散歩の途中

iPhoneもって散歩しながらいろいろ観察したノート

鎌倉街道を歩く 上道その2 上飯田から原町田

鎌倉街道上道(かみつみち)、2回目のスタートは現在の地名では横浜市泉区上飯田町。鎌倉街道と長後街道が交わる上飯田団地入口交差点付近から。

前回こちらの続き

miwa3k.hatenablog.jp

上道その2 行程

スタート地点へのアプローチは相鉄いずみ野線いずみ中央駅

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駅北側で長後街道に出て西へ歩く。10分くらいでスタート地点の交差点に到着する。

スタート地点からは鎌倉街道に折れて北方向へ。交差点すぐのところに無量寺がある。
無量寺

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1653(承応2)年開山、1593(文禄2)年に開創などと伝わる寺院。大山道(現在の長後街道)に近く、大山参詣の方に縁が深いお寺のようだ。

上飯田団地と境川の間を通過し、飯田神社前を通る。
飯田神社鳥居前から

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右隅の説明板から

飯田神社
境川や和泉川沿いに見られる「サバ神社」の一社で、祭神は源義朝を主神に宇迦之御魂大神(うがのみたまのおおかみ)・大山咋神(おおやまくいのかみ)です。伝承によると、飯田五郎家義(いいだごろういえよし)がお祀りしたといわれています。縄文時代境川沿いは入り海で神社の境内の土手から縄文後期の人々が使った注口土器(ちゅうこうどき)が出土しました。境内の神楽殿は、明治20年頃、飯田学校校舎として使われていました。鳥居前には地蔵像・七観音像・庚申塔道祖神が立っています。 泉区役所

飯田神社横で

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飯田神社を過ぎると県営いちょう団地にさしかかる。
いちょう団地前交差点

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手前の道が鎌倉街道かは微妙なところ。この付近の経路は不明瞭。

そのわりに近くには二十三夜塔と道祖神が道端にあったりする

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本興寺仁王門

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境内

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いちょう団地近くにある本興寺日蓮宗別格本山の寺で、鎌倉の本興寺が幕府の弾圧に遭い、1660(万治3)年この地に移転したとのこと。

寺の裏手を東海道新幹線が通り、これを越えて農業地と住宅地の混在地域を北に進む。

地元の解説では旧道とされている道

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道なりにいくと相沢川(境川の支流)沿いに出る。そのまま川沿いに歩くと横浜環状4号線下瀬谷橋交差点近くに達する。環4を跳ね返るように道を折れて相沢川を渡ると細い街道が先へ続いている。
そのあたりはすでに横浜市瀬谷区となる。

瀬谷区下瀬谷3丁目あたりの街道

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道幅のせまい道路がずっと続いている(これで一方通行ではないのだ)。現在は住宅が密集しているが、元は農家だったような家もあちこちにみられる。

しばらく行くと中原街道に交差し、その交差地点近くに宗川寺(そうせんじ)がある。

さらに北へ向かって行くと道路内に庚申塔、地神塔など(瀬谷区橋戸3丁目付近)

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瀬谷5丁目付近の地神塔?

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こちらは道の真ん中にあってロータリーになっちゃっている。
これを撮影していたらちょうど通りかかった若い人が「ここって聖地なの?」、言葉返せず微笑んでおきました。

少し戻って
左馬社(さばしゃ)

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隣接する西福寺(さいふくじ)

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左馬社の解説

左馬社と梵鐘
その昔、境川流域の村々では、疫病が流行すると境川の東西に点在する神社をまわり、厄除けをする民族信仰が盛んでした。(七サバ参り)
当左馬社は、「七サバ神社」と呼ばれるうちの一つであり、祭神は佐馬頭(さまのかみ)源義朝です。
隣接の真言宗西福寺が、この左馬社の別当職であったので、当時の神仏混淆(しんぶつこんこう)の姿が今日に残り、神社の境内にある吊鐘は区内唯一のもので、厄除け、虫除けに鐘をついて祈願したとのことです。
梵鐘は江戸時代の文久元年(1861年)に鋳造されましたが、太平洋戦争の際供出したため、昭和32年(1957年)氏子の協力によって新たに現在の鐘がつくられました。 平成10年3月 瀬谷区役所 平成26年12月貼替

左馬社&西福寺から北に歩いて行くと厚木街道やさっきの「聖地」かもを越えて、相鉄本線も越える。

徳善寺(とくぜんじ)山門前から

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寺号標は徳善禅寺、創建は1555(弘治元)年。いい感じの山門。*1

山門には仁王像があり、扁額は平成門

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どちらもきちんと写ってないけど…。

徳善寺の先で大門川という小川を渡り、その先に日枝社という神社前を通る。それほど大きな神社ではないが鎌倉時代にはすでに存在していたといわれている。
さらに進むと中屋敷という場所に入っていく。地名のごとく昔の立派な門構えの屋敷が街道沿いにいくつか残っている。古木も多く良い雰囲気、ちょっとした「歴史地区」だ。

歴史のありそうな家の門と立派な幹

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お寺のようにもみえるけど、個人名の表札が掲げてあった。

蚕を扱っていた建物か(推測)

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瀬谷銀行跡

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門の中には開業時の建物が残っているとのこと。
解説板から

瀬谷銀行跡(せやぎんこうあと)
明治40年代後半の頃は、養蚕業が隆盛をきわめ各所に製糸工場が設立され、養蚕業の最盛期でした。
このような経済の好況を反映して、瀬谷銀行は明治40年(1907年)に創業され、30年にわたり地域金融事業の中心となり、実業界・政界に大きな影響を与えるとともに地域の発展に寄与しました。
頭取小島家は代々政五郎を名乗り、江戸中期から中瀬谷村村役を務め、更に明治・大正・昭和の初期まで村行政に功績を残しました。 平成10年3月 瀬谷区役所

瀬谷銀行は1935(昭和10)年に鎌倉銀行と合併し、その後、横浜興信銀行(のちの横浜銀行)に営業譲渡。

堅牢地神塔、道祖神、お地蔵様…

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道祖神は1835(天保6)年、地神塔は1840(天保11)年と記されている。

その先に善昌院があり、さらに坂を上がっていくと県道に合流して妙光寺
妙光寺

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瀬谷区のHPでは「飛鳥時代白雉3年(652)に建てられた明光比丘尼の庵がもとになったという古刹。鎌倉時代には日蓮宗の祖日蓮上人が宿泊、住職の文教和尚が教化され改宗したという歴史をもちます。」

県道が東名高速の高架下をくぐる手前に若宮八幡宮

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室町時代末期永禄年間(1558~69)岩崎丹後守が創建。境内には八幡上古墳跡があり、春には桜が見事です。昭和42年に背後を通る東名高速道路の建設で現在地に移転移築しました。」

東名をくぐると工場地帯となり、町田市との境界先までは古道を歩いているという雰囲気は皆無。国道246号に突き当たり、八王子街道との目黒交差点を渡って境川のほとりに出る。

境川と旧大山道鶴瀬橋

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橋を渡っているのが旧大山道、左に行くとすぐに下鶴間宿になる。橋のところが鎌倉街道と旧大山道の交差地点ということになるけど、鎌倉街道は改修されて真っ直ぐになった境川沿いの歩道を通っていたはずはなく、もう少し川から離れたところにあった。左上に見えるのは観音寺。

町田市に入った。川沿いに少し歩いてから街道筋に戻る。

鶴間公園近く

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このあたり東急田園都市線南町田駅近くの造成地で向こうが鶴間公園。

南町田の住宅地を田園都市線国道16号バイパスと越え、つい最近開通した鶴間公園通りを通る。この通りと都道56号との合流点となる町谷付近では古代の東海道も通っていて府中方面へ向かっていたそうで、その道筋が鎌倉街道となったとも言われる。ということはこの付近から府中にかけては古代の東海道をも歩くということになるのか。
途中で現代の大通りを逸れて細道へ。

西田杉山神社の前から

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神社は1683(天和3)年創建と伝えられている。

再び都道56号に戻り坂を下る

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鶴金橋交差点、都営金森アパートを通過して坂を上がると都道の新道は折れていき、道が細くなる。こちらが旧道らしい。

金森杉山神社

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先ほどの西田杉山神社と同じ1683(天和3)年創建。同じ金森という地域内にあって、ご神体は1年ごとに両神社を行き来しているらしい。

その先へ行くとJR横浜線の線路にぶつかる。街道はそのまま線路の通っているところを越えて向こう側へ行っていたようだ。
町田天満宮の敷地を迂回して線路を渡る歩道橋に出る。

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右側は町田天満宮

町田天満宮社殿

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創建された時期はわかっていないが、棟札に元和元年(1615)天満天神奉遷宮とあるとのこと。

先ほどの歩道橋を渡ると町田の街中に入る。
JR町田駅前の通りのひとつ先が街道の道筋とのことで、そちらへ入るが今回の予定では町田まで。すぐにまた駅前通りへ戻る。

町田駅前通りへ向かって

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この付近は町田市で、駅名なども「町田」で統一されているけれど、現在鉄道が通っているあたりはかつて「原町田」と呼ばれていて、昔は原町田村だった。隣接して本町田村があり、こちらから分かれた村ということでこの名前になっていたらしい。
横浜線の駅名も昔は原町田駅、あとからできた小田急線は新原町田駅だったというのはおまけのエピソード。

ということで、今回はここでおしまい。

経路上のおもな地名(上道その2)
上飯田→瀬谷→本郷→中屋敷→目黒→鶴間→町谷→金森→原町田

*1:こういう表現しかできないところに歴史造詣の薄弱さを感じてしまう…とほほ

鎌倉街道を歩く 上道その1 鎌倉から上飯田

◆前口上

回数が多くなりそうなシリーズものには前振りをつくってみたくなるので、面倒ならば読み飛ばしてくだされ。

鎌倉街道

鎌倉街道は「いざ鎌倉」で幕府の御家人が鎌倉へ参集するための道というのが一般的で、学校の歴史の授業でもそんなふうに習ったような気がする。でも”いざ鎌倉専用道”というわけじゃなく、きっと普段から街道として人や物資がいろいろ行き交ったに違いない。

そもそも鎌倉街道という呼び名も江戸時代以降になって使われ出したらしい。それ以前は何と呼んでいたのか、記録も残っていないのか? でもここでは便宜的に「鎌倉街道」で統一しちゃう。

鎌倉時代になって鎌倉とおもに東国(東日本)の各地域を結ぶ道が次々に造られ整備された、これが鎌倉街道の最初。だけど当時新しくつくられた道路に加えて、それより以前から存在した道に新しい道をつなげたり、なんか勝手にそのへんの道路を街道に格上げしちゃったりということもあったらしく、実質的に鎌倉街道を名乗る道は無数にある、いまでも。街道の途中はあみだくじのはしごみたいな状態。(ゴールは鎌倉一点だけどね)
時代が下るにつれて新たなバイパスができたり、災害などで廃道になったりということもあったし、現代になってから研究者の解釈で追加、変化した道路(や経路)もあり得ると思う。

・どこを歩くか決める

鎌倉近郊での主要な街道は、上道(かみつみち)、中道(なかつみち)、下道(しもつみち)と呼ばれる3つに、東海道に沿う京鎌倉往還などと言われることもある。これも意見は様々で、はっきり決めることはできないけど、まずマスタープランがないと先へ進めないので自分のような歴史ド素人はこの案に従う。

現代に鎌倉街道跡をたどる人は、多く上道、中道、下道の3つの道を行くのが普通なようなので、これを歩くことにした。

でもそれに従ったところで当時の村や集落レベルでの細かい道筋までは追って行けないことはすぐにわかった。なにせ古い時代にできた道なので現代では断片的にしか道路が残っていない、正確な道筋ははっきりしないところも多い。しかも経路はあみだくじ状であれもこれもだ。

さてどうするかとネットで下調べをしてみると、鎌倉街道跡を歩いたり、道筋を調べるなどしてそれをネット上に記録している人は結構存在していて、案外みんな同じような道筋を示していることがわかった。研究者が実地に調査などをして文献類に記したコースをだいたい参考にしているらしい。そんなものか、というかそれに乗っかっちゃうのが安直でいいかなと。

ネットのマップに落とされていたいくつかのコースを大いに参考にさせてもらうことにし、ある程度の食い違いは適当にそれっぽいものを選択してマイ・コース案はできた。

前振り終わり。

 

◆上道1回目

鎌倉街道、最初は上道(かみつみち)から歩く。今回はその1回目。
上道その1行程

上道は鎌倉から武蔵西部を経て上州に至る道である。その先信濃、越後方面へも伸びていたとのこと。
「いざ鎌倉」となるときは鎌倉へ向かって進んで行くはずだけど、こちらは鎌倉から歩きはじめる。鎌倉往還とも言われるごとく行きがあれば帰りがあるのだから。

スタート地点は上道、中道、下道とも鶴岡八幡宮三の鳥居前と決めた。ここから上中下道3方向へ分かれる想定。

歩き始めは現代ならまず鎌倉駅がアプローチになる。ここから若宮大路の段葛を通って三の鳥居へ向かう。
朝の鎌倉駅

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二の鳥居から段葛へ

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時刻は7:30頃、駅前には人がたくさんいたけど段葛にはまだ観光客もいない、ここで向こうまで見通せたのははじめてかもしれない。

スタート地点に決めた鶴岡八幡宮三の鳥居前に到着

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上道は鳥居をくぐらず、横大路を左方向へ。

鎌倉市川喜多映画記念館手前

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寿福寺手前で横須賀線線路に突き当たり、そのまま線路に沿って北鎌倉方向へ行く。

海蔵寺岩船地蔵堂

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ここで線路のガードをくぐって化粧坂(けわいざか)を目指す。化粧坂へは観光案内の標識があちこちにある。

化粧坂の途中から

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化粧坂の解説板

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坂を上がったところにあった。坂の上は源氏山。源氏山公園の歩道を葛原岡神社の方へすすむ。

あれ、この看板「仮」粧坂だ。調べたら「化」も「仮」もどっちもありみたい。

葛原岡神社鳥居

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鳥居の手前を神社の脇へ行く道があるのでそこへはいる。細い寂しい道だけどすぐに住宅地の中へ出る。

鎌倉市梶原の住宅地は丘の斜面に造成されている。その斜面を下りないように尾根筋に近いところを進む。
山の上ロータリーというところ(鎌倉市梶原2丁目、3丁目境界)

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山の上通りから来て西の坂方面へすすむ。住宅地の西の端まできて坂を下りていくと駒形神社がある。

駒形神社前から(鎌倉市寺分)

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治承年間(1177~1181年)の創建と伝えられているが、詳細は不明だそうだ。

すぐ近くに大慶寺という寺院があり、そちらの創建は弘安年間(1278~1287年)とのこと。この付近「寺分(てらぶん)」という地名だが、「大慶寺の寺域」に由来するもので、この寺院が付近に広大な寺域を持っていたことを示すものとのこと。(大慶寺の写真を撮っていなかった)

その先で湘南モノレールの下を通過する。

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赤信号の側へ出て、しばらく歩いて行くと柏尾川にぶつかる。

川の両岸は平らな地形が広がっているが、かつてはずっと湿地帯だったらしい。川の氾濫などでたびたび街道も道筋を変えたと考えられ、どのあたりを通っていたかを確認できない場所である。
今回は町屋橋で柏尾川を越える。

町屋橋から柏尾川上流方向

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その先もしばらく街道跡は不明瞭

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川を渡ると鎌倉市から藤沢市にはいり、東海道線線路と向こうは武田薬品研究所。研究所のなかを街道が通っていたとも言われている。写っている道路は街道とはなんの関係もない。

広大な研究所敷地を迂回して裏手へ。
その研究所裏手は小高い丘になっていて地名は村岡。坂道を上がり、村岡城址平安時代桓武平氏一族の平良文(村岡五郎)により築城といわれる)付近を通る。一帯は村岡氏の荘園だったそうだ。

村岡から渡内へ。

渡内日枝神社

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平良文氏による創建ともいわれている。神社の祭神は現在大山咋命(おおやまくいのみこと)とともに平良文となっている。

神社脇から渡内交差点で県道に合流して西の柄沢(からさわ)方面へ向かう。途中近くを通る慈眼寺という寺院の創建は天文年間(1532~1555年)頃とのことで、鎌倉時代以降。
柄沢に入ると県道は下り坂になるが、鎌倉街道旧道は坂を下りず、途中で北の方向へ折れていたらしい。その道筋は消滅しているようなので、参考にさせてもらったマップに従い適当なところでその方向へ曲がる。

曲がると隆昌院、柄沢神社などがある。
柄沢神社前

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1193(建久4)年に源頼朝が参拝したと伝えられているこの神社は周辺の宅地造成で、最近になってこちらへ再建されたそうだ。鳥居の左手前側にも石像、石碑などが置かれている。ただし江戸時代以降のもの(昔のものは風化してしまうから)らしい。

さらに進んで小さな谷へ、ここで滝川を渡り対岸の大鋸(だいぎり)へ。
台地へ上がると旧東海道と鉄砲宿交差点で交差する。ちょうど藤沢市横浜市戸塚区の境界あたりとなる。

鉄砲宿交差点

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向こう側の広い道路が旧東海道で、手前側は並行して桜並木の歩道が設けられている(写真を撮っているあたり)。右手前側から出てきているのが鎌倉街道だけど、ここは十字路ではなくT字路。

(話逸れるがここで雨が強くなってしばらく雨宿り。)

鉄砲宿とは東海道戸塚宿と藤沢宿の間にあった、正式の宿場ではなく規模の小さなサブの宿(間の宿:あいのしゅく)。江戸時代の東海道整備以前にどうなっていたのかは不明。

鎌倉街道東海道をクロスして戸塚区の俣野という地域に向かう。
東海道近くの辻にあった石仏など

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坂を下りてまた低地に出る。この先は基本的に境川左岸に沿って、つかず離れずでずっと進むことになる。道は川沿いの田畑から一段高いところを通している、という傾向がある。

途中道路わきに”ぼっち鳥居”があり、その近くに街道の解説板と石碑2つがあった。先にある八坂神社の鳥居。
石碑と解説板

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解説には「鎌倉街道西の道」(西の道は上道と同じ)とあり、1333(元弘3)年の新田義貞の軍勢による鎌倉幕府討伐の件が書かれている。

ぼっち鳥居の延長線上にはちゃんと八坂神社があった

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道路の拡幅で鳥居の先を道路にしてしまったらしい。拡幅したわりにはせまい道路で、車の通行も頻繁にあって歩くにはとても危ない。
八坂神社の前にも古い石仏が3つほど。

境川支流の宇田川を渡るとその先で県道にぶつかる。右へ行くと以前存在した遊園地「ドリームランド前」交差点というのがまだ残っている。そちらの方へも街道の支道があったらしいけど今回は左折。

俣野観音堂

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ここで県道から分かれ、右側の道へ入る。

俣野神社を(少し離れていたので気づかず)通過し、その先のY字路には
庚申塔

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上の真ん中は昭和のもの、とか見ていたら台座の下にも「庚申」やいろいろな文字がある。コンクリートに埋め込まれてるように見えるものがあるんですがよろしいんでしょうか。

少し先でまた道が二又に分かれている

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参考にしたマップでは左へ行って境川遊水地公園に出ることになっているが、個人的には右側の斜面脇の道のほうが、ここまでたどってきた古道の風景に連続するように思った。(感覚的なものでうまく表現できないのだけど、右側が古道の続きという気がした。)
けれど左へ行き公園の脇を通って和泉川へ。

前もって見ていた何かの記述で「鎌倉街道は和泉川を鍋屋橋で渡る」があったので、鍋屋橋まで川沿いに歩く。
鍋屋橋

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先ほどの斜面脇の道を通ってもここへ出てくることができる。

鍋屋橋から下飯田の交差点に出て渡る。このあたりは横浜市泉区。下飯田交差点の先に琴平神社、東泉寺という神社と寺院があった。
東泉寺の入口から

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東泉寺の開創はわかっていない。元々境川近くにあったが何回も水害にあって流されたため、1590年頃街道沿いに移されたとのこと。

もう少し先へ進むと相鉄いずみ野線横浜市営地下鉄の高架の下をくぐる。その手前に富士塚城址源頼朝御家人だった飯田家義のやかたがあったところ)がある。

さらに行くと脇へそれる道がある。
旧道の名残り?

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そこをたどると左馬神社の前へ出る。

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このあたりには表記は様々だけど、「サバ」神社が何か所かある(なかには鯖神社も)。すべて祭神は源義朝源満仲だそうで、これも鎌倉つながり、という感じはある。

さらに旧道のようなところを行くと

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美濃口家住宅、江戸時代の下飯田村の名主だった家だそうだ。家の前に「横浜市地域有形文化財・美濃口春鴻関係資料一括二十三件(非公開)」という解説つきの看板が立っていた。美濃口春鴻は江戸時代中期の俳人でここが生家。

また大通りに復帰すると
立派な長屋門

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この家も昔からの有力な農家だと思われる。中には手入れされた前庭が垣間見えた。

もうしばらく行くと長後街道(昔の戸塚大山道)の上飯田団地入口交差点に達する。
もう少し先まで行きたいけど、この先歩く距離のバランスを考えて本日はここまでとした。相鉄いずみ野線いずみ中央駅へ交差点から10分くらいかな。
次回はここをスタートして町田まで行く予定。

今回出てきた経路上のおもな地名
鎌倉→化粧坂→梶原→寺分→村岡→渡内→柄沢→大鋸→俣野→下飯田→上飯田

森といずみの横浜を歩く

横浜につける形容詞、まくらことばとして、森もいずみもあまり使わないとは思うけど。でも今回はそんなところをメインに。

アプローチはJR根岸線港南台駅

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大抵の横浜市内の鉄道駅周辺がそうであるように、ここも東京や横浜などへ通勤通学する人たちのベッドタウン。

最初はこんな風景

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駅から結構離れても住宅街が続いているが
そこからあっちを曲がり

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こっちを上りと

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うにょうにょ歩くと、なんとなく森の中に入る。

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ちなみに横浜市内にも、市や県が管理しつつ昔からの雑木林などをそのまま残している”〇〇の森公園”のような場所はいくつもある。ここは、先に行くと公園だけど、この場所はまだ公園の範囲外。

おっと、今回の行程を。

こんな森の道でもGoogleマップをみれば道路のしるしがずっとつながっているので信用して先へ入っていく。

立入禁止の立て札

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先へ進めなくなったと思うでしょ。実は「立て札の向こう側から藪漕ぎしてここへ出てきた」が正解。

1つ前の写真の道は入っていくとしだいに細くなり、しまいに藪に取り囲まれてしまう。かろうじて残っている道の痕跡をたどったらこの立て札の後ろ側へ出てきたということ。以前は道として存在していたけど、いつからか通行禁止になってしまったらしい。公園側のロープには「私有地につき…」とのタグが。やれやれ、あちこち擦りむくし、くもの巣だらけ、おまけに前夜降った雨露が草木に残っていて頭からびしょびしょだ。
グーグル先生を信用しすぎてこんな目にあったのははじめてじゃないのに、またひっかかった。

それでもロープのこっち側は公園なので、もうひどい目にはあわずに済みそう?
公園内

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いえいえ公園内も前日の雨でぐちゃぐちゃのぬかるみがあちこちに。それでなくても普通の人を逸脱した姿になっているのにこの上こけたりしないように気を使う。

長居は無用と出口をみつけて、その前にくもの巣だけは取りはらって脱出。ここは小菅ヶ谷北公園(こすがやきたこうえん)。(いつかリベンジしてやる)

すぐ隣りには舞岡公園、ここにはちゃんと通常の出入口から中へ入る。こちらも自然の雑木林などを残した公園。
南側の一角は整備された普通の公園

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ため池

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池に隣接して、たんぼ

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昭和ノスタルジックな風景

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かっぱ池

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かっぱ池の水は確認できなかった。池というより沼に近い?、少なくとも泉のイメージじゃない。かっぱの置物があったけど半分草と土に埋もれていてちょっと気味が悪い、ぎょっとした。

尾根の細道

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また森の中へ

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このあたりは「舞岡ふるさとの森」と呼ばれている。舞岡公園から南北にずっと続く雑木林は結構広い。

森をぬけて住宅の間近へ

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そこからほどなく

横浜市営地下鉄舞岡駅出入口

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こんなところに地下鉄の駅が、と不思議になってしまう。駅付近もなんだかのどかなのだ。最初に書いた「大抵の横浜市内の鉄道駅周辺が…」の例外がこちらになります、という場所。

舞岡駅から北側の丘にのぼる途中で振り返って

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舞岡駅方向の景色。下は畑や温室。さすがに住宅もないわけではない。

丘を越えて向こう側へ下りると
舞岡川を越える

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先ほど舞岡ふるさとの森をぬけて住宅の間近へ出てきたときに脇を流れていた小川(3つ前の写真)がこんなになりました。

このへんからは住宅街。舞岡から柏尾という場所へ。
柏尾町の住宅地域

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国道1号東海道線線路を越え、柏尾川を渡る。
丘を越えて川を渡り、また丘にのぼって、また下りてを繰り返す。

階段の斜面を下りていくところ(戸塚区秋葉町)

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底まで下りると必ず川が流れていてそれを渡る。
名瀬(なせ)川を渡る

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隣りは横浜新道の防音壁。

このあたりも基本、住宅地だけれど、少し脇へそれると
ちょっとした里山風景

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ここは公園などにはなっていない。この日は出だしで痛い目にあったのでこの森の奥に入っていくのはやめにした。

先ほど渡った名瀬川に沿って歩いて行くと、その支流に沿って遊歩道があった。
名瀬川支流の遊歩道

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妙に石がごろごろ

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この上流の様子が気になったけど先は追わない。川はこの先にあるゴルフ場のコース付近から流れ出しているみたいだ。

川から離れてまた丘へあがり
越えて下り坂

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戸塚区から泉区にはいって、泉区緑園というところ。

相鉄線緑園都市駅前を通過してまた坂を上がる。

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ここも「大抵の横浜市内の鉄道駅周辺が…」の典型。
はじめはここの駅まで歩いたら終わりにする予定だったのだけど、少し歩き足りなかった。先へ行ってみる。

駅前からのびる坂道をてっぺんまであがると
丘のうえには教会

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上がると次は絶対に下がる

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新橋市民の森入口

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ここは雑木林というより杉林。それほど広い森じゃない。

その先は電力の森

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東京電力京浜変電所。周囲は金網だらけでガードが堅いけどiPhoneのカメラなら網の隙間から中が撮れる。でも不審者に間違われないように。

そして、本日のここまで。
相鉄線いずみ野駅

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ほら、やっと出てきた。タイトルの「いずみの横浜」ってのはここ。街の名前だって横浜市泉区和泉町、電車の路線だって相鉄いずみ野線である。

  *  *  *  *  *

後出しの私の内容がかぶっちゃった感があって申し訳ないのですが、舞岡周辺の様子はid:tokotoko_yuukiさんのこちらに楽しく書かれています。

tokotoko-yuuki.hatenablog.com

神奈川県から埼玉県へ一気に歩けるか

神奈川県内をスタート地点とし、一気に埼玉県内まで歩くことは可能だろうかと、ふと思った。なんだそのネタは、という気もしたけどやってみちゃうんだな、このクソ暑いのに何やってんでしょう。

まず地図をみてコース決め、神奈川県と埼玉県の間には東京都があるので、都のくびれ、その幅が一番せまいところを一直線に通れば最短距離。それはどのあたりになるかとみれば、一方は調布市稲城市の境界に神奈川県川崎市多摩区が接している地点、ここは都県境に多摩川が流れているけど、都合よくちょうど橋もある。ここはこれで確定。
もう一方は西東京市の北側で埼玉県新座市との境界、あるいは東久留米市清瀬市の境界に新座市が鋭く切れ込んでいるところ、このどちらか。スタート地点からは西東京市の北側で新座市に入るほうが若干距離が短いとみて、そこをゴール地点に設定。

途中は直線に近く結んだほうが、より距離は短くなる。まあこの区間はどこも住宅地で道路もたくさんあるだろうし、さほど気にしないことにして、スタート。

先に結果からいうと「歩けた」。なので青い足跡をつけた地図を出す。
神奈川県から埼玉県へ歩く、行程

JR南武線稲田堤駅

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スタートは稲田堤。神奈川県内から歩き出す前提で川崎市多摩区にあるこの駅で下車。なんか地味に写ってしまった。

ここから東京都稲城市との都県境を目指す。このへん、用水路と支流が幾筋も流れていることに気づく。また暗渠歩きできそうな場所をみつけてしまったようだ。
大丸(おおまる)用水とその支流

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いったん都県境を越えて稲城市に入ったところに
馬頭観世音塔(ばとうかんぜおんとう)

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なぜこのようなものがあるのか私は説明できないので
解説板拡大

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都県境界付近を歩いて多摩川べりに出る。
ここの道路に「稲城市」の文字

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向こう側は多摩川にかかる多摩川原橋(たまがわらばし)。

その裏側は川崎市多摩区

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神奈川県から東京都内にはいった。多摩川を渡るところから先はずっとほぼ北の方向へ歩いて行く。
多摩川原橋のうえから多摩川下流方向

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橋の途中から調布市

ホッピー工場

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こんなところでつくっていたとは、はじめて知ったのでMy備忘録として。

その先で府中用水のうえにかかる橋を渡り、昔の多摩川が削ってできた崖(立川崖線)の坂道をのぼって段丘のうえに出る。
立川崖線による壁

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京王線の踏切をわたる

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甲州街道国道20号)をわたる

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立体交差しているのは中央自動車道調布インターへの誘導路、右側で上にかぶさっているのも同じ。

中央自動車道の下もくぐる

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三鷹市調布市の境界が複雑に入り組んだところを通りながら、野川のほとりに出てくる。
野川、清水橋のたもとへ

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橋の向こうの崖(木が茂っているあたり)がこれも昔の多摩川が削ってできた国分寺崖線の一部。

この先天文台通りに出て国分寺崖線の上にあがる。
天文台通り、坂の下方向を振り返って

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国立天文台交差点

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左側が天文台入口。
学生の時に天文学の講義に来ていたのはここの先生だったなあ、などと思い出した。

東八道路交差

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その先で人見街道も越えてほぼ北の方向へすすむ。

連雀通りを過ぎると武蔵野市にはいり、JR中央線武蔵境駅の西側でぬける。
JR中央線高架下をぬけたところ

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しばらく行くと仙川(せんかわ)にぶつかる。
仙川にかかる末広橋の手前から

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ここにはこの日、水は流れていなかった。というかこのへんは雨の降ったあとくらいしか水は流れないらしい。

玉川上水うど橋

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玉川上水までやってきた。先日品川用水の分水口を見に来た場所は、ここから下流2~300mのところ。またすぐ近くへ来た。そしてこの上流200mくらいのところには千川上水の分水地点。

関前5丁目交差点

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前方の並木になっているところが千川上水の流れ。この後ろ側で玉川上水から水が分けられている。両側を通っている広い道路は五日市街道(都道7号)、右側へ井の頭通りがここから分岐している。

この交差点を渡ると前方に狭山・境緑道の終点がある。
狭山・境緑道終点から関前5丁目交差点、井の頭通り方向をみる

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この緑道を少しだけ先へ行き、すぐに逸れる。

西東京市にはいる

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周囲は園芸農家(っていう言い方でいいのかな)が多い。周囲の木も石も商品。

しばらく行くと石神井川に出会った。
石神井川

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川は本日このへん水たまりのような状態、枯れてはいない。去年の秋に歩いたときも同じだった。

そのまま真っ直ぐ進むと西武新宿線田無駅前に出た。駅の構内を通り抜けて反対側へ出る。
田無駅北側のデッキ上から

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田無駅近くでまたもや変な道をみつけてしまった。
田無用水?の暗渠

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これはこれでまた別の散策の機会にとっておくことにしよう。

青梅街道、新青梅街道、所沢街道などが交差する交通量の超多い北原交差点を歩道橋で越え、その先は東京大学農場の横を通る。

東大農場となぜかレーダー

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農場のなかにくるくる回って気になるものあり、まさか散水機には見えないのでたぶん何かのレーダーだよね。それとここは最近、東大農場ではなく、「西東京フィールド」と言うらしい。なんだかかえって分かりにくくないか?

そしてまたまた見つける暗渠みち

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こちらは白子川の上流部ということらしい。これもまた別の散策機会にとっておく。

暗渠を少したどって歩いたりして横道に逸れかかったが、県境も近くなってきたので軌道修正。
西武池袋線踏切

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ひばりヶ丘駅の東側。踏切を渡ってこのまま道路を歩いて行くと

スーパーの前で都県境

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ようこそ埼玉県、新座市に到着。ちなみに反対側から来ても「東京都」の標識はない点は深く考えないことにしたい。

埼玉県に入りましたということで新座市の住所表示を証拠写真として

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神奈川県から埼玉県まで一気に歩けました。このあとひばりヶ丘付近を少し徘徊しておしまい。

この日歩いた距離は19kmくらい。神奈川から埼玉との都県境間を一直線に線をひくと13kmほど、適当に歩いても意外に近かったというのが実感。いや、別にお薦めとかする気はないけど。

西武池袋線ひばりヶ丘駅

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暗渠のねた仕込みも少しできたようだし。

 

▼過去に歩いた場所とたくさん交差してたので記録。