散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

八瀬川を歩く 〈相模原〉

『やせがわ』と読みます。相模原市中央区、南区を流れて相模川に注ぐ、延長約5㎞の小さな川をたどりました。
相模川合流地点近くからさかのぼって歩きます。

最初は八瀬川ではなく鳩川放水路

相模野台地上を流れていた鳩川が台地下を流れる相模川に合流する地点、流れはこの付近で段丘から一気に落ちて滝になります。『三段の滝』と呼ばれています。

 

反対側は相模川、鳩川放水路合流地点(相模原市南区下溝)

左向こうへ相模川下流
八瀬川合流点はここには写ってませんが、正面の鳩川放水路合流点の右にあります。(この季節、茂みが深くそもそも見えません)

現在相模川遊歩道の橋の上にいますが、それを上流側にほんの少し行くとまた橋がかかってます。

新八瀬川橋・八瀬川

先で橋がカーブしているところの下、流れがわずかに見えました

 

少し先(相模原市南区当麻)

左は相模川が削ってできた平らな低地、右は相模野台地との境界の崖線。その崖ぎわに八瀬川が流れています。

 

逆の下流方向も同様

 

崖下に湧水があり護岸が黒く光って見えます

八瀬川には湧水が多数あり、その水を集めて川が形成されています。

 

台地上から下ってくる県道と交差するところ

県道52号(相模原町田線)、最近拡張改修されましたが以前ここは急こう配の細い坂道でした。川の流れも道路改修工事にあわせて改修されています。

下の写真で右側一帯は無量光寺時宗大本山 当麻山無量光寺)境内です。

八瀬川は正面2つのこんもりした木々の間へ入ります。そして階段のように何段かに分かれた相模野台地の段丘1段目へ上がります。

その途中は未だに手つかずの自然の流れ(渓流)が残っていますが危険でもあり、一般道を迂回しました。
『ひかげ坂』と名前のある坂道を上がって1段目の段丘面へ。現在相模川の流れる低地から20mくらい高くなります。(1段目、専門的には相模野台地陽原(みなばら)面と呼ばれています。陽原は1段目の面にのっている土地の地名です。)

 

掘割になった国道129号バイパスと交差し、少し先で再び川沿いに出ます。

さかい橋という橋があり、そこが一種結界です。
橋の下流方向

段差を下る渓流の入口。〈道もなく迂闊に入れません〉

 

上流方向

川も含めて宅地開発された地区に入ります。

両岸に歩道も整備されて雰囲気も一変します。
相模原市中央区田名塩田地区

 

塩田さくら橋交差点

十字路交差点を斜めに横切る八瀬川が下を流れてます。交差点付近がこのような形態になったのは2000年頃のようです。

 

塩田さくら橋の少し上流側

また流れの片側に崖が迫ってきます。相模野台地2段目(田名原面)との段差部です。(ここでは10~15mの段差)

 

崖の途中に社殿が現れました

天地宮、田名塩田天地社とありました。

 

緑濃い崖線下歩道をしばらく

住宅が建ちはじめたのはごく最近のようです。

 

先は両側が農地です。そこへ水を供給する用水路のようになっています。

いくつか堰・水門が川を跨ぎ、農地へ分水されていました。

 

と、突然流れの方向が変わり

再び崖線の間際へ、と言うよりも、かつて崖際にあった流れを平地の真ん中に移動して田畑を開いたのかなと推測します。

 

田名団地脇では流れの中央に仕切りがありました

左側がこの下流へ続く八瀬川、右側は仕切りが閉じられ、水は右側護岸下に空いた穴から地下へ導かれていました。

この仕切りが何のためか気になりました。あれこれ当たってみたら答えにたどり着けたので記しておきます。

仕切り右側は八瀬川本流の流れ。左側は近くで合流していた支流の流れです。
かつての八瀬川本流はこの上流から生活排水等の汚水が混ざって流れていました。下水処理の必要があったのですが川下流では農業用水として使用されていることもあり流れを完全に切ることができません。そこで支流の合流地点から仕切りを設け流れを分離、問題のなかった支流側をそのまま流下、本流側は処理場へ導流したそうです。

現在は下水道整備に伴って八瀬川本流に落ちる汚水はなくなりましたが設備などはそのまま残っているようです。
ということは八瀬川本流これからたどる先の水は下流に流れていかないってことですね。

このちょっと上流側で支流が合流(仕切られてますが)、そのすぐ上流で八瀬川本流は台地2段目(田名原面)から下ってきます。

 

2段目の段丘面から下る途中の流れ

流れもだいぶ細くなりましたが水量はある程度あります。

ここから200mほどの間流れから離れてしまうのですが、次に確認できた場所では

『やむかいはし』上から下流

水はたまっている程度。

2段目の段丘面に上がってくる途中に『田名のヤツボ』と呼ばれる湧水があり、そこが実質的な流れの起点になっているようです。(そこへは立ち寄らなかった)

 

その次の橋から下流

溝の中は湿っているだけ、流れはありません。このへんは降雨時に雨水が流れる程度なのでしょう。

さらに100m程度先、相模原市田名公民館前の道路下に穴があり、それより上流は暗渠となってしばらく痕跡が途絶えます。

 

田名公民館の先、県道(相模原愛川線)沿いの田名バスターミナル(相模原市中央区田名)

ほとんどの川は上流でいったん痕跡が消えてもまだそれより上に流路跡が残っていたりするもので、バスターミナル手前、足元付近がちょっとあやしい感じです。〈実は訪れる前に地図であたりをつけていましたが〉

 

あやしい予感を伝ってみると痕跡が消えて300mくらい先

ほらありました

コンクリートで覆われ歩道化されてますが暗渠です。想像していたよりずっとはっきりした跡でした。

 

少し先へ進むと『横浜水道みち』とクロスしていました

左から一直線に向かってくるのが明治初期に日本ではじめて整備された近代水道である横浜水道、その導水管が地下に通された「水道みち」です。

右側八瀬川の暗渠はもう少し先まで続きます。前方で横切る道路の向こう、少し緑のネットが見えているところは田名北小学校、その東側を通ります。

 

田名北小学校との境界付近

道路右側がいずれも暗渠上にあたります。

下の写真では軽自動車が駐車しているところ、そこから奥に白い車の右側で草むらにはいっていき向こうのうすいグレーの建物の前で痕跡が途切れます。

 

薄いグレーの建物前の道路からふりかえって

前方小さいですが先ほどの軽自動車が見えます。痕跡はこの隙間までです。(相模原市中央区田名3164付近)

この部分は当初どのような状態だったのかは手掛かりありませんが、おそらく雨が降ったあとに時々水の流れができる、窪地や溝が存在したような場所だったと思われます。

ここまで