過去に歩いた川のふり返り5回目になりました。
今回は多摩川がつくった川と言ってもよいでしょう、野川とその支流、水路を少し。
野川は国分寺市内の湧水群などを源に世田谷・二子玉川で多摩川に合流する川です。
大昔、多摩川の流路が現在と近い武蔵野台地南側に定まってくると、流れは台地を少しずつ削っていき長い崖の線(国分寺崖線)をつくりました。その後古多摩川の流路は崖線から少し離れましたが削って掘り下げられた崖下各所から大量の水が湧きだし、集まってできた川がいまの野川です。
野川本流が湧水の多い国分寺崖線の際を流れ下るため崖下からの湧水は間もなく本流に流れ込んで川になる間がありません。支流は小規模、ごく短いものが多いです。
そのなかで仙川は代表的な支流ですが、この川の上中流は武蔵野台地上にあり最後台地から下って野川に合流します。それより小さな川ですが入間川も同様です。
野川、仙川、入間川、六郷用水の一部流路地図
野川〈のがわ〉
国分寺市内、恋ヶ窪周辺や日立中研敷地内の池の湧水が源流となり、国分寺崖線に沿って各所からの湧水を集めつつ東から南東へ流れます。途中流路変更されたため現在は調布・狛江市境界で入間川を合流しますが、1960年代頃までは世田谷区喜多見付近に合流点がありました。さらに下流、世田谷区鎌田で仙川を合わせ、二子玉川で多摩川に合流します。延長20.5㎞。
2016年、17年の2回歩いたのを合わせて比較したノートになってます。17年はあちこちで水涸れしていた野川でした。
多摩川合流地点から上流へ向かって
2017年水が涸れた野川(狛江市西野川)
三鷹大沢緑地近くの野川河原。こちらは春で水もあります。
都立野川公園から
源流の池がある日立研究所は自由に出入りができず、まだ訪問の機会がありません。
武蔵野公園西端、小金井新橋から。これも春
野川が寄り添う国分寺崖線沿いのあれこれを『はみ出し編』としてまとめてます。
野川公園湧水の水辺に咲いていた秋海棠(しゅうかいどう)
滄浪泉園(そうろうせんえん)庭園内の湧水。
国分寺、お鷹の道、真姿の池湧水群や国分寺崖線のはじまりを追いかけて。『はみ出し編2』
お鷹の道・真姿の池湧水群から。この真下で水が湧きだして流れのはじまりになっています。1kmほど先で野川に合流します。
鳥居の右が真姿の池。
入間川〈いりまがわ・いるまがわ〉
野川の支流、三鷹市内から流れ、調布、狛江市境界で野川に合流します。延長は5㎞ほどの小さな川で上流部は暗渠化され、源流部にはほとんど痕跡も残っていませんが、なぜか『入間川源流』の標柱が1つ立ってます。
川の名前も2通り、元々「いりまがわ」だったのを都が「いるまがわ」と呼ぶことに決定、その後調布市が「いりまがわ」への訂正依頼を出したが…といったエピソードもあるようです。
このときは野川の旧流路も同時に歩いています。
武蔵野台地から下りつつあるこのあたり、川左右の段丘の高さが微妙に異なって古多摩川による浸食も受けていることが推測できます。
甲州街道より北側は中仙川(なかせんかわ)とも呼ばれます。暗渠の上は遊歩道になっています。歩道側が川跡。
野川旧流路の方
狛江市中央部を縦断して流れていた旧流路跡は現在緑道になっています。
川跡の野川緑地公園歩道。
旧流路に架かっていた「大橋」跡。かつては橋の下、右方向へ川が流れていました。
旧流路途中で江戸時代以降六郷用水を合流させていました。その流れは現在の世田谷区大蔵付近で再び分岐します。
仙川〈せんかわ・せんがわ〉
この川も読み方が2つあります。
小金井市内、新小金井街道の道端(小金井市貫井北町3丁目)に『上流端』の標識がありそこから川筋が現れますが、地形はもう少し西側へ谷が刻まれています。
細い水路が蛇行しながら続くものの上流部はほとんどいつも涸れ川状態、地形図では浅い谷筋も確認できますが隣りの武蔵野市へ入るとはっきりしません。流路は暗渠になっているようですがどこを通っているかわからないところもありました。
その後JR中央線線路下あたりで再び水路が復活、三鷹市に入って階段状に折れ曲がる水路が設定されていますがこちらも普段水はありません。
さらに下ると東八道路北側野川宿橋近くで地下からくみ上げた水が放流され常時流れができ、そこからは通常の河川になります。
下流は三鷹市から調布市、世田谷区を流れ、世田谷区成城から大蔵にかけて武蔵野台地から多摩川の低地に下り、世田谷区鎌田で野川へ合流します。
延長は公式には20.9㎞あり、野川支流では最大、野川より少し長いです。
水がある方の仙川
世田谷区大蔵3丁目付近の仙川。武蔵野台地から駆け下る、段差の多いところ。訪れたのは冬でしたが水量はそこそこあります。
都立祖師谷公園内(世田谷区上祖師谷3丁目)
大体いつも水がない方の仙川
くみ上げた水を放流している野川宿橋の北側の堀。ここから上流はほぼ常時水が流れていません。
仙川上流端標識の下側の様子。さらに上流方向へトンネルが続いているようです。水が出てくることはあるんでしょうか。〈ゴリラ藝雨に襲われたとき?〉
六郷用水〈ろくごうようすい〉
江戸時代初期に開かれた農業用水路。多摩川から取水されますが水路の途中で野川と合流、分岐があり、入間川、仙川などの水も取り入れ(加水し)て六郷方面へと流れていました。現在、水路の一部は仙川から分岐するような形になって丸子川として残っていますが、多摩川からの水路はなくなってしまったのでそれ以外の絡みは見れません。
野川とその支流に関係していた水路ということでここに取り上げました。
野川旧流路と六郷用水が合流していた地点。(狛江市和泉本町)
左歩道上を六郷用水が右の道を野川が流れ、交差位置で合流
野川との分岐、仙川合流から六郷用水の続き(現在の丸子川へ)はこちら。
世田谷区岡本、岡本公園付近の丸子川
以下は六郷用水下流の堀あちこち。リンクのみ。
六郷用水を歩く その3 亀甲山・丸子川終端から南堀蛸の手先まで - 散歩の途中
六郷用水を歩く その5 蒲田、糀谷周辺の支堀いくつか - 散歩の途中
今回はここまでです。