散歩の途中

iPhoneもって散歩しながらいろいろ観察したノート

立会川を遡り、いくつかの池を見ながら内川沿いに海まで下る (その1)

立会川(たちあいがわ)も内川(うちかわ)も地元の人以外はあまり知らないのでは、ということで最初から余計な解説を。どちらも都心の南側、品川区、大田区といったあたりで東京湾へ注ぐ中小河川である。現在は、河口近くでは普通の河川として存在するが、ちょっとさかのぼると暗渠となって、流れはまったく見えない。とはいえ昔は普通の川として流れていたわけで、かつての流路は普通の一般道や歩道、緑道として残っている。
改めて2つの川について。

立会川
源流は目黒区にある碑文谷池、清水池および碑文谷八幡宮付近など。目黒区から品川区へと流れ下り、品川区東大井で東京湾勝島運河へと注ぎ込む。全長7.4kmの二級河川

内川
かつては大田区北馬込付近の湧水を水源とした天然の河川であったが、現在源流部に流れはなく、上流部は下水道幹線になっている。JR東海道線線路交差地点から下流が河川として管理され、大森東で東京湾京浜運河に注ぎ込む。現在の全長は1.5kmの二級河川

北馬込からだったら川の長さは5~6kmにはなっていた。

今回は、道路となってしまった過去の川の様子を観察しながらの散歩である。そして今回歩いてみた2つの川と関係するものも、しないものもあるけれど、途中にあるいくつかの池にも寄ってみた。
いろいろ長くなりそうなので内容を分けた。その1では立会川を遡る。

立会川・内川行程

スタート地点はそのものずばり、
京急線立会川駅

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この日は七夕過ぎてもう何日も経っていたのに、七夕飾りがまだ出してあった。(私のまとめが遅くなったわけじゃないですよ、という言い訳にもなっております。)

駅前がすぐに川なのだけれどまず河口へ向かう。駅からは歩いて5分くらい。そういえば駅すぐ近くの公園に坂本龍馬の像があったのはどういう縁なのでしょうか?

勝島運河を望む

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正確にはこの風景はすでに立会川河口を過ぎて海。明治時代くらいまでは向こうの埋立地はまだ存在しておらず、このあたりが海岸線だった。

そのすぐ近く

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左側は運河の一部、右側から立会川が流れ込んでいる、ここが河口かな。運河は何やら大規模工事中。

河口付近の立会川

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向こうに見える古い橋は旧東海道の濱川橋。

立会川駅前を再び通り、第一京浜を渡って
桜橋のうえから

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第一京浜東海道線の間あたりの流れ。そのすぐ先で

暗渠の出口

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以前に妙正寺川でも見かけたけど、暗渠の出入口に”カーテン”をかけることがあるのね。

出口の上から下流

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暗渠の上は一般道、歩道に関わらず立会道路という呼び名に統一されている。
歩道のはじまり

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暗渠の上はすぐに歩道がはじまる、または、暗渠の出口ぎりぎりまで歩道になっている。

東芝病院横の歩道(品川区東大井6丁目付近)

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その先で川はJR大井町駅の下をくぐる。
JR大井町駅ホームと手前自転車置き場

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人は駅構内通路を通って、反対側の駅前広場へ出てから続きを追いかける。
大井町駅中央口前から

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前方奥の方から手前左に向かって川が流れていたはず。

大井町駅近くの立会道路

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残念ながら軽自動車がかぶってしまったが、その向こうの並木の方、奥へ立会道路が伸びている。地図でみると、この道路がきれいにカーブを描き、周辺の区画整理とは関係なく街を通り抜けていて、元は川だったんだということがよくわかって興味深い。

立会道路をさかのぼる

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大井町駅前からの立会道路は第二京浜国道1号)との交差点までずっと一方通行、水色の自転車レーンと歩道がこんなかんじでずっと続く。

先日、品川用水の水路跡を下って用水の末端が立会川に接しているところへ出たときもこの色の道路だった。そのときは立会道路を品川区二葉4丁目からJR西大井駅近くまで川を下る方向で歩いた。

miwa3k.hatenablog.jp

この日は大井町駅から西大井駅を通り、二葉4丁目を過ぎて第二京浜交差点に出る。

第二京浜の先は暗渠上がほぼ全面的に歩道になる。
交差点を渡った先で

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500mほどすすむと歩道は右にカーブして東急大井町線荏原町駅下を通過する。
こちらは駅前の商店街の間をぬって踏切を渡り、反対側へ出る。

荏原町駅北側の歩道

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この立会道路の歩道もすぐに東急池上線線路で分断され、その先もまたすぐに中原街道にぶつかって歩行者専用道は終わりになる。

中原街道交差付近

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右側が中原街道、立会道路は右から左へ斜めに交差。中原街道の北側へ出ると立会道路の暗渠はまた車も通る一方通行の一般道に変わる。

品川区旗の台1丁目付近

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しばらく歩くと東急目黒線西小山駅前を通過し、品川区から目黒区に入る。それにしてもこの川はいろいろ駅前を通過している、単に偶然なのかな?

目黒区の立会川解説板

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目黒区内の立会川歩道(立会川緑道)

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まん中が一段高くなった歩道で両脇は一般道になっている。ほかの道路との交差部は歩道が途切れる。

この歩道は碑文谷八幡近くまでほぼ一直線に続くが、途中で一旦折れて流路のひとつをさかのぼる。
目黒区看板の写真解説に出ていた円融寺の門

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暗渠感ある細道

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目黒通り、東急東横線などを通過すると池が有名な碑文谷公園に到着する。
公園南側入口付近

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碑文谷公園にあった「記」

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碑文谷池

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園の半を占むる池に碑文谷池又は三谷池と稱へ立會川の源をなし……さようでござるか。
途中はほとんど暗渠だけれど、立会川の源のひとつへ到達。

後から思うとコース設定がいまいちだったなと思うのが、立会川のもうひとつの源流になる清水池へ足を伸ばしていないこと。残念ながらそちらの風景はここにはない。

このとき碑文谷池からは、支流のひとつが流れ出していたといわれる碑文谷八幡のほうへ向かった。池から神社までは普通の道路を歩いて10分ちょっとの距離。

碑文谷八幡宮

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目黒区が立会川緑道と呼んでいる、一段高くなった歩道をずっと歩いてくるとこの八幡宮の正面に着く。

解説

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社殿を背にして

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鳥居の向こうがいわゆる参道で、立会川緑道の終点となる。

川の流れ、あるいは痕跡といったものは神社の境内、その外側を含めて確認することはできなかった。神社の後ろ側がやや高くなった傾斜地だったのでそのあたりから水が湧き出す可能性はありそうだけれど、いずれにしても未確認。

ここから立会川緑道をさきほど碑文谷公園へ向かうときに折れた交差点まで下り、今度はそこから洗足池を目指す。
続きは新しいノート(その2)へ。
とりあえずその1はここまで。

花水川・金目川・室川 河口から源流まで歩く

平塚市西部、大磯町との境界近くで相模湾に注ぐ通称花水川(はなみずがわ)、正式名称は金目川(かなめがわ)。この河口をスタート地点にしてさかのぼり、秦野市内で合流する支流の室川(むろかわ)に乗り換えて源流までたどってきた。そのときの記録。

花水川・金目川・室川行程

◆花水川

いま書いたばかりだが、花水川は金目川下流部分での別名。古くから花水川の名前は広く使われていたようで、
旧東海道が渡っていたことや、近くに昔は多くの人の信仰を集めた高麗寺のあった高麗山(こまやま)、更級日記に登場する唐ヶ原(もろこしがはら)があることから、花水川の名前は広く知られていたという。(Wikipediaいわく)

まず花水川の河口に向かう。
JR平塚駅から大磯方面行きのバスに少し乗って下花水橋で下車。
下花水橋バス停

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この付近の地名は撫子原(なでしこはら)、花水川をはさんで反対側が唐ヶ原、更級日記には「もろこしが原にやまと撫子しも咲きけむこそ」など人々をかしがる、という記述があるそうでそのへんが由来なのでしょう。

ここから海岸まで歩いて5分くらい。
花水川河口

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湘南の砂浜と相模湾

ほぼ同じ場所から花水川橋

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通っているのは湘南海岸沿いに伸びる国道134号。向こう右端に見えるのが高麗山、そこから左の方へ湘南平など。
高麗山、湘南平などへ行ったとき

miwa3k.hatenablog.jp

花水川橋のひとつ上流が下花水橋、ここで対岸へ渡る。
渡る前の下花水橋

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橋の向こうが唐ヶ原、現在の呼び方は「とうがはら」というらしい。
見てもわかるけど、花水川の河原はどこも草や木がぼうぼうに伸び放題。川面は見えないし下におりると視界がきかない。

東海道線の線路を越えると次は東海道国道1号)の花水橋。
花水橋

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このへんの歩道はせまい

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人ひとり分の幅、これで結構お年寄りが自転車で通る。なかにはもう制御不能なのに漕いでる…(以下自粛)

花水川と河内川の合流点

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向こう側が花水川。先ほどまでのとても細い歩道は解消、すれ違える程度にはなり、川面も見えるように。

平塚大橋

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ここからしばらく上流に向かっては2本の川が並行して流れている。手前に流れが見えているのが金目川、向こう側には鈴川が流れる。それらが合流するこの付近から下流側を花水川と呼ぶようだ。

金目川

金目川をさかのぼる。
新霞橋下流側から(平塚市長持)

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この少し先で東海道新幹線を越える。
新幹線ガードをくぐった先

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新幹線の手前まではずっと住宅地だったが、ガードを越えると風景は田園地帯に変わった。

瀬切れ?

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平塚市立金旭中学付近。上の堰から少しの区間だったけど水が途切れていた。ここより下流では流れが復活していたので、問題なし?

少し上流の吾妻橋付近

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底は浅いけれど流れはある。また周囲は住宅がふえてくる。

金目川はずっと沖積地の平らなところを流れてきたが、このあたりでそろそろ周辺の地形に段差が目立つようになる。
平塚市南金目付近

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のどかなところにさしかかる

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ここも住所では平塚市南金目。こういう場所は無心で歩けてとても良い。

座禅川(左)の合流地点

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欠ノ上人道橋のうえから下流方向

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平塚市から秦野市に入る。川沿いに歩道があるのはここまでなので反対側の県道に出る。県道には歩道がなく、車の数も多いのでしばらく川から離れ、近くの畑に沿った道をあるく。

時は麦秋

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歩いてからまとめるまでしばらく時間が経ってしまった。この頃はまだ麦が刈られていなかった。

この先で東名高速の高架下、小田急線の線路を越えてしだいに秦野市の市街地へと入っていく。県道は川から少し離れてまた川沿いを歩ける。
秦野市東部、蓬莱橋の先で上流側

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金目川と室川(むろかわ)の合流点

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右から流れてくるのが金目川、左が室川で架かっている橋が室川橋。金目川はここから丹沢の山深く入って行ってしまう。先もまだ長く、追いかけていくのは結構ハードそうなので、今回はもう少し簡単に歩ける支流の室川へ移る。

◆室川

室川は金目川水系ではたぶん一番西側から流れ出してくる川である。
室川橋から上流側を望む

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金目川との合流地点のすぐ上。ここは室川に水無川、逆川が合流した後の地点なので川幅を広くとっているけど、室川単独の区間は小さな川になる。
秦野は盆地地形なので中を流れる川の出口が限られる。盆地からの水の出口のひとつになっているのが東側のこの付近で、多くの河川がこの近くに集まって合流して外へ流れていく。盆地の外へ流れていく川はこの近くで合流するすべての水を集めた金目川だ。

根下橋から新常盤橋(下流方向を見る)

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前の橋の先で水無川、逆川が合流している。

鶴巻橋から小田急線築堤

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そのすぐ上流側の流れ

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このあたり川が、せまい範囲だけれど結構深く谷を削っている。

渋沢丘陵

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向こうに見える高台が渋沢丘陵、秦野市の南部を東西に伸びる。この北の縁を西から東に流れるのが室川。畑の向こう、丘陵の落ち込んだ縁のあたりを川が流れている。

室川起点付近の流れ

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起点の標識(秦野市平沢)

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川の起点まできた。起点といっても源流ではなく、この上にも流れはずっと続いている。起点とか上流端とか、行政上の管理区分が変わるので定めてあるだけのものでしょう。役所の都合。
この付近の川幅はずいぶん狭くなっているけれどこれより上流のほうでは、もっと川らしい場所もある。

起点の上流でいったんこの川は森の中の谷間を流れる。
流れは見ることはできないが、水の流れる音はする

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さらに上流で住宅地の谷間を流れている

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秦野市渋沢、栃窪境界付近

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起点よりはだいぶ上流だが、川らしく見える。周辺の沢や湧水などをあちこちで集めて流れている。

それでもさらに1キロくらいさかのぼるとかなり流れは細くなる。
もうすぐ源流

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その先で沢水の合流

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そこから脇の細い坂道を上がっていくと
水が確認できたいちばん先頭の地点

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あまり良い眺めではないけど。

その周辺、室川源流地点

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草むらはおそらく元田んぼ、下がぬかるんでいて水が浸み出している。向こうの竹やぶの奥からも細い流れがあるような感じもしたが、入って行けそうもないのでここまでとする。
住居表示的には秦野市千村という場所。数百メートル先に尾根があってそこが分水嶺、そのすぐ向こうには四十八瀬川が流れている。

帰りは最寄りの小田急渋沢駅まで2キロくらい。ついでに歩いてこの日はもう十分。

品川用水跡を下る その2 目黒区鷹番から品川区内あちこち

前回、品川用水跡を玉川上水水口から歩いて目黒区鷹番まで来た。その続きを歩き、品川区内で分岐していたいくつかの支流にも足を伸ばす。

前回も使った地図をもう一度掲載。今回は目黒区、品川区あたりのせまい地域をあちこち歩いている。
品川用水の流路と関連するいくつかの川、支流の地図

品川用水行程その2 こちらは足跡

スタートは東急東横線学芸大学駅から

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駅前から用水路跡の道路までは200mくらい。相変わらず道路の妙なカーブ以外に痕跡のないところを歩きはじめる。
用水路跡は目黒郵便局とNTTの高い塔のある建物の間で目黒通りを横断し、南の方へ進む。

住宅街の真ん中で急カーブ(目黒区目黒本町2丁目)

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ここまでゆるくサインカーブしていた道路がほぼ直角に折れているところ。最初から道路としてつくられたのだとしたら全然意味のないコース取りなのである。(水路だったら何の意味があるのかというのもあるが…)

直角に折れて今度は東方向へ進み、林試の森公園の西門あたりをかすめて、ようやく品川用水は品川区内に入る。
東急目黒線が地上を走っていた頃の跡が残る武蔵小山付近に出ると、用水路の分岐点でもあった交差点がある。
後地(うしろじ)交差点手前から

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品川用水は現在の品川区域に入ると支流がいくつも分岐していた。ここは「地蔵の辻」とも呼ばれているそうだ。
手前から向こう側に用水が流れ、交差点で左右に水路が分岐していたそうだ。右側がいわゆる本流(メインストリーム)のようだが、最初に左側へ行き、後で本流をさかのぼってこの地点へ戻ってくる。

左側の水路跡をたどると中原街道桐ケ谷交差点に出て交差、すぐ第二京浜国道1号)の交差点も渡ってその先は百反通りとなる。この流れは昔の桐ケ谷村、居木橋村一帯に水を送っていた。

百反通りは大崎西側の再開発地区をかすめる

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道路左側一帯が大崎駅西側の再開発地域、通りはここへ出てくると下り坂となって武蔵野台地を下りて低地へ。用水は台地のうえの田畑を潤すためにひかれたので、この坂を下りてしまう水はもう用のない余り水ということになる。

坂を下り切ったところの先には目黒川が流れている。
坂の下、向こうは大崎駅周辺

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ここから目黒川へ出るには線路や道路が複雑に絡み合っていて、ちょっとややこしいが。

目黒川、居木橋(いるきばし)のうえから南側

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向こう側を走るのは山手線。先ほど通ってきた品川用水の余り水は目黒川のこのあたりへ注がれていたということである。

木橋東詰から対岸を見る

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対岸に水門があるが、品川用水と関連したものかどうかは未確認。でもたぶんあのあたりに用水路の末端があったはずなので暗渠の出口かなと思う。
玉川上水の先端からようやく品川用水の1本の水路末端まで到達したが、次の支流を追うために移動する。

品川用水は支流がたくさん分岐しているが、それぞれ流れの名前が残っていないので区別が面倒だ。次の支流は「地蔵の辻」(後地交差点)で本流側に行き、その先、現在の戸越5丁目付近でまた分岐して豊町、二葉、西品川などを経由して広町で目黒川へ注ぐ水路となる。この支流は歩く都合上、下流、末端側からさかのぼることにした。ただしこの流路末端は現在、第一三共研究所やJR総合車両センターなどがあって入ることができないので、フォロー可能なところから歩き出す。
こちらの支流のスタート地点は西品川1丁目交差点裏にある小さな公園(品川区西品川1丁目8)から。

この公園に抜け道のような細い道があってそこを通ると公園の裏側に出られ、そこから暗渠ワンダーランド。
公園裏から路地に入りこむ

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暗渠路地で間違いなさそう。

まっすぐ行くとゆるい坂道にさしかかる。

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その上は踏切で、渡って振り返る

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ワンダーランドは踏切手前で終わってしまう。手前側は階段になっていて、踏切の向こうへ向かって下りが続く。先ほど通ってきたのは踏切の向こう、右側へ下りていく路地(見えてないけど)。線路は湘南新宿ラインで権現台踏切と書いてある。

用水跡である手前の階段を上がっていくと上はしながわ中央公園。ここを通り抜けて反対側の通りに出るとそこが用水跡の続き。これより上流側(この用水支流は遡って歩いている)にはほとんど用水路の痕跡は残っていない。

通り沿いの豊葉の杜学園の前に品川用水の解説板

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品川区二葉2丁目、二葉鬼門除け地蔵

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左側の建物は二葉町交番。地蔵堂右側の建物とのすき間に水路(暗渠)が伸びている(らしい)。

その先で用水路は横須賀線を越え、豊町の住宅地の中を折れ曲がりながら進み、東急大井町線戸越公園駅ホーム下を横切って戸越5丁目付近に至る。
戸越5丁目付近の品川用水支流分岐点

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手前から右向こうと、折れて左への二手に、ここで流れが分かれていた。

 

次にここから右向こうへ流れを下る形で歩いたが、その前に戸越公園へ。

分岐点まであるく前に戸越公園に寄った。
戸越公園は江戸時代初期、寛文年間の時期に肥後熊本藩細川家の下屋敷として、御殿、回遊式庭園などが整備されたところで、屋敷内の庭園の池へ水をひくために一時期品川用水が利用されていた。(Wikipediaでは「細川家下屋敷(現戸越公園)の庭内泉池用水として、仙川用水から分水を受けるかたちで開削した。すなわちこの時点では玉川上水の境分水口から戸越上水(=品川用水)への分岐点である野川分水口までは仙川用水、野川分水口から細川家下屋敷までが戸越上水であった。」と書かれていて、戸越上水、のちの品川用水は細川家屋敷に水をひく目的で開かれたような記述になっている。)

庭園の池

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流れに滝もつくられている

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もちろん現在は用水の水を使っているわけではないが、江戸時代、ここに庭園の池やせせらぎなどを設けることを目的に20km以上もの長い水路をつくったのだろうか、クレイジーだぜ。

屋敷の正門である薬医門(内側から)

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ちなみに当時の屋敷は現在の公園部分だけでなく、周囲にある大崎高校、戸越小学校、隣接した公園文庫の森などを含めたさらに広い範囲に渡っていたそうだ。

 

先ほどの戸越5丁目の何気ない分岐点へ戻る。
今度はいわゆる本流の、流れを下る方向に歩く。少し歩いて行くと東急大井町線の線路に交差する。
大井町線交差部分

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ポスターの貼られているところの壁がその右側の壁と少し違うが、ここに水路が通っていたとのこと。

人は少し離れたところで線路をくぐり、向こう側へ出ると延長線上にまた道路が伸びている。
なんだかくねくねと

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この先でゆるい下り坂をおり、今度はまっすぐにすすむ。

用水路の末端付近(品川区二葉4丁目)から上流側を振り返って

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ちょうど後ろ側が立会川の暗渠(立会道路)で品川用水本流の末端は立会川へつながって、余った水がそこへ注がれていた。
くねくね道の先の下り坂までが台地のうえで、用水のおもな灌漑範囲だったのかなと想像。

立会道路の様子

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道路の下は立会川の暗渠。別の品川用水支流が立会川に注いでいたところへ向かうため、立会川を写真前方へすすむ。

その場所はちょうど現在のJR西大井駅直下。駅ホーム下を反対側へくぐりぬけ、そこへ合流する道へ折れてもう一度ホームの下を通って元の側へ出てくると、その道路が用水支流跡で、先ほど折れたところが支流と立会川の合流点。
今度は支流をさかのぼる形で歩く。
最初は普通の道路

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しばらく行くと道幅がせまくなって暗渠の路地に

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路地をすすむとまた大井町線を渡るが、
その先にももう少しだけ

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傘をさしている人がいるところへ入って、その次の通りへ出ると、先ほど最初に立会川へつながる用水路本流が通っていた道路にぶつかる。そこがこちらの支流の分岐点ということである。

今度は分岐点から用水路本流を上流側へ戻り、「戸越5丁目の分岐」をさらにさかのぼって、最初の方に紹介した「地蔵の辻(後地交差点)」分岐まで行く。
途中、都道420号(鮫洲大山線)にぶつかって左折する。ここも用水の分岐点のひとつで、右折すれば戸越公園、細川家お屋敷の池へつながる支流である。

左折して第二京浜を越えてそのまま進むと中原街道との平塚橋交差点手前で
右側へ分かれているのが用水路跡

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中原街道を越えて用水路跡をたどると
武蔵小山商店街「パルム」のはじっこ

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全長800mあるという結構有名なアーケード商店街の「800m地点」である。ただし用水路跡は右側に逸れて行く方なので商店街はパス。

用水路跡の道路周辺は普通に住宅地

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この道路をしばらく進むと「地蔵の辻」へと至り、そこがメインストリーム最初の分岐点。この用水路跡歩きのゴール地点になる。

 

ゴールに到着したあと、おまけで羅漢寺川の暗渠へと乗り出したのだけれど、暑さで実はへろへろだった。

羅漢寺川というのは

羅漢寺川は源が目黒区目黒本町1丁目と品川区小山台2丁目の境界、都道420号(鮫洲大山線)の横にあって、林試の森公園北側、目黒不動尊五百羅漢寺の前を通過して目黒川へ合流する小河川で、支流もいくつか存在する。現在は支流も含めてすべて暗渠化されていて、一部は羅漢寺川プロムナードとなっている。

支流のひとつが地蔵の辻(後地交差点)の近く、品川用水跡の道路、都立小山台高校北側あたりから始まっているので、そこから歩き始める。最初はせまい路地が北へ向かって通っているだけだが、かむろ坂を上がってくる通りと交差した先は
微妙な広さの歩道となる

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この歩道の先は下り坂になっていて林試の森公園南側の水車門へつながっている。

水車門を入ったところ

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門をはいると公園内の池にぶつかり、その先へすすむと北側の公園出入り口となる。そこを出たところに歩道が東西に通っていて、それが羅漢寺川プロムナードだ。先ほどから歩いてきた支流はここで本流と合流しているはず。(暗渠なのできちんとした手がかりはないけど)

羅漢寺川プロムナードから

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本流を源流側へたどっていくと別の支流が分かれた先は
細い緑道

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この細い道も都道420号にぶつかったところでおしまい。道路の向こうに続きはなく、そこが川の源流地点。
車止めが数本立っていなければ歩道があることも気づかないような、来た道を今度は下流方向へ。

先ほど公園から出てきた出入り口より先へ行くといったん一般道路に出る。

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ここへ出ずに一本裏側へ回れば湧水が見られたのに、ここは通路ミスチョイス。

その先でまた暗渠道へ

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目黒不動に突き当たる

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川の流路の上がバス停。

本堂へ上がる階段(男坂

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暑さでまいって、この階段ごときを上がる元気がなし。(でもこの後雅叙園前の行人坂をのぼって目黒駅へは行けたわけですが)

階段横の水掛不動

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後ろ、灯篭に隠れ気味の竜の口から出ているのは、後ろの崖に湧いている水。この水も羅漢寺川に流れ込んでいるのだろう。

目黒不動仁王門前から暗渠のうえに歩道が続き、五百羅漢寺(羅漢寺川の名前の由来)前を通ると一般道となって山手通りの羅漢寺交差点に出てくる。

反対側へ渡るとまた暗渠っぽい歩道が続く

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そして目黒川の合流点へ

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正面、柵の向こうが目黒川。その向こうは目黒雅叙園のビル。合流地点の真下に暗渠が口をあけているのが、雅叙園側からは見えるらしいけれど、反対側へ回って確認するのがおっくうになってしまってパス。

へろへろのまんま、行人坂の急坂をのぼり目黒駅方面へ出て本日終了。
目黒駅まで無事に到着

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その1

miwa3k.hatenablog.jp

 

品川用水跡を下る その1 玉川上水分水口から目黒区鷹番

品川用水の跡をたどって歩きました。

◆品川用水とは

品川用水は江戸時代に開削され、現在の品川区の広いエリアに農業用水を供給した用水路である。この用水は玉川上水からの分水で、分水口武蔵国多摩郡境村(現在の武蔵野市境3丁目付近)にある。当時すでに存在していたここの分水口からの水路(現在の調布市仙川方面に供給する灌漑用水路、仙川用水がすでにあった)を途中で分岐、延長する形で、工事は1667(寛文7)年に開始、開通は1669(寛文9)年、メインストリームの長さは約25kmに及び、末端では広い地域の田畑に水を供給するため多くの支流が分岐していた。
明治時代以降は品川区周辺の都市化等で需要が減少、その後部分的に暗渠排水路にされるなどしたが、戦後まもなくに水路はほとんどすべて埋められて、その跡はおもに道路に変わっている。

用水が流れていたところと終端部分で関連する河川について、図で示すのがわかりやすいので行程(足跡)と別に地図を置いてみた。
品川用水の流路と関連するいくつかの川、水路の地図

品川用水行程

こちらは歩いた足跡である。

 

玉川上水の分水口へ向かう

水口玉川上水の、北側には東京都水道局境浄水場、南側には武蔵野市立第六中学にはさまれたところにひっそりとある。

最寄りの駅、JR中央線武蔵境駅で下りる

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水口には直接向かわず、武蔵境駅東側からきれいにカーブして続く歩道を歩いてみる。
緩やかに左へカーブする歩道

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ここは境浄水場へ資材(ろ過に使う砂など)を運んだ鉄道引き込み線の跡だそうだ。カーブのはじまりが中央線の線路に接したところにあるし。
興味深いのは、この線路跡とほとんど対象形に隣の駅三鷹側からも線路跡が伸びていて同じようなカーブを描いている。間の距離はいちばん近づくところでは50mもない。そちらは現在「堀合遊歩道」となっているが、元は国鉄武蔵野競技場線(三鷹~武蔵野競技場前 3.2km)というれっきとした中央線の支線だったそうだ。鉄道好きな人には有名なのかもしれないけど、はじめて知った。2つの線路跡がつくる地図上の対象形の模様がなんだかおもしろい。

引き込み線跡を浄水場手前まで歩いて行く途中に玉川上水
付近の玉川上水の流れ、松美橋から

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左が玉川上水の流れ、右側土手の向こうが境浄水場

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玉川上水の松美橋と1つ上流の桜橋の間、ここに品川用水の分水口があった。
水を分けるための堰が残っている

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堰への階段が向こう側にある。季節的に見えにくいので、初冬に玉川上水を歩いたときに同じ場所で撮った写真を。
反対側から

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左側が上流、この堰で水のかさを上げ、分水口(手前側にあった)から品川用水側へ水を取りこんだ。現在は分水口は埋められている。

品川用水の解説板

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◆品川用水跡を歩く 武蔵野市内、三鷹市

ここで分けられた用水の水は、現在南側にある武蔵野市立第六中学校の敷地内を通り、堀合(ほりあわい)通りとなっている道路に沿って、南西方向へ流れていた。
先ほども書いたが、用水跡はすでに埋められており、埋めた後はほとんど道路となっている。その作業は昭和20年代に行われたと古いこともあって流れの痕跡はほとんど何も残っていない。道路上に残る微妙なカーブに流れの跡を想像するくらいである。
この先はひたすら道路歩きとなる。

中学校の敷地から出てきた場所

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木立ちの向こうは中学校の校庭、そこを横切って手前の道路のほうへ流れがあった。

その道路を流れの下流方向へ歩いて行くと
ゆるくカーブする道路・堀合通りにて

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平地にもかかわらずゆるくカーブする道路に流れの跡を想像する。(三鷹市上連雀1丁目付近)

この先で用水跡はJR中央線とクロスする。
通りの先に中央線線路

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三鷹駅の西側である。完成時の用水はここを真っ直ぐ先に進んでいたが、鉄道が通るようになって用水路は線路下をくぐるようになった。その跡は現在、堀合地下道という歩行者用の横断路になっている。

でもそこはあえて通らずに、地下道のもう少し西側にある跨線橋を通る。
三鷹陸橋・線路北側から

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1929(昭和4)年につくられた古い跨線橋でだいぶ年季がはいっているけど、いまだに現役で使われている。間近で見ると鉄道のレールなどをうまく組み合わせて造ってある。上からは電車の車両基地がよく見渡せて地下道をあるくよりは楽しい。
車両基地を望む

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そして南側へ下りると

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陸橋の南側から

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線路を渡ると用水路跡は三鷹駅南側の繁華街を斜めに突っ切っている。
三鷹通りを横切るところ

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左側から微妙にカーブしてくる道路が用水跡で、通りを横切ったあと三鷹駅近くの商店街をななめに通り抜ける。

この先は商店や住宅地の間を時々流れの方向を変えながらずっと通っていく。
風景的にはこれといった特徴もないので少し端折り気味に行く。
杏林大学井の頭キャンパス前を南方向へ下り、人見街道三鷹市新川交差点に出てくると昔の用水路はこの付近で二手に分かれていた。一方は東方向に流れていく品川用水、もう一方は西方向に流れていく仙川用水なのだが、このノートの冒頭にも記したとおり、品川用水は仙川用水の途中から分岐、延長したもので、ちょうどこの付近が分岐点だった。

分岐点近くの人見街道三鷹一小交差点付近

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分岐点が1つ手前の新川交差点からこの三鷹一小交差点付近にあったようだが、交差点付近には用水路の痕跡は見えないので、普通に道路交差点の風景ではある。現在の人見街道はここで左に折れ、用水路跡は正面の下本宿通りを通ってその先で東八道路へ合流する。

東八道路三鷹台団地南口交差点近くで中川遊歩道

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現在のこの遊歩道は、水無川三鷹市内で中川と呼ばれる)を暗渠化したうえにつくられたもの。この地点は「中川」の最上流部に近いが、過去には用水と川の交差があったはずで、両方の水をどのように交差させていたのだろう。ちなみに品川用水と水無川の交差はこれより下流の世田谷区粕谷付近にもある。
水無川(中川)を歩いたとき

miwa3k.hatenablog.jp先の交差点付近で用水跡は東八道路から離れ、今度は烏山通りに入って南進する。

◆品川用水跡を歩く 世田谷区内、目黒区内

烏山通りに入ると世田谷区となる。世田谷区に入ってもこれといった変化はなく。
世田谷区北烏山6丁目、9丁目境界付近の烏山通り

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この先品川用水路跡は千歳烏山駅前商店街のなかを突っ切って京王線千歳烏山駅ホーム下を横切る。そういえば水無川(現在は暗渠)も千歳烏山駅ホーム下を通っていたはずで、ふたつの水路はこのあたりでごく近くにあったということだ。

品川用水跡に沿い、駅の南側に出て南の方向へ進む。数百メートル先のY字路になったバス停の間に
粕谷地蔵尊

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お地蔵様のすぐ先は
水無川緑道の起点

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先ほども出てきている水無川(中川)の品川用水との交差地点でもある。水無川は歩道向こうから手前へ流れ、品川用水は道路上、右から左へ流れていた。
東八道路三鷹台団地南口交差点付近にも両水路の交差があって、ここで交差2か所目。三鷹台の方はどのように交差していたかはわからなかったが、こちらは水無川のうえに品川用水を掛樋で通していたということで、流れの立体交差になっていた。
どちらも細い水流で、なぜ2回も水路を交差させたのかということだが、水無川の水は基本的に現在の世田谷区内流域の田畑で使用するために流れを確保し、品川用水の水は元々需要量に対して供給量が少なく、なるべく損失無く現在の品川区内まで運びたかった、ということできちんと分離したのではないだろうか。水無川の水を品川用水へ合流させてしまうと世田谷の人が困り、品川用水を水無川のほうへもっていけば品川の人が困るということになる。

用水路跡である千歳通り沿いにずっと進むと環八との交差点に出る。
環八船橋交差点付近

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千歳通りは環八を斜めに交差し、その先小田急千歳船橋駅近くでガード下をくぐる。ガードからこの先のバス停先にかけて道路は左右に何回かカーブしていて、昔は水路が蛇行していた名残りだろうけれど、なぜここで蛇行していたのかはよくわからない。

その先で崖に沿って道路(昔の水路)が通っているところに出る。ここにずっと玉石がはめ込まれている。
道路片側が玉石で補強されているところ(世田谷区桜丘2丁目、千歳通り)

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玉石の石垣はもしかすると用水路があったころから存在していたではないかと推測。歩道上の車除けコンクリート柱もこのへんあちこちで見かける。ちなみにこのあたりの千歳通りは1964(昭和39)年東京オリンピックに伴って用水路跡を整備開通した道路なのだそうで、道路としては比較的新しい。

用水路跡はこの先、東京農大前交差点で世田谷通り(都道3号)に合流し、そのすぐ先で馬事公苑東側を通る道路に沿って南下する。
馬事公苑に沿って(世田谷区弦巻5丁目付近)

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右側塀の向こうが広大な馬事公苑の敷地。何だか知らないけれど敷地全般にすごく大規模な工事中で園内には入れない。(付記:2020年の東京オリンピックに向けての工事とのこと。当分なかへは入れなそうだ。馬事公苑はなくなったものと考えておこう。)

そういえば以前、蛇崩川の源流がこの辺ということで馬事公苑東側の弦巻5丁目交差点へ来たことがあったが、そこは品川用水の流路跡だったとは。
蛇崩川からアプローチしたときの弦巻5丁目交差点

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向こうからこちらに向かって用水が流れていた。

さらに南へ進むと旧大山街道(にして国道246号の旧道)にぶつかる。用水もほぼ直角に曲がって街道沿いに流れていた。東急田園都市線桜新町駅前のメインストリートだ。
桜新町商店街から

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ちょうどこの歩道に沿って品川用水の土手があったそうだ。

東の方向に進み、国道246号新町1丁目交差点近くで、用水が現在の国道を避けるような形で北側にいったん逸れてさらに東方向へ進む。駒沢小学校前を通過したあとしだいに南東方向へ向きを変えて国道246号と環七通りの上馬交差点を通り、今度は環七通りに沿って南東方向、野沢交差点まで行く。

ここで環七から東側へ逸れて行く道に入り、しばらく行ったところに
水車橋バス停

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現在は何もないが、このあたり用水に沿って水車小屋と水路にかかる橋があったそうでその名残りがバス停の名前になっている。
おそらく個人が掲げたものだと思うが絵図があったので

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その先で駒沢通りに合流する。駒沢通り歩道の一部だけレンガで囲われたちょっと不自然な植え込みがある。
歩道の植え込み

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地図で確認すると、ちょうど用水路跡と一致する部分だけが植え込みになっていた。

その先、次の信号で用水路跡は駒沢通りから分かれ、三叉路を東の方へ入っていく。
目黒区鷹番3丁目付近

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東急東横線学芸大学駅北側の商店街の通りになる。上を通っているのが東横線線路。

用水路跡はここから目黒通りに出ていくのだが、こちらが疲れたのでいったんここで切り上げて後日出直してくることにした。まだ品川区には到達していない。(なげーなこの用水路)