横浜にある古いトンネルを訪ねる、その2回目は元町・石川町と麦田町(いずれも中区)を結ぶ山手隧道と第二山手隧道(旧本牧隧道)です。
2本のトンネルが隣りあって並行しています。
いずれも歴史のあるトンネルですが第二山手隧道のほうがより古く、1911(明治44)年、のちの横浜市電となる横浜電気鉄道の軌道専用トンネルとして開設されました。市電が通っていた頃は『本牧隧道』などと呼ばれていましたが、1972(昭和47)年の市電廃止後道路トンネルに改修されて名称も『第二山手隧道』となりました。
山手隧道は関東大震災の復興事業として市電の本牧隧道隣りに並行する形で建設され、1928(昭和3)年開通しています。こちらは最初から道路トンネルでした。
トンネルは市道の『本牧通り(関内本牧線)』が通りますが1976(昭和51)年以降は山手隧道が北行き、第二山手隧道が南行きの一方通行となっています。
山手隧道、麦田町側から進んでいきます。
麦田交差点手前の本牧通り
道路中央に大きな木、その右奥に第二山手隧道、左奥に山手隧道は見えてなく、その手前にかかる『桜道橋』が見えます。
麦田交差点先から桜道橋と山手隧道南側坑門
桜道橋は山手隧道と同時に建造され1928(昭和3)年開通、一体感のある重厚なデザインです。
位置と天気を少し変えて
トンネルとの間からふり返り
以前橋は蔦に覆われていましたが根元を引き抜かれてしまったようです。
桜道橋の上へは後ほどまわります。
山手隧道南側坑門前拡大
前面は石張り、化粧石は『相州堅石(そうしゅうかたいし)』とも呼ばれる神奈川真鶴産の『新小松石』(複輝石安山岩)だそうです。
また左隅、擁壁との境目に小さく「山手隧道」のプレート(銘板)があります。(右隅には「復興局」と書かれたプレートがやはり小さく掲げられています。北側坑門にも同じ配置で)
中にはいります
内部はいろいろ補強改修されて開通当時の面影はないと思います。
それにしても車道2車線+歩道と昭和初期につくられたトンネルとしてはとても幅が広いです。
通りぬける直前、北側坑門付近。
こちら先は石川町、元町です
〈なぜかたたずむ人がいます〉
外へ出てふり返り
坑門前の様子は南側とほぼ同じです。
〈写真整理するまで気づいてなかったのですが〉右裾の壁に土木学会選奨土木遺産、横浜市認定歴史的建造物および解説文が書かれたプレートがはりつけられてました。
上部左右隅には「山手隧道」「復興局」銘板も。
一応ここでトンネルの諸元データ
建築年代:昭和3年(1928)
構造・規模:道路トンネル 煉瓦・コンクリート造
設計/施工:復興局/間組
所在地:横浜市中区麦田町1-17・石川町1-39
延長218.4m、幅11.5m
道路反対側歩道から
少しひいて元町バス停から山手隧道坑門方向
前にある信号で道路が二又に分かれ、どちらも本牧通りですが右が山手隧道からの『北行き』の道、左の市営バスが進む先は『南行き』の道で第二山手隧道へ入っていきます。
市営バスの配色は戦後の市電車体と同じです。かつては同じ色の市電がここを通っていたはず。
両方のトンネル入口が見える場所から
左の第二山手隧道へ。
やや手前
当初こちらは車道ではなく市電軌道専用線でした。
第二山手隧道北側坑門直前
市電が通っていた頃の名称は『本牧隧道』。ちなみにトンネル開通当時の名称は『櫻道隧道』だったそうですが、いろいろな名称が混在していたようで『本牧隧道』も実ははっきりしていないとか〈って記述を見ました。かつてこの近くに住んでいたうちの爺は「麦田のトンネル」と呼んでいた記憶があります〉
市電廃止(1972(昭和47)年)後の道路化工事でトンネルは大規模に改修されています。
その時の改修が1976(昭和51)年に完了し(南行き)一方通行道路となってからもすでに50年近く経っているのでさらに様々な補修、改修が実施されていると思われます。
入口付近も隣りの山手隧道とはかなり異なる趣きになってます。
トンネル中ほど
道路は2車線+歩道、歩道は山手隧道より狭いです。それでも明治末、開設された頃はかなり幅の広いトンネルで市電線路は複線、トンネル内で行き違いが可能でした。
南側坑門付近から
坑門の先が庇のように張り出してます。
出てからふり返ると
上を通る『桜道』の橋でした。左へ行くと山手隧道手前のアーチ橋、桜道橋になります。
第二山手隧道のほうが少し長いのでトンネル直前で道が交差しているのですが、開通当初の古い写真を見ると坑門は桜道手前にあって橋がないようです。当初トンネル長さは276m、市電廃止後の改修でトンネルは少し短くなったのかもしれません。
そもそもあまりこのトンネルに関する情報が見つからないので詳細がわかりません。元々は山手地区で一番古いトンネルというのに歴史的建造物などにも選定されてないようですし...
上の「桜道」へ上がってみます。山手の外国人居留地へつながっていた古い道です。
第二山手隧道入口の庇になってた橋の手前にて
左のフェンス低くなっている部分、下が第二山手隧道の道路です。
そこから先を
麦田交差点の信号機などがあります。
足元桜道を右へ行くとすぐに桜道橋
こちらは昭和初期に山手隧道といっしょに造られたもので上から見ても重厚感があります。
右側親柱に「櫻道橋」の文字
橋上から山手隧道方向
トンネル上部一帯は山手町の住宅地、古くは外国人居留地だったところです。
櫻道橋は歴史的建造物、土木遺産ということで例のプレートが3つ
親柱の上、草が生えて花も咲いているのですが、街灯が取り付けられていた跡ではないかとのことです。
渡ってふり返り
最後にもう一度桜道橋の下へおりて山手隧道といっしょに
山手、第二山手トンネルはここまで。