散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

横浜・磯子から歩いた記録 その1 磯子~西区久保町

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の前後譚、見たもの調べたこと忘れないよう記録しておきます。

 

JR磯子駅で下車、磯子旧道と呼ばれる道に出ました。
海岸の埋立がはじまる前は波打ち際をも通っていた古い道ですが、今はさらに海側に国道16号、磯子産業道路、JR根岸線線路、首都高湾岸線なんかが通ってメインストリートじゃなくなってます。

道の途中に
金蔵院(磯子観音)

本堂左の朱塗り建物が観音堂
背後は丘陵が長い間海の波に洗われてできた崖、波食崖

国道16号に合流する直前に〈破けた?〉標識「磯子旧道」

もちろん足元の道路のこと。

先の赤信号が国道16号「磯子旧道入口」交差点

交差点まで来て

左、歩道上に見える「浜マーケット」の看板

ひかれて入ってみました

戦後の闇市が発展した市場、現在は昭和レトロなアーケード
残念なことに2007年に放火で大きな被害を受け、完全復活とはならなかったものの今も半分くらいの店舗が営業中。
店舗がなくなった部分もイベントスペースなどで開放され『たまり場』になってました。

ちょっと気になる洋食屋、隣は和菓子の店


国道反対側の出入口

近所には丸山日用品市場(美空ひばり生家の魚屋がある)、滝頭市場(浜マーケットと同日の火災で再建断念)といった昭和レトロな市場がほかにもあります/ました。

 

少し北へ歩いて滝頭(たきがしら)
横浜市電保存館建物と奥は市バス営業所

横浜市電の車庫があったところ、現在はバスが停泊中。
左手前とその奥は市電車両などが保存されてます。奥の建物は上階一般住宅みたいですね。

 

丸山2丁目交差点

この奥一帯、道路が格子状にひろがっているのですが、かつて横浜監獄(のち横浜刑務所)が関東大震災まで存在していました。(刑務所は震災で焼失、現在の港南区へ移転。跡に道路が整備されるのは戦後のこと。)

奥へ進んで

今は見てのとおり監獄の痕跡はまったくなし〈100年以上も前のことですから〉

左にある町中華の店と隣りの建物の間に丸山日用品市場へ入る狭い通路があったようなのですが気づかず通過してしまいました。〈また今度〉

 

磯子区から南区へ入り堀ノ内町、睦町など住宅の密集するところを歩いて

こちら上は首都高狩場線、下は中村川
日枝橋の上


中村川から大岡川の間は江戸時代に入江を埋立て新田開発され『吉田新田』と呼ばれたところ
下は鎌倉街道、先に国道16号との吉野町交差点

江戸時代に埋立てた土地を鎌倉街道が通るちょっとした不思議感?

 

その先大岡川に出てソメイヨシノの開花に出あうのでした〈前回再掲〉


「一本橋」上から

左川べりの桜を見てました。大岡川はさくら名所、ですがこのへんは最近植えられたのか数も少ないです。

でも前後は古い立派な木もたくさん。〈同じ場所ではないですが〉大岡川、数年前の満開をはっておきます

 

橋を渡ったあとは高台へ坂道をあがります。
新坂

左へカーブし、その先も坂は長く〈その分傾斜は緩くなりますが〉、高低差は40mほどあります。


上がると三春台というところ。先に大きな墓地(久保山墓地)があるからか寺院がたくさんあります。
そのひとつ東光寺前の交差点


右の道を奥へ行き古い橋の手前
霞橋


橋の下は道路
南向きに

切通し左側にも桜、まだどの木も花は見えません

反対側北向きに


解説板もたってます。

左下の日本語部分

霞橋 Kasumi Bridge
初代の霞橋は大正2(1913)年に架けられましたが、関東大震災により損傷しました。現在の霞橋は、レンガ壁や門柱に初代の橋のものを再使用し、昭和3(1928)年に竣工した2代目です。この橋は、「かながわの橋100選」と「横浜市認定歴史的建造物」に指定されています。城壁を思わせる重厚な構造(鉄筋コンクリートアーチ橋)は、地域のランドマークになっています。
明治末期から大正期にかけて横浜電気鉄道の路線網は拡大し、大正10(1920)年に横浜市営電気軌道(横浜市電)となりました。霞橋は、市電久保山線の建設時に切通しをつくり丘の頂上を跨ぐ形で造られました。東側から橋下の道路へ降りる階段が休憩所と一体的にレンガで築造されているところに当時の面影を見ることができます。初代霞橋の下の道は、電車だけが通る専用軌道でしたが、市電久保山線は、モータリゼーションの発展に伴い、マイカーの普及で街中に自動車が氾濫したため、昭和44(1969)年に廃止されました。
この付近は古くは霞耕地と呼ばれ、大正期に入ってからは別荘などが建てられるようになっていましたが、震災を機に、被災がひどかった市中心部からの避難地となり、住宅地となりました。「霞ヶ丘」は、昭和10(1935)年に町界町名整理により字名に因んで町名となりました。霞は雲霞のカスミの他に、カ(処)スミ(住み)、即ちスミ(住)カ(処)のこととも言われています。

橋を下から見た現在の姿がなかったので過去の手持ちから

 

橋東側から下の道路へ降りる階段

初代霞橋のものを再利用したレンガ壁

 

橋を渡ると西区で、しばらく丘の上をその後だらだら坂を下ります。
丘の上から一瞬良い景色が望めたりするのですが撮影しようというタイミングで人が入ってきたりで断念。

しかたないので名無しの坂道


先ほど霞橋の下を通っていた道路に出て藤棚交差点
こちらは商店街(ふじだな1番街)


交差点ぎわのタバコ店兼文具店

古くからの商店街ですがだいぶ改装はされているようです。〈1番街側は探検してません〉

交差点反対側は藤棚商店街

こちらを奥へ歩いてみました。

行列のできていた和菓子店


行列のしっぽあたり建物が渋かったので別位置から

残念ながらすでに閉業されて久しいようです。

これより先のほう、10年20年前は商店がずっと連なっていたようですが現在は寂しく...


そのまま先へ進むと国道1号久保町交差点へ

前方の歩道橋を渡って先へ進みますが、思った以上に書き連ねたのでここでいったん休憩します。