散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

岩川(横浜緑区)を歩く

久しぶりに端から端まで川を歩きました。小さな川ですが
岩川(いわがわ)は全部横浜市緑区を流れる公式(?)延長1.98km〈地図で実測すると4㎞以上あり〉、鶴見川水系恩田川の支流という位置づけの河川です。

恩田川の合流点からさかのぼって歩きます。
合流地点の上流側から恩田川下流方向望む(緑区いぶき野)

左をまっすぐ流れる恩田川、右から岩川の水が合わさってます。
右の橋は岩川最下流にかかる宮下橋

橋の横にマップがあったのではっつけときます

左下現在地から右上に歩きますが、マップの終点には行かず源流をめざします

 

宮下橋から岩川上流方向

見ての通り小さな川です。夏になって緑に覆われ流れの見えない箇所もしばしば

 

200mほどさかのぼって次の屋敷橋から上流方向

正面の大きな木が目立ちます
下には堰があって名前は『新林堰』、右から伸びるコンクリートのバーで水を左へ導き農業用水として周辺田畑へ送っています。橋のたもとにポンプ設備もあったので現役の堰だと思います。

 

さらに250m上流へ
次の門前橋から下流方向

橋の名前が屋敷、門前と大きな邸宅でもあったのでしょうか、2つの橋も案外古くから存在します。
たしかに写真右側にある台地先端部は昔から人が住んでいたようです。屋敷があったかはわかりませんけど

 

もう少し行くと川はJR横浜線の下を潜ります

電車が写ってるほう(上り線)は新しい橋梁ですが奥(下り線)に石積みの古い橋台がのぞいてます。暗い..
横浜鉄道(現JR横浜線)が開通した1908(明治41)年から100年以上使用されているもので、現在緑区遺産に登録されているそうです。

 

人は下を通れないので国道246号片町ガードをくぐり横浜線の先へ
国道246と県道(山下長津田線)の下長津田交差点近く
県道の岩川橋から上流方向


岩川橋の上流側にはまたひとつ古い堰(跡)が残っています
岩川堰

こちらも緑区遺産に登録されています。付近には改修時の古い石碑と区が立てた新しい案内解説もあります。
元々この場所には板で造られた堰があって水を水車動力や周辺農地の灌漑に使用していたそうです。関東大震災によって板堰が破壊された事で1926(大正15)年改修されてできたのが現在見えているコンクリート堰です。流れの中にたてた壁で水を対岸側の取入れ口に導くシンプルな構造ですね。(こちら現在は堰として使用されていません)

 

その先の岩川

このあたり周囲は住宅地、川の両側は歩道が充実してます。

 

地名がようやく変わって長津田みなみ台1丁目付近

右側にあいた口から結構な量の水が流れ込んでました。

都市河川で大量の水が流れこむのはだいたい、近くに下水処理場があって処理済みの水が川に放出されていることが多いのですがここはそうではなさそう。さりとて合流する水量の多い川は周辺見当たらず。〈個人的に結構ひっかかって長考してました〉

長々と推理した結果を書いてしまいますと〈正しいとは限らない〉。
昭和30年代頃の航空写真を見ていて気付きました。周辺がまだ開発される以前この右奥には本流の岩川流域に匹敵するほどの谷戸が複数あり、水田か畑となっている様子が確認できました。
元々自然の水の流れがあったのですね。規模の大きな谷戸が複数あったので水量が多いこともわかります。
現在それら谷戸と周辺は住宅地や団地に変化し地形も大きく変わりましたが依然大量の水が流れ込んでいます。水脈は枯れていないということです。また合流点直前まで川の流れがほとんど確認できないのは多くの水は地下を流れているのかもしれません。

 

勝手に納得したところで先へ

スタートの恩田川合流点からこのあたりまでだいたい国道246号と並行していた岩川の流れですが、少し方向ずれます。
緑区長津田町に入り連台橋手前と橋上から

 

隣りを通る道路の道幅も国道に比べ狭くなりました。
川の流れにあわせて道路もカーブしてます

しばらく行くと👆の道路からもいったん離れます。

 

辻橋の先、蛇行が見事


蛇行がやや見事


こちらは『中村みなみ橋』上から上流方向

この橋は恩田川合流点(宮下橋)にあったルートマップでは川のいちばん上流地点。散策ルートはここで岩川から離れて坂を200mほど上がり玄海田公園西口でゴールとなります。

 

でも岩川はまだ上流へ続いているのでそちらへ歩きます。
道路は若干細くなり、中村みなみ橋の次
金山橋付近から

 

緑のフェンス沿いに森の中へ入っていきます。
とはいえ、大したことはなく


すぐ通り抜けて先ほど連台橋のあたりで横を通っていた道路に戻ります。
川沿いに100mほど

古い橋があって奥に階段、上は種月山耕雲庵、南無虚空蔵菩薩の文字とともに右の石碑にあります。
左には「長津田小学校発祥の地」の碑も。ここには1857(安政4)年紅林塾という寺子屋が開かれ、のちに長津田小学校となったそうです。(現在の長津田小学校はこの付近にはありません)

 

そこからわずか数十メートル先の岡部橋付近T字路

この周辺、古い字名は「岡部谷戸」
正面前方への横断歩道部分が岡部橋、渡ったところ地下で岩川本流に支流(名称不明)が合流してます。
前方フェンスの先が支流、左へ道を渡る横断歩道の下を通って本流が左方から流れてきます。
手前足元は合流した岩川、背後へ流れていきますがここらへんだけ暗渠となってます。

 

まず前方支流の先へ
岡部橋T字路部分から


支流水路はだいたいまっすぐ先へ進んで道路下を潜ると


水田になった谷戸、道路と反対側に流れを移しますが

この先は草木に埋もれて進めません、捜索断念。水量はまだ結構あるので残念
岡部橋の合流点からここまでは約200m、大して追いかけられずでした。

左側近くを東名高速が通るのですが、それに沿って600mほど先の横浜町田IC料金所付近に源流があるようです。

 

次は本流
再び岡部橋合流点、道路わきから上流方向を望む


右の崖ぎわを先へ
竹やぶの手前に流れがあります

右の高架は東名高速

 

下をくぐって

左上に東名道路フェンス、流れは石垣に沿って先(上流)へ

 

少し先からふり返り


さらにさかのぼると白い柵の下2つのトンネル出口

正面は前方の林の中から続いているようですがたどる術がなく断念

左の出口は道路沿いに左方向へ

道路左側下を水が流れ、坂道手前で顔を出して(坂道上がらず)奥へ続きます〈水の流れている方向は向こうからこちら〉

 

さらに先へ追いかけると

右下のフェンス隣りの側溝
すぐ先大きな道路(横浜環状4号)が横切ってます。
流れはその下を通過してもう少し先に源流があるようですが、道路に上がってみると追跡不能サインしかなかったのであきらめました。

本流は岡部橋合流点から800mくらい追いかけることができました。恩田川合流点からの流路距離は4㎞とちょっとになりました。

 

最後に環状4号霧が丘西側交差点から

前方V字谷底、トラックがいるあたり先ほどの水の流れが横切ってます。

これだけ上流で水量も少ないのにきちんと谷をつくってるのすごいと思っちゃいます。地形って侮れないです。

 

岩川ここまでとします。