散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

鉄のみちをあるく

横浜・港北ニュータウンに都営地下鉄線が通る計画があったとか 残る痕跡を辿ってみた

久しぶりに『鉄のみち』カテゴリで書いてみます今回は横浜市都筑区に残る都営地下鉄6号線(都営三田線)建設予定地の跡 なんで横浜に都営線線路? 個人的に興味深かった参考資料の内容をいくつかまとめてみました。 現在都営三田線は西高島平ー目黒間を結び…

川崎殿町から多摩川、南武貨物支線跡、鶴見川とたどって歩く

今回は表題のとおりです。 スタートは羽田空港の対岸、川崎殿町キングスカイフロント、多摩川スカイブリッジも間近というところ まずここから多摩川をさかのぼって歩きます。 これまで何度も歩いたところですが新たな気持ちで.. 対岸正面は空港滑走路にも近…

中神-立川基地引込線(中神引込線)線路跡を歩く

五日市鉄道の線路跡を拝島まで歩いた足で、中神(なかがみ)へ向かいました。 すでに廃線となっていますが、現在のJR青梅線中神駅から分岐し、戦時中の陸軍航空工廠、戦後の米軍立川基地への貨物専用引込線がありました。この線路跡をたどって歩きます。この路…

五日市鉄道・立川-拝島間の廃線線路跡を歩く (2)

前回の続きです。五日市鉄道のなかでは主要な駅のひとつ、南中神を出発したところでした。 ◆宮沢・大神へ 南中神駅構内を出て拝島方面への線路跡は、住宅により一旦途切れますがその裏側からすぐに復活します。 住宅裏から復活する線路跡(立川方向を見て) …

五日市鉄道・立川-拝島間の廃線線路跡を歩く (1)

荒川歩きの途中ですが、気分を変えて立川へ向かいました。今回は太平洋戦争中に休止、その後廃止となった五日市鉄道、立川ー拝島間の線路跡をたどります。 ◆五日市鉄道 五日市鉄道は現在のJR五日市線の前身にあたる鉄道会社です。 1919(大正8)年、勝峯山(か…

錆びた線路のある風景・錆鉄

今回も過去に訪ねた場所を集めての振り返りノートです。鉄道の線路が写っている風景から少し特殊なの、錆びたレールが多めな『錆鉄』。なぜこんなのばかり... はじめは川崎・横浜の臨海部がメインです。貨物線や引き込み線、鶴見線というローカル線など。 JR…

羽沢横浜国大駅・東横フラワー緑道・川崎河岸貨物線跡 鉄道小ネタ3題

近頃単独ではまとめにくい小ネタ在庫が増えつつあり、カテゴリー別に整理を考えました。 まず鉄道ジャンルからです。ゆる~く見てください。 1.相鉄新線 西谷駅・羽沢横浜国大駅あたり 神奈川県内を走る相鉄線、JR乗り入れで都心直通がはじまるのですが、…

国鉄下河原線跡の下河原緑道を歩く

府中市内にある下河原緑道(しもがわらりょくどう)は元々、国鉄下河原線と通称される鉄道路線でした。下河原線は国鉄中央線国分寺駅から府中市の東京競馬場前駅までを結ぶ旅客線と、東京競馬場前駅の手前で分岐して多摩川に近い下河原駅までの貨物線からなっ…

川崎臨海部の鉄路に沿って歩いてみた

今回は小品、プチ・ノートです。あまり目的を持たずに歩いていた、つまり散歩ですが、あとから見返すといつの間にか線路沿いを移動していて、また、途中まででやめちゃったりするので大雑把なんですけど、こんなタイトルつけてまとめてしまいました。 今回は…

湘南軌道軽便鉄道跡を歩く 二宮から秦野

冒頭から、軽便鉄道二宮駅跡にあった解説を一部引用。 馬車鉄道・軽便鉄道・湘南軌道の沿革 通称「けいべん」は、明治39(1906)年に湘南馬車鉄道株式会社が吾妻村(現在二宮町二宮)~井ノ口村(現在中井町井ノ口)~秦野町(現在秦野市本町三丁目)間の道路9…

国鉄相模線寒川支線跡を歩く 《プチ・ノート》

1984(昭和59)年3月まで国鉄相模線、いまのJR相模線には、寒川から分岐して西寒川に至る支線が存在した。いちばん最初に線路が敷かれたのは1923(大正12)年に相模鉄道によってで、相模川河原の砂利を運搬する貨物線だった。戦時中に西寒川近くの軍需工場などで…

羽村堰から軽便鉄道跡の東京水道導水管沿いに狭山湖まで歩く

玉川上水を羽村堰まで歩いたあと、続けて歩いた後半部分のノート。羽村堰までの前半部分はこちらからも。 miwa3k.hatenablog.jp 現在、羽村堰から取り入れた多摩川の水は3つに分水されている。1つは玉川上水に流され、小平監視所からは地下送水管により東…