港ー町田は青色のライン 芝生の追分が八王子街道のはじまる地…
鎌倉街道中道(なかつみち)、今回の行程はざっと以下のとおり。 鶴ヶ峰→白根→中山→川和→荏田→溝口→二子の渡し 現在の横浜市中部から北部、川崎市域の真ん中あたりを横断して多摩川に至るところまでとなる。荏田付近からの道筋は矢倉沢往還や大山道と呼ばれる…
「鶴見川を歩く その1」では河口、0キロポストからJR横浜線鴨居駅近くにある鴨池橋(鴨池人道橋)まで歩いてきた。その2はその続き、上流に向かって川の中流域を歩いて行く。鶴見川というと工業地帯を流れるの汚れた川というイメージを持ってしまうのだけ…
鶴見川を歩いた。最初に歩いたのは2016年6月から7月にかけて、まだこのBLOGを始める前だった。なので歩いたときのノートがまだない、でもそのときの写真はある、記憶は少し曖昧になっているところもある。ならばもう一度歩こうか。というわけでやっとまとめ…
横浜市の内周、3回目は旭区笹野台と瀬谷区三ツ境の境界から、保土ヶ谷区岡沢町と神奈川区三ッ沢上町の境界まで、旭区の西側から北側へ、さらに保土ヶ谷区の北側境界を歩くことになる。 横浜市内周#3 行程 スタートは前回の離脱点、相鉄線三ツ境駅 駅のすぐそ…
横浜市一周その3のスタートは前回の終点、緑区長津田町。ここからまず瀬谷区五貫目町、横浜市、町田市、大和市の境界点まで行く。この境界点は境川が流れていて、そこから横浜市の境界は境川の流れにずっと沿っていく。川が市の境界となっている部分はすで…
”横浜市境を歩いて一周”の2回目スタートは青葉区美しが丘。ここから緑区長津田町まで歩いた。この2点を真っ直ぐに行けばそれほど長い距離ではないのに、あちこち入り組んだ境界をたどり、迂回もしながら、意外に長い距離を歩くことになった。#2 行程 まず東…
ここまで「横浜水道みちを歩く」は、横浜水道創設時の送水路をたどり、「トロッコ」の歴史看板を探しながら歩いてきた。その1からその3までがそのときのノートである。今回は昭和になってから増設され、創設時の水道みちとは異なるルートで設けられたもの…