鎌倉街道中道のルートは、参考にしている資料では東京都内でA,Bの2つある。当方も、それぞれ歩いてばらばらにまとめてしまったので分かりにくいのはごもっとも。タイトルなどでもうちょっと工夫すればよかったけど、仕方がない、このまま進む。
鎌倉街道中道その5はBルート、前回その4のノートに記した千川までの続きを、赤羽(岩淵)まで歩く。
Aルート,Bルートは二子(現在の世田谷区玉川)で分かれて、岩淵(現在の北区赤羽)でまた合流している。Aルートのほうはその3のノートに記したとおり、池袋まで到達しているので、この後池袋から岩淵のA,B合流点を通り、その先までの記録とする予定。
中道その5行程・足あとは紫色のほう(その4と続けて表示)
その4へのリンク
Bルートの今回歩いた主な経由地
千川→大谷口→板橋仲町→蓮沼→赤羽
後ろ側がすぐに千川通り要町3丁目交差点。
千川通りへ入ると次は複雑な交差点で、進んでいく方は三又(→Ψ)に分かれている。
正面の細い道が旧道の名残り
ここから板橋区。旧道は左側の千川通りにほぼ並行していて、この先ではまた合流している。
合流したところに都水道局給水所の塔(ポンプ棟)
1931(昭和6)年に建造された大谷口配水塔のデザインを継承して造られたものだそうだ。給水所とは、浄水場から送られてきた水を一時的に貯留して、給水区域内に水を安定して供給する施設。
板橋第十小学校の横で千川通りから左に入ると旧道の道筋だそう。日大病院入口交差点で川越街道(国道254号)を越え、板橋区仲町にさしかかると
轡神社
轡神社(くつわじんじゃ)
御祭神 倭建命(やまとたけるのみこと)
もと轡権現社と呼ばれていました。名称の由来については、この地を訪れた徳川家康の乗馬のくつわを祀ったからとも、また馬蹄を祀ったからともいわれています。江戸時代から「百日ぜき」に霊験がある神として広く信仰を集め、遠方から参拝に来る信者で賑わったといいます。信者は病気の治癒を祈るとともに、当社に奉納されている馬わらじの片方と麻をいただいて帰り、全快すると新しい馬わらじと麻を当社に奉納しました。
社前の道路は、俗に鎌倉街道といわれた古道で、この道が石神井川を渡るところが本来の「板橋」という説もあります。
平成九年三月 板橋区教育委員会
そのすぐ先には専称院という寺院があり、東武東上線踏切を渡る。
渡る前にちょっと待たされる
道は中板橋商店街(なかいた)の中を通り、石神井川を山中橋で渡る。
商店街アーチと山中橋
ここに架かっていたのが本来の「板橋」だったかもしれない橋。現在、板橋は旧中山道板橋仲宿にかかる橋ということになっている。
山中橋から石神井川
山中橋を渡ると軽く上り坂になって環七通り双葉町交差点を越え、さらに行くと突き当たったところで旧道は消滅する。
旧道が消滅すると住宅地のなかを左右に折れ曲がりながら進む、がはじまる。
前野町から大原町あたりをうろうろ行き、首都高速5号線の下をくぐると長徳寺というお寺の前へ出た。
長徳寺山門前から
さらにあちこち曲がりながら歩くと、中山道(国道17号)に出る。
中山道沿いには南蔵院
南蔵院横の細い道には氷川神社がある。これらの寺社は元は荒川低地(板橋区坂下付近)にあったそうだが、度重なる水害を避けるため、17~18世紀頃こちらへ移ってきた。
資料によれば、氷川神社前の道は鎌倉街道と断定していないが、古道の可能性が高いという。たしかに古道の雰囲気のある道だった。
住宅街のなかの、おそらく古い道
先へ進むと古くは板橋街道、現在は福寿通り(都道445号常盤台赤羽線)と呼ばれる広い通りに合流する。このあたりから北区となる。
「板橋街道」に入ってすぐ、大恩寺、善徳寺の2つのお寺が並んでいる。
大恩寺
善徳寺
周辺は桐ヶ丘アパート、赤羽西5丁目アパート、赤羽台団地など古くからある団地が続く。その団地のなかを古い街道が埋もれて通っていたとのことで、中を通って行く。団地内には板橋街道にあった庚申塔、道祖神が保存されているとのことだったが見つからなかった。
赤羽台団地の端までくると坂を下る。坂の下の方に「うつり坂」と書かれた標柱と祠があった。
うつり坂と崖下の小さな祠
坂を下りるとJR赤羽駅の北側に出る。いろいろな線路の高架下をくぐってすぐのところで、赤羽駅のほうからくる道路があり、それがいわゆる鎌倉街道の都内Aルート、このあたりでは古く江戸道と呼ばれていた道路と合流する。
合流点付近
左の塀は宝幢院(ほうどういん)という寺院。この前に古い石の道標が置かれている。
古いみちしるべ
銘文には、東 川口善光寺道 日光岩付道、南 江戸道、西 西国富士道 板橋道と刻まれている。東と南の面がここに写っている。
Bルートの終点まで来た。この後続けてAルートの残りを歩くため赤羽駅に向かい、電車で池袋へ行き、そこからまた歩き出して数時間後に江戸道経由でここへ戻ってくるのであった。そちらは「その6」で。