散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

立川飛行機専用線跡の緑道 前後多少付け足して散策

国立の矢川から出発して立川飛行機専用線(立飛線)跡の緑道を歩き、そのあともあちこちを巡り歩いてきました。

スタートのJR南武線矢川駅前におります

もう散ってしまったかと思われた桜ですがまだ十分じゃないですか、これなら今日も花見散歩でいくと決めました。

立飛線跡の緑道までは少し距離があるので駅前からぷらぷら

国立市富士見台のさくら

歩きだして5分くらいのところです。

 

大きな建物の間をぬけると中央郵政研修所(郵政大学校)の脇を通ります。

敷地の端には「中央郵政研修所内郵便局」がありました

局の名前からして実務把握のため研修生によって運営されてる郵便局かな、なんて勝手に思ってしまいました。〈普通の郵便局のようです〉

 

JR中央線高架下をくぐるとすぐ「北第一公園」

この公園付近から立飛線跡の緑道がはじまります。

立川飛行機専用線(立飛線)は1943(昭和18)年から翌年にかけて建設された、国鉄中央線と陸軍立川飛行場、立川飛行機工場を結ぶ資材運搬用専用引込線でした。
戦後立川飛行場などが米軍に接収されて米軍立川基地となった後はおもに航空燃料輸送が行われましたが、1969(昭和44)年に飛行が停止され、その後は現・立飛企業内の米軍施設向け貨物輸送となります。その後立川基地が返還され、立飛線も1978(昭和53)年に正式廃止されました。
その後、線路跡が緑地緑道へと変わっていきます。

立飛線線路は中央線から分岐していました。廃止されてから40年以上経ちますが現在の分岐点付近を航空写真で見ると、線路の軌道跡が弧を描いているのがわかります。分岐した線路がカーブしていたのですが、その部分は現在駐車場敷地などになっています。

北第一公園の西端からそのあたりを

この写真から想像するのは難しいかと思いますが、中央と左の大きな樹木の間、道路向こう正面に洗車場と背の低い建物があります。そのあたりに線路がありました。奥には高架に変わった中央線の架線柱がわずかに見えます。

そして線路はこちら公園内に写真左端あたりから入ってきたようです。

 

公園内を通り抜けてその出口へ差し掛かったところ

色とりどりの花木に目を奪われます。ここをかつては線路が通ってました。

 

100mほど進んで

線路跡の緑道は左側車止めの間を正面奥へ。
その途中大きなリングが見えますが、立飛線のレールを使って造られたモニュメントです。その奥、咲き誇る桜の下にある藤棚?も同じく元レールとの情報もありました〈レールだったかきちんと見てなかったです〉。

 

そこからわずかに行ったところ

かつてこの付近で線路の分岐があったそうです。左に分かれていた線路は現在の自衛隊東立川駐屯地内、戦時中の陸軍獣医資材廠へのびていました〈動物のえさを運搬していたとか?〉。1台駐車中の車のあたりをぬけていたようですが痕跡はありません。

このあたりまでが国立市内、「北緑地」の名称。続いて短い区間国分寺市を通過します。

 

国分寺市内は「西町緑地」と名前が変わります


西町緑地から

国分寺市内の緑道はわずか250mほど。

 

続いて立川市へ入り、名称は「栄緑地」に変わります。栄町をずっと通り抜けるからですね。
市境界付近


南砂小学校の北側を通過中

このあたり園芸農家の敷地をぬけていくこともあって植物が特に映えます。

 

立川通りとの交差点南側


みどり児が桜に見とれています

ここに線路があった頃は踏切になっていたようです。

 

こちらの子は花がなくて  ○| ̄|_❓


そろそろ終点に近づいて


ここが現在栄緑地の終点です

栄町4丁目と6丁目境界、前方交差点は芋窪街道、その先は泉町でららぽーと立川立飛や"TACHIHI BEACH"なんてのも最近出現してます。

かつての線路はそちらの方へさらにのびて立川飛行場(立川基地)へ通じていたのですが、すでにその痕跡は残ってないようで〈もちろん緑道もないので〉辿るのはここまでとしました。

 

もう1本、立川基地西側からの引込線「中神引込線」がかつて存在していました。以前その跡を歩いて辿ったことがあります。

中神-立川基地引込線(中神引込線)線路跡を歩く - 散歩の途中

 

栄緑地の終点まできましたが、まだ先へ歩きました。
散歩途中のスナップを少し追加します。

立飛あたりのにぎやかな場所とは反対方向に「江の島道」という通りがあります。
江の島道(立川市栄町)

周囲には「江の島」の名がついた公園、団地、保育園もあります。

現在の道路としてはごく普通ですが、神奈川湘南の江の島と関係あるのか少し気になりました。
あとで調べてみると、通り自体は短く湘南まで続いていませんが、江戸時代頃周辺の人々が江の島詣に行くのに使った道だったという情報がありました。〈その程度しかわかりませんでした〉

『江の島道』を北へ歩くと五日市街道とつきあたる砂川八番交番前交差点で終わってました。

 

散歩の足はさらに北へ、川越道緑地に。〈今度は川越道ですか〉
川越道緑地前の平成新道から(立川市幸町4丁目)


緑地内に古民家園があったので寄っていきました。
入口付近から母屋

立川市砂川地区(かつての砂川村)にあった農家、小林家の住宅で幕末に建てられたものと案内にありました。

5月5日まではあとひと月ほど

右奥の部屋にも五月人形が飾られてました。

母屋前から入口のほう

こちらは園内の須﨑家内蔵


古民家園脇の道路から

右は須﨑家内蔵の背面。

正面少し坂道になってますが、国分寺崖線の段差です。このあたりはまだ小さく(5mほど)、崖線のはじまりにごく近い場所です。
ここから右方向へ緑地をぬけていくとどんどん段差を増して、先ほど通過した栄緑地(立飛線跡)の東側までくると10mくらいになり、最大は調布、世田谷区内などで30m近くになっていきます。

 

まだ小さな段差の上へあがり、その先の立川幸町団地のはずれから

畑の向こうに見える並木、下を玉川上水が流れています。

立川の北の端まできました。まだ先を歩いてますがここでいったん休憩とします。