野川を歩く はみ出し編 (2)国分寺崖線と国分寺周辺

「野川を歩く」川の遡上歩きのノートに書けなかった周辺のあれこれ、はみ出し編としてまとめた(2)は国分寺市内から。

野川・国分寺崖線足跡

暖色系野川、寒色系国分寺崖線、歩いたのはほとんど2016年夏。

はみ出しその1

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殿ヶ谷戸庭園

国分寺市南町二丁目、国分寺駅のすぐ南側(歩いて2分とか)にある庭園。

国分寺崖線の段丘崖とその下端部付近の礫層から浸出する湧水を利用し、雑木林の風致を生かしてつくられた近代の別荘庭園です。
三菱合資会社社員、貴族院議員であった江口定條(えぐちさだえ)が1913(大正2)年~1915(大正4)年に別荘を構え「随宜園(ずいぎえん)」と命名。1929(昭和4)年に三菱合資会社の経営者だった岩崎彦弥太が江口家から別荘を買い取り改装、庭園建築として紅葉亭の新築、主屋前面の芝生地と崖線下方の湧水および園地を結んで回遊式庭園を完成させました。
その後、都が買収して整備後有料庭園として開園し、現在は殿ヶ谷戸庭園(随宜園)として国の名勝に指定されました。
殿ヶ谷戸庭園のパンフレットから一部抜粋)

崖線上の芝生

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竹の小径

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次郎弁天池、上の建物は紅葉亭

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湧水

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こちらも東京都の名湧水57選のひとつ。

 

◆お鷹の道、真姿の池湧水群

国分寺市西元町と東元町の境界付近に国分寺崖線からの湧水群があり、その水を集めた池が「真姿の池」、湧水群から湧き出した水が流れる水路に沿って歩道を整備し、そこを「お鷹の道」と呼んでいる。こちらの湧水は環境省選定名水百選、東京都の名湧水57選に選ばれている。
名前の由来については国分寺市のHP。

www.city.kokubunji.tokyo.jp

湧水のひとつから流れがはじまるところ

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ちょうどこの真下あたりに水が湧いていて、先へ流れて行く。右側に赤い鳥居と橋の見えるところが真姿の池。

水が湧くところから

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静かに湧き出しているのでどこから水が出てきているのかわからないけれど、ここより奥(左側)に流れはない。写真右側へ流れてゆく。ここの水量は他の湧水場所より豊富だと思う。

湧き出し口の向こうは崖線の斜面

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真姿の池

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鳥居の向こう側の小さな池、池の中央に弁天様を祀った祠がある。

池の様子

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お鷹の道へ

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お鷹の道・遊歩道

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遊歩道は350mほど(市のHPによる)、歩道わきの流れにはほかの湧水の水も合わさり、元町用水という名前に変わって住宅地の間を流れ、野川に合流する。

住宅地内を流れる用水

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このあと国分寺街道一里塚交差点近くで野川と合流。

 

国分寺武蔵国分寺跡など

「お鷹の道、真姿の池湧水群」のすぐ西側には武蔵国国分寺跡などの史跡がある。

国分寺

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医王山最勝院国分寺は、真言宗豊山派の寺院です。伝承では「分倍河原の戦い」で焼失した武蔵国分寺は新田義貞の寄進により薬師堂が再建されたと伝わっています。江戸時代に入ると徳川幕府は、由緒ある寺社に領地を与えて保護しました。国分寺の薬師堂も三代将軍家光から慶安元年(1648)に九石八斗九升八合の寄進を受け、朱印状を下付されました。以後、十四代家茂までの朱印状が残っており、享保18年(1733)には本堂も再建されています。現在の本堂は昭和62年に改築されたものです。国分寺市HPより)

国分寺楼門

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このほか国分寺の境内には仁王門、薬師堂、植物園など。

武蔵国分寺跡

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武蔵国国分寺は古代の官道である東山道武蔵路に沿い、東側に武蔵国分寺、西に国分尼寺が立っていた。武蔵国分寺跡には、金堂、講堂、七重塔の跡が残されている。それぞれの跡地には解説板が立てられているが、建物などは一部の礎石などを除いて何もなく、広場があるだけのような状態。

国分尼寺

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国分尼寺跡に立つ碑

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国分尼寺跡についても国分寺跡と同じ状態で、建物などは何もない。こちらは現在すぐ隣をJR武蔵野線が通っている。
国分寺跡、国分尼寺跡ともに国分寺崖線の下側、ほとんど離れていないところに位置している。なぜ丘の上の遠くからも目立つ場所でなく、下側につくられたのだろう。

 

国分寺崖線さらに先へ

表題の「野川を歩く」の源流よりも先へ行ってしまうことになるが、国分寺崖線は古代の多摩川が削ってつくったものなのでその先にも存在する。
崖線はいったん府中市の武蔵台といった地域をかすめ、国分寺市国立市の境界となる。

国立市国分寺市の境界あたり

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国立市側から撮ったもの。国分寺市が崖の上、国立市は下、間に市の境界、つなぐのは急な坂道というところが続く。このあたりも段丘の高低差は結構大きく20mくらいはある。近年開発のすすんだところは崖線の斜面も含めて住宅になっているところが多いが、そうでないところでは植木を扱う農家が崖のきわにあるのをよく見かけた。
しばらく同じような風景が続くが、立川市に近くなると段丘の高低差がだんだん小さくなってくる。

国分寺市西町4,5丁目付近の坂道

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立川市境界も近い地帯。先ほどの写真よりも坂が緩く短い。段差が小さくなっている。10mもないくらいか。

立川市幸町4丁目付近

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手前畑と向こうの住宅の間の段差が崖線。このあたりが国分寺崖線のはじまりの位置だとしている識者もいるようだ。でもまだ2~3mくらいの差はある。

立川市幸町5丁目付近

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向こうから道がなだらかに下っている。これで1mくらいかな。
なんでこれが崖線の一部と分かるかというと、国土地理院の数値標高データを地図上に展開して、詳細な地形を調べたから。といえばかっこよく聞こえるけど実は「カシミール3D」というソフトでいわゆる凸凹地形地図をつくって国分寺崖線の段差がどこまで伸びているかを調べたから。
段差を思い切り強調してみると、明らかにこのへんまで伸びていることが分かる。ここはちょうど玉川上水駅の南東側で、近くを玉川上水も流れている場所だ。(玉川上水の流れがここで国分寺崖線の段差を回避している(よけている)ということを知ったときにえらく感心した。)
ここより先は段差がないとは言い切れないが、あってもセンチメートル単位だし、造成工事などで平らにされてるっぽいところもあってはっきりしない。

 

◆はみ出しおまけのおまけの立川断層

先ほどの「カシミール3D」でこの付近の地形凸凹を見ていたら、立川断層による段差がこの近くにあることがわかったのでついでに見に行った。
でも実地では逆に確認が難しく、それをカメラに収めるのは結構大変だった。簡単に分かるのはこの1枚くらいしかない。

立川断層のつくった地面の段差

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立川市砂川町付近。横は西武拝島線でその脇のコンクリートの柵が、手前側は少し高く、向こう側で沈んでいる。道路も少し下へさがっている。ここに断層がある。
過去に起きた地震により地面がずれた場所だ。ちなみに線路と道路はほぼ東西に通っていて、断層は北西から南東方向くらいの角度で通っている。
これ以上はマニアックになり過ぎるのでやめにしておく。

野川遡上本編

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