六郷用水、前回のつづき。世田谷区喜多見、次大夫堀公園から下流へ歩く。
六郷用水流路地図
次大夫堀というのは六郷用水の別名。小泉次大夫が建設の総指揮をとって造られた用水路だからっていうのは前回も書いた。
かつて次大夫堀公園あたりは六郷用水に野川と入間川(いりまがわ)の水が合流して流れていたところ。きっと当時の水量は豊かだっただろう。
現在、六郷用水は廃止され、この付近は河川改修が行われた野川が流れている。(野川と入間川は現在も合流していて、合流後の流れが「野川」の名前で次大夫堀公園付近を通っている。)
ちょっと上流へ戻って、世田谷通り中之橋から見た野川(下流方向)
次大夫堀公園出口から野川沿いに出てくると、歩道が通行止めになっていた。
東京外環道工事の影響で歩道は閉鎖
看板を見ると工事期間は”平成32年6月27日”まで。
この先東名高速とのジャンクション建設工事。
この工事自体はずいぶん前からやっている。工事現場周辺の風景は刻々変わっているが、現在は野川両岸に高い塀を建てていてこんな風景
この中に東名と外環を結ぶ連絡道路ができる。
そんな場所に、昔は六郷用水と野川の分岐点があった。
現在の狛江市役所付近で合流していた2つの水路、全量を用水下流まで持っていくには多すぎるのか、水の一部をこの近くで2つに分けていた。
この付近で六郷用水と野川が分岐
昔の流れは左奥、塀の向こうへ行って、東名高速の高架下付近で流れを2つに分けていた。昭和30年代後半の航空写真ではそれが確認できる。
現在、痕跡は残っていない。この有様では当然か。
ジャンクション工事現場をぬけて東名高速の向こう側へまわる。
東名高速を越え、世田谷区大蔵6丁目付近
相変わらず工事現場の様相だが、この向こう側は東名高速が横切っている。そしてごみ集積場前であれだが、フェンスの向こう側が窪んでいて、かつての水路跡が残っていた。
振り向いてその反対側はこうなっている
右側に「六郷用水跡」の石碑、見えている側面には「西 新井橋を経て次大夫堀公園へ」と刻まれている。
そして左向こうへ歩道部分がかつての水路跡。
永安寺前
この寺院の門前まで、車道との境界に石垣のあしらわれた歩道が続いている。
その先は少し広めの歩道がある一般道となって仙川の流れへと至るのだが、その手前に用水路を横切る小さな流れがある。
六郷用水跡を横切るまではこのように流れが見え、その下流側は暗渠となっているようだが、この流れに関してあまり情報がない。
その先はすぐに仙川、水神橋
かつてはここで六郷用水と仙川は合流していた。仙川の水の全量が六郷用水に取り込まれていた。
用水の廃止によって、仙川は現在の水神橋より下流側に新たな流路がつけられた。
一方六郷用水は、現在水神橋の下流側が整備され、名前も変わって「丸子川」となって残っている。
現在の丸子川へ供給される水は、世田谷区岡本3丁目付近の湧水で、仙川に沿って流れ下ってこの地点にやってくる。(仙川の水は現在ここで丸子川へは供給されていない。)
向こう仙川に沿って流れてくる丸子川の水(2018/02撮影)
丸子川上流部の記述はこちら仙川を歩いたノートの中にも少し書いていた。
水神橋近くから丸子川(下流方向)
ふり返って
ここからはしばらく「丸子川」の呼称で進めて行くことにする。
「丸子川親水公園」ともなっている川の流れ(世田谷区岡本2丁目付近)
岡本公園入口
丸子川は国分寺崖線に沿って崖の際を流れて行く。崖線部分は緑濃く、こちらは岡本公園、隣りには三菱財閥、岩崎家墓所と静嘉堂文庫のある岡本静嘉堂緑地。
国分寺崖線を辿ったときにもこの川沿いを歩き、六郷用水について少しふれた。
岡本公園民家園の建物
こちらは次大夫堀公園の民家園より規模は小さい。これは江戸時代後期の典型的な農家の家屋を再現したもの。
隣接した静嘉堂文庫の建物や美術品なども一見の価値があるが、いかんせん崖の上にあって、あがるのが面倒だった。(この日はとても暑かった。)
岡本静嘉堂緑地の森と丸子川
谷戸川もかつては六郷用水の水の一部となっていたわけだ。
川は何か作業中、組み立てているのは川に置くための蛇篭だろうか?
世田谷区玉川に入る
川の向こう側に崖が迫っているせいもあり、川に自家用の橋を架けて出入りをしている家が多い。この川にかかる橋の密度って半端ない。ちなみに一番手前の石橋は道路橋、その向こうに個人宅の橋が続く。
二子玉川商店街先の橋は”治”大夫橋
次大夫堀の治大夫橋。橋を渡っているのは大山道、現在の国道246号にあたる。
その国道246号の下をくぐり、
国道246号と東急田園都市線の間を流れる丸子川
川を背にして「南大山道道標」3基
川沿いの道ではなく、この50mほど左側を交差している道が南大山道。道標はそちらにあったのが何らかの理由でここに移されているのだろう。
流れ始めの頃と比べると川底までがだいぶ深くなった。他の河川との合流もあるが、国分寺崖線の崖下から湧き出す水もあちこちで見られる。まあ、あとは降雨時の対策というのが一番肝心でもあるわけだけど。
矢沢川と交差手前の丸子川
「交差」と書いたが、地図などを見るとこの部分、矢沢川の上を丸子川が交差しているように見える。
かつてはたしかに矢沢川の上を掛樋で六郷用水が立体交差していたという。
矢沢川を越えた場所に水が噴きだしている
フェンスの中が矢沢川流路。噴き出している水はまた丸子川の流路を下っていくのだが。ここには伏越(サイフォン)があるのか、掛樋で交差しているとみるのが自然。
でも矢沢川の上流側からみると丸子川は掛樋で交差している形跡はない
掛樋があれば橋の下に樋管(or 水道管)があるはずだが、見えない。
では伏越かと思えば、
わかりにくいが、橋の下の向こう側に柵があって水が矢沢川へ流れ出ていた。その水はここまで流れてきた丸子川のものだ。
現在は伏越も掛樋もなく、単に合流していたのだ。
そして、矢沢川を越えたところで噴き出している水は、矢沢川の流れを近くでポンプアップしたものだということも分かった。
ここより下流の丸子川は、新たに矢沢川の水が流されているということだ。不思議なことをするものだ。
ちなみに矢沢川は東京23区内唯一の渓谷として有名な等々力渓谷を流れ下る川で、丸子川との「擬似」交差地点の数百メートル上流が等々力渓谷である。
矢沢川の水が流れるようになった丸子川
もう少し先へ行くと世田谷区から大田区へと入る。
田園調布八幡神社付近
丸子川の本流は左側鳥居の後ろを流れていて、右側に写っているのは分流。ここを「お鷹の圦(いり)」というそうだ。圦というのは一種の水門のこと。
分流側の先には小さな池
池と丸子川本流の間に堰(お鷹の圦堰)
分流とお鷹の圦堰から六郷用水(丸子川)の余水を多摩川に排水していた。ここには今も現役の排水路が存在する。
丸子川本流は田園調布4丁目交差点で多摩堤通りに出る。
多摩堤通り脇を流れる
歩道は川の上に張り出して造られていた。
左側は亀甲山(多摩川台公園)、歩道の下が丸子川
正面は東急東横線、そのすぐ向こうは丸子橋というロケーション。
東横線と丸子橋(中原街道)の間で丸子川の水は多摩川へ放流される。
丸子川排水門から
ここが丸子川の終点、手前側から水が流れてきて右側水門を通り、多摩川へ注ぐ。
現在は前方からも水が流れてくるような構造になっているが、現役の頃の六郷用水はそのまま向こうへ流れて行ったのだろう。
場所的には多摩川浅間神社すぐ横である。
大田区田園調布1丁目まで来た。
六郷用水その2はここまで。
こちらはその1
つづく