散歩の途中

散歩しながら観察して記録してちょっと調べて書くノート

矢倉沢往還・青山通り大山道を歩く その1 赤坂御門から二子の渡し

田村通り、柏尾通りに続いて大山街道歩き3本目は矢倉沢往還青山通り大山道です。

かつて矢倉沢往還(足柄道)と呼ばれた古い道は東京赤坂から大山のある伊勢原を過ぎ、足柄峠を越えて沼津方面へ伸びていましたが、江戸時代に大山講が盛んになると大山への参詣の道として使われ、大山街道、大山道とも呼ばれるようになりました。江戸から大山へのメインルートで、街道の道すじは現在の国道246号がほぼトレースしています。

矢倉沢往還青山通り大山道 足あとラインは1日目の赤坂御門から鷺沼まで
ノートその1は緑〇から黄色〇まで

青山通り大山道、スタート地点は赤坂御門(赤坂見附)跡です。
赤坂御門跡付近

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赤坂御門は江戸城外濠にあった郭門のひとつで、赤坂見附とも呼ばれていました。右側石垣がその一部です。
ここからスタート、目前の富士見坂を下ります。

弁慶堀と弁慶橋欄干

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正確にはここは大山道になりませんが、赤坂見附の交差点、街道に接して橋が架かっているので。

交差点を渡り、青山通りへ入ります。すぐに豊川稲荷が見え、その手前で左に入る旧道が残っています。
豊川稲荷付近

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旧道に入ると牛鳴坂、そこに武家屋敷門が残されています。

重要文化財 武家屋敷門

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ちょいと光の具合がアレですが、江戸時代つながり、みたいなノリで載せてみました。

江戸城東廓八重洲大名小路千代田区丸の内東京中央郵便局付近)にあった幕府老中方屋敷の表門で、当時は実長120mにも及ぶものでしたが、門と左右番所のみがここに移築されています。5万石以上の諸侯、老中職に許された長屋門形式をもつ唯一の遺構である、と解説文にありました。

薬研坂を上ってくる道と合流して再び現在の青山通りに出ます。
赤坂地区総合支所前交差点

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青山通り向こうは赤坂御用地です。

ここからは渋谷道玄坂の先まで青山通りを進みます。特に説明の必要もないでしょう。

高橋是清翁記念公園前

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前の建物はカナダ大使館です。

神宮外苑

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いちょう並木はこの冬ずいぶん遅くまで葉が残っていましたが、さすがにほとんど落ちています。

表参道交差点

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宮益坂を下ります

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下り切ると渋谷駅前です

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私、最近このあたりで地上に出る機会が減ったこともあり、風景の変化について行ききれません。

スクランブル交差点付近にて

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109建物左側の道玄坂を上がります。

坂の上で国道246号に合流します。
神泉町交差点付近

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上は首都高速3号線。
交通量の多い道路の上を高架がかぶっているという条件は、歩くモチベーションを著しく下げてくれます。

右へ分岐する大坂(旧道)

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国道との分岐点に木の標柱が立っていました。

大坂(おおさか)
厚木街道(江戸から厚木まで)の間にあった四十八坂のうち、急坂で一番大きな坂であったので、大坂と呼ぶようになったといわれる。この坂標識の北側の坂が旧道で、南側の坂が新道である。

昔は坂の上から大山や丹沢の山がよく見え、明治時代の東京名所図会にその様子が描かれているそうです。

大坂を下り、立体交差になっている山手通りを渡ると上目黒氷川神社があります。現在その鳥居付近に天保13年(1842)大山道道標が残っています。実はきちんと見てこなかったのですが、正面「大山道、せたがや通、玉川通」右側面「ひろう、めぐろ、池がみ、あざぶみち」と刻まれているとのことです。

国道246大橋交差点越しに上目黒氷川神社

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少し先へ行くと目黒川を渡ります。

大橋から目黒川

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左、桜並木の向こうの丸い構造物は首都高速3号線と中央環状線のジャンクションですが、屋上が「目黒天空庭園」などになってます。騒音や環境問題に対応するため、設備も大がかりになって大変ですね。

東急池尻大橋駅の出入口付近で、玉川通り(国道246号)から左へ分岐する旧道が残っています。先の三宿交差点まで旧道を歩きます。
旧道区間で池尻稲荷神社

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落ち葉が積もってます。

三宿で国道246(このへんは通称「玉川通り」)に合流し、三軒茶屋まで来ます。

江戸時代の大山道は三軒茶屋で世田谷上町を経由する登戸通と、二子へ向かう二子通に分かれていました。その三叉路に三軒の茶屋があったことはいまでもよく語られているようです。
駅出入口横に大山道道標が残されています。

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道標は1749(寛延2)年建立、1812(文化9)年再建、上部に不動明王が載るタイプで、正面「左相州通大山道」、側面「右富士、登戸、世田谷通」「此方二子通」とあります。

古い大山道は「登戸、世田谷通」を通っていましたが、文化・文政の頃、二子通と称される新大山道が開通したそうです。現在の国道は新大山道の方を経由しています。

三軒茶屋交差点から渋谷方向

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この先背後に高速道高架がかぶっている方へ進みます。

数百メートル先で左に分岐する旧道が残っているのでそちらへ入ります。中里通りという名前になっているようです。
中里通り、世田谷区上馬1丁目付近の旧道区間

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この旧道もまた数百メートル先で玉川通りへ合流します。
上馬、駒沢と玉川通りを進みますが、歩いて芳しい道ではありません。

新町一丁目交差点まできてやっと玉川通りから解放されます。
新町一丁目交差点、右へ分岐するのが大山道です。

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そちらへ入るとまもなく桜新町です。

桜新町駅付近から

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江戸時代の人は知らないと思いますが、左へ折れるとサザエさん通りです。道路向こう側には品川用水の堀が通っていました。そちらは古くからあったはずです。

道なりに進み、ゆるい坂を下りていくと世田谷区用賀3丁目で、三軒茶屋で2つに分かれた新旧大山道の合流点、大山道追分にさしかかります。

大山道追分の交差点

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この足元に小さな石標があり、「大山道追分」と刻まれているのですが、なぜかゴミ集積所となっていてきちゃないのです。なので反対側を写してみました。
右側トラックが下りてくる方が二子通の新道、左向こうから来るのが世田谷通の旧道です。旧道側はかなり古い道で、かつて鎌倉街道歩きをしていた時に通った道でもあります。

ここからの進行方向は、画面右手前です。

用賀の商店街の中を通り、すぐに用賀駅前へ出て行きます。
田中橋交差点で谷沢川を渡ります

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向こうは用賀駅方向、谷沢川の上を首都高速3号線が通っています。

道なりに行くと瀬田交差点へ出ます。
瀬田交差点は国道246号玉川通り環八通り、そこに旧道の大山街道も交差しています。環八と玉川通りは立体交差になっていますが、歩行者も歩道橋を通らないと道路を渡ることができません。

瀬田の陸橋から大山街道・環八の交差部

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向こう右から何台か車が出てくるところが大山街道、奥へ進むと用賀方面です。

延長上には大山街道旧道のその先が残っていて、その道に入ります。
旧道から瀬田方向を望む

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行善寺というお寺を右に見るとその先は下り坂になり、門前の解説ではその坂名は「行善寺坂」です。
行善寺門前

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このお寺は多摩川段丘崖の縁にあるので、境内からの景色はとても良いです。

行善寺坂

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左側の石標は「行火坂」と刻まれていますが、これは左側へ上がっていく道です。

多摩川の段丘を下り切るとすぐに丸子川(六郷用水、次大夫堀)の流れが現れます。その流れの下流側数十メートル先に大山道の道標が残っています。

南大山道道

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古い道標は何が書いてあるのかわからなかったので資料から引用。
道標は1777(安永6)年のもので「南大山道、左面:西、赤坂道、右面:東、目黒道」だそうです。もっといろいろ書いてあった気もしましたが…

南、多摩川方向へ行くとすぐに二子玉川ライズ、ショッピングセンターに隣接したバスターミナルに出ます。
二子玉川駅バスターミナル

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この背後はすぐに多摩川の外堤防になっています。

外堤防、陸閘からバスターミナル方向

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左右に長く多摩川の堤防が続いているのですが、ここ(実際はもう1か所ある)は人や車が通れるように途切れさせてあります。川の増水時などには、縦に溝が切ってあるところにゲートを立てて塞ぎ、水が堤防外に出るのを防ぐようになっています。これが陸閘(りくこう、りっこう)です。

陸閘自体はそれほど珍しいものではありませんが、ここ二子玉川のものは外堤防といって、堤防の内側がすぐに河川敷ではなく、建物がまだ存在しているということが珍しいと思います。

大正時代頃でしょうか、このあたりは川辺に料亭などが立ち並び、川の景色を眺めながらあそぶ、歓楽街でした。そこに多摩川堤防建設がはじまりました。堤防ができると川の眺めが悪くなり、料亭は死活問題となります。
そこで、洪水時には避難、立ち退くことを条件に堤防を建物の外側につくり、河川敷に残ることが許されたそうです。陸閘は避難時の脱出経路ということで、それが現在まで残っているということです。
現在はもうひとつ別の堤防が内側に造られています。

内側の堤防、六本松、二子玉川駅

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川近くの堤防上から、
二子の渡しはこのあたり

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この後ろ側、現在は世田谷区玉川福祉作業所の敷地前に「二子の渡し跡」の石碑が立っています。

渡し舟は見当たらないので、右側東急線の向こう側に架かる二子橋を渡ります。

二子橋から

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下は多摩川、向こうは新二子橋です。

今回その1は長くなったのでここ、”二子の渡し”で一旦刻みます。