散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

野川を歩く はみ出し編 (1)野川と国分寺崖線に沿って

「野川を歩く」川の遡上歩きであえなく通過したように無視していたのだけれど、実は行っていた野川周辺と、野川の左岸側にずっと寄り添う、国分寺崖線あたりにあるものについてもこの際、記録を残しておこうと思った。この周辺、結構歩いていたわりに何も記録を残していなかったし、My備忘録的な要素の強いノート。

野川・国分寺崖線足跡

暖色系野川、寒色系国分寺崖線、歩いたのはほとんど2016年夏。

野川遡上の本編はこち

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◆六郷用水関連

六郷用水(次大夫堀)は世田谷、大田区内で国分寺崖線のへり、崖下を通すように開削されていて、野川の水も引き込まれていたので取り上げた。

六郷用水
多摩郡和泉村(現在の東京都狛江市元和泉)の多摩川を水源とし、世田谷領と六郷領、つまり現在の狛江市から世田谷区を通り大田区に至る用水路であった。 延長は23kmで、49の村、約1500haに、主に農業用水として水を供給した。
1597年からの14年かけて用水が開削された。開通後100年を経過したころ荒廃したが、1725年に代官田中丘隅(休愚)の手により改修された。この改修は、二ヶ領用水と並行して行われた。この改修後、世田谷領でも六郷用水が利用できるようになった。
廃止されたのは1945年である。現在、用水の跡地は、道路、緑道(遊歩道)、次大夫堀公園のほか、未だ更地の場所もある。 なお、六郷用水は既存の多くの河川と分合流あるいは交差していた。(Wikipediaから抜粋)

六郷用水 大田区田園調布本町付近

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この寺院(東光院)の正面は中原街道旧道に面していて、桜坂の下。桜坂は国分寺崖線の段差につけられた坂道で、道は坂を下ると六郷用水を渡って、多摩川の渡船場(丸子の渡し)へ出ていた。六郷用水はこのあたり多摩川と崖線の間のせまい場所に通されている。用水自体は70年ほど前に廃止、現在流れているの水は湧水を使って再現されたもの。

六郷用水・丸子川部分 大田区田園調布4丁目付近

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六郷用水兼丸子川区間。現在の丸子川としては丸子橋付近で多摩川へ合流している。左側段丘のうえは多摩川台公園(亀甲山古墳など)。

六郷用水・丸子川部分 世田谷区岡本2丁目付近

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六郷用水跡碑

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世田谷区大蔵6丁目付近。すぐ後ろは東名高速道路東京外環自動車道とのジャンクション建設工事現場。

次大夫堀公園入口

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六郷用水の開削指揮をとった用水奉行小泉次大夫の名前を冠した次大夫堀公園。六郷用水は次大夫堀とも呼ばれる。野川の改修工事で旧流路跡を埋め立ててつくった公園だと思われる。なかには用水を模した流れや、復元した古民家などがある。

次大夫堀公園古民家園から

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六郷用水はここより上流では多摩川に寄っていくのでここまで。

 

◆世田谷区の国分寺崖線

国分寺崖線を自分で忘れるとは思わないけど、あまり気の利いた解説がネットに落ちてなかったので書いてみた。

国分寺崖線
数万年~10万年ほど前、武蔵野台地の南側を流れていた当時の多摩川が、台地を少しずつ浸食して崩していき、川の流れと台地の間に、長い崖の線をつくった。このころ造られた崖の線が国分寺崖線で、立川市付近からはじまり、大田区付近まで全長約30kmに及ぶ。崖の高さは高いところで20m以上(世田谷区内など)になる。崖の下には多くの箇所で湧水が浸み出しており、「はけ」と呼ばれている。また崖の面には雑木林が多く残され、その一部は景観保護のために保存されている。
その後多摩川の河道はさらに南側へ移動して立川崖線などをもつくり、それからさらに南へ移動して現在の流路となっている。国分寺崖線に沿った国分寺市から世田谷区にかけては、現在野川がはけの湧水を集めて流れている。

世田谷区瀬田1丁目付近の崖線下

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道路脇白い壁の向こうが丸子川、住宅の向こう側の鬱蒼としているところが国分寺崖線の急斜面になるが、斜面として認識するにはちょっと分かりにくい。

岡本静嘉堂緑地、斜面の林

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ちょうど国分寺崖線の斜面にあり、がけ下には湧水がある。写真は崖下から、向こう側右上に向かって高くなっている。昔は岩崎家の所有する庭園だった。

成城みつ池あたり(世田谷区成城4丁目)

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看板が立っているのは崖下で、奥には湧水による池や湿地帯があって崖線の斜面を含めて森になっている。この中は環境保護のため入ることができない。

野川の対岸から成城みつ池付近を望む

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住宅の向こう側の森が崖線と成城みつ池のあるあたり。

 

調布市国分寺崖線深大寺

調布市深大寺南町2丁目付近、崖線の森

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崖に沿ってずっと斜面は森になっている。段丘の上、向こう側は台地で住宅地。
手前田んぼの脇をマセ口(ませぐち)川という小さな川が流れている。この川も段丘が少し窪んだ場所のがけ下から湧き出す水が源。

深大寺本堂

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深大寺(じんだいじ)は天台宗別格本山の仏教寺院、山号は浮岳山。古刹であり、天平5年(733年)満功上人が法相宗の寺院として開創したとのこと。(859年、天台宗に改宗)

山門から門前

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寺の裏側に国分寺崖線が通り、境内のいたるところに湧水がある。崖の上の段丘には神代植物公園(元寺領)がある。地形的には深大寺の手前、南側にももう一つ段丘があって寺はその谷間に存在している。寺の南側の段丘の先が国分寺崖線で、寺のあるところは周囲に豊富に湧き出した水が削った別の谷とみることもできる。
その豊富な湧水があるため昔からの深大寺の名物は蕎麦。水車で粉ひきもできるし。

不動の瀧

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「東京の名湧水57選」のひとつ。本堂の東側にある。

多聞院坂方面

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◆都立武蔵野の森公園

府中、調布、三鷹市にまたがる公園で、中央部一帯は調布飛行場。飛行機好きな人が写真撮ってる。元は調布飛行場の一部だが、戦後アメリカ軍により接収されていた。1974(昭和49)年に返還されて、公園開園は2000(平成12)年。

公園入口

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まん中に飛行場があるので滑走路近くには高い建物などはなく、だだっ広い。

向こうの方は飛行場滑走路など

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離陸

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◆都立野川公園

三鷹、調布、小金井市にまたがる公園、元は近くにある国際基督教大学(ICU)のゴルフコースだったところ。公園内を野川が流れ、国分寺崖線が通っている。

なんとなくゴルフコースの面影

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国分寺崖線の下には自然観察園が整備されて、かつての雑木林の風景が残されている。

自然観察園の雑木林から

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水辺に咲いている秋海棠(しゅうかいどう)

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野川と国分寺崖線の雑木林

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◆都立武蔵野公園

野川公園の西側に隣接する武蔵野公園。こちらも園内を野川が流れ、北側の端は国分寺崖線の崖が連なっている。

武蔵野公園内から野川(2枚)

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◆滄浪泉園(そうろうせんえん)

明治・大正期に三井銀行の役員、外交官、衆議院議員などを歴任し、活躍した波多野承五郎(雅号・古溪)氏の別荘の庭園で、「はけと湧水」をたくみに生かした由緒ある緑地です。滄浪泉園と言う名の由来は、大正8年、この庭に遊んだ犬養毅(雅号・木堂)元首相が友人である波多野氏のために名づけたと言われ、「手や足を洗い、口をそそぎ、俗塵(ぞくじん)に汚れた心を洗い清める、清清(せいせい)と豊かな水の湧き出る泉のある庭」という深い意味を持ち、石の門標文字は犬養毅元首相自筆によるものです。小金井市HPから抜粋)

ちょうど崖線の斜面に庭園がある。入口は崖の上に、湧水を生かした池などは崖の下に造られている。

入口と門標

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崖線の途中から下の池を望む

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庭園といっても雑木林をそのまま残したような感じで、自然の林の中にいるよう。湧水量減少の影響か、池は濁り気味、蚊が多い。

庭園の湧水

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ここの湧水も「東京の名湧水57選」のひとつに選ばれている。

 

貫井(ぬくい)神社

この神社も国分寺崖線の下に位置する。元は貫井弁財天と言われていたそうだ。この神社境内にも「東京の名湧水57選」に選ばれた湧水があり、その水がたたえられた神池がある。

鳥居と社殿、赤い橋

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水が湧く場所

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石組みの奥から静かに水が湧き出している。小さな湧水はほかの場所でも見られた。

境内の神池

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湧水のある場所に神社、寺院が置かれているところをいくつか見かけた。単なる想像だが、昔は生活用水や田畑に導く水は貴重なもので、複数の農家や集落単位で使用するための湧水は、独占的に使われたり勝手なことをされないよう、周囲に神社や寺院をつくって神聖な場所、かつ公共のスペースにすることで保護したのではないだろうか。

この先、国分寺市内へと入っていくがそちらは(2)で。