川崎殿町から多摩川、南武貨物支線跡、鶴見川とたどって歩く

今回は表題のとおりです。

スタートは羽田空港の対岸、川崎殿町キングスカイフロント、多摩川スカイブリッジも間近というところ


まずここから多摩川をさかのぼって歩きます。

これまで何度も歩いたところですが新たな気持ちで..

 

対岸正面は空港滑走路にも近い羽田イノベーションシティあたり


すこし先へ進むと大師橋の全貌がみえてきます

産業道路の通る斜張橋大師橋の手前に首都高大師線の大師橋、今年5月下旬から2週間道路を通行止めにして架替え工事が行われてます。
以前の橋の隣りに新しい橋を組立て、2つの橋をスライドすることで架け替えを行いました。

工事区間にはスライド用レールなどを載せた架台がまだ残ってます

架け替えられたのは橋の約300mほど、左岸(東京都)側でもありこちらからは工事前後であまり変化してないように見えます。

手前首都高と隣りの産業道路大師橋


大師橋の上流側に出て

水が少ないけど潮がひいてるのかな
対岸は六郷、本羽田方面。

もう少し上流にて


堤防上に川崎河港水門(川崎区港町)

〈手前に草の穂かぶっちゃいました..〉

脇にある解説

川崎河港水門(国登録有形文化財)
第一次世界大戦による好景気のなかで、川崎市は足りなくなった工場用地の拡大を図る運河・港湾計画を立てました。川崎河港水門はこの計画の一環として将来の発展に備えるべく、当時の多摩川改修事務所長であった内務技師・金森誠之氏の設計により大正15(1926)年11月に着工、昭和3(1928)年3月に完成しました。2本のタワーと、タワーをつなぐ梁、ゲートによって構成され、タワーの頭頂部には当時の川崎の名産品のブドウ・梨・桃をあしらった装飾がされています。梁部分には、現在は残っていないものの、エジプト様式の船のレリーフがありました。
運河・河港計画は、現在の川崎区を対角線状に横切る幅員33~40mの大運河となり、内務省の都市計画事業の認可を受けましたが、敷地内に住宅や工場が建てられ、戦局の悪化による経済への影響などもあり、昭和18(1943)年に廃止されました。
また、この河港水門は平成10年に、国の登録有形文化財(建造物)に登録されています。
川崎区役所

水門タワー部分には登録有形文化財、近代化産業遺産のプレートが貼り付けられていました。

 

ほどなく第一京浜・六郷橋に差し掛かります


同じ位置から下流方向


いったん川から離れて旧東海道沿いに出ます

六郷の渡しから川崎宿に入ったあたりです。

すぐ大師道・府中街道(国道409号)へ移っていくつか鉄道橋梁の下をくぐります。
その先堀川町あたりから、多摩川の上流方向

この日の多摩川はこのへんまで。

最後に幸町交番前交差点の歩道橋からです

 

続いて近くにある公園(緑道公園)へ

多摩川に近い側、公園のいちばん端から

多摩川はこの背後になります。

ここはかつて南武線(南武鉄道)貨物専用支線の川崎河岸駅でした。
多摩川中上流で採取した砂利を鉄道でここまで運び、さらに艀(はしけ)に積み替えて東京湾岸各所へ輸送していた拠点です。

多摩川に近いこの場所は貨車などがたまるヤードとなって幅が広く取られています。
かつては多摩川河川敷までレールが伸びていたようで、そこに堀が設けられ艀へ積み替える設備がありました。

川崎河岸駅からは上の写真前方に線路がのびて現在の南武線矢向駅付近で本線とつながっていました。開通は1927(昭和2)年で南武線(当時は南武鉄道)と同時、1972(昭和47)年に正式に廃止となりました。

 

現在川崎市内の線路跡はそのまま細長い公園になってます。たどって先へ進みます。

駅(ヤード)から離れしだいに公園の幅がせまくなってきます。

 

河原町団地南側交差点付近

このあたりは『さいわい緑道』という名前になってます。

 

第二京浜(国道1号)を渡ると『やすらぎの道しんめい』と名乗ってます

左には「国土交通大臣賞受賞記念2002.4」と記された碑があるのですが、何の賞? きちんと見てなかった

 

さらに300mほど進むと唐突に行き止まります

正面にはごく普通の住宅が建ってます。実はその住宅と緑道の終点の境界は横浜市と川崎市の境界線が横切っています。
横浜市側は線路跡を特に保存しなかったのでその上に住宅や市の施設などが建てられました。線路があった場所に忠実に家が建っているのが航空写真などでよくわかります。

 

南武線矢向駅近くの踏切(横浜市鶴見区矢向4丁目)

右に駐まっている車両付近から右へ貨物支線の線路が分岐してのびていました。

今も線路が残っていたらこんなかんじでしょうか

こちらは尻手短絡線というJRの貨物専用線線路、矢向第3踏切からの風景でした。(川崎河岸へ向かっていた線路とは別です)

 

次は鶴見川へ向かいます。

途中かつて広大な新鶴見操車場(国鉄の貨物ヤード)のあった跡などを通過
かなり前から再開発中、大きな建物もたくさんできて変わりました。
江ヶ崎跨線橋付近


住宅地内はちょっと省略

架け替え工事中の末吉橋を避けてもう少し上流の鶴見川堤防に出ます(川崎市幸区小倉5丁目)


堤防にあがると

下流方向、末吉橋に工事のクレーンがみえます。

近くには河口から6.5㎞ポスト


上流へ向かってしばらく黙々と歩きます。〈日射しを遮るものがなく9月末だというのに暑いです〉

末吉橋の次、鷹野大橋付近から下流方向


上流方向は奥から合流する矢上川がよくみえます


左にみえる鷹野人道橋を渡り
鷹野大橋、矢上川合流点あたりをふり返って


河川敷を歩いて綱島
左大綱橋(綱島街道)、右は東急東横線橋梁


東京メトロの車両が通りかかりました


そのまま先へ歩いて行くと早渕川が合流してきます。
合流点近くで


鶴見川の上流に出たいので早渕川一番下流にかかる橋を渡ります

早渕川は左にカーブして鶴見川に合流してます。

 

無事に鶴見川上流側へ出て
港北区新吉田東7丁目あたり


この付近で鶴見川に合流する小さな川をこのあと辿りました。

その小川の源が意外な場所にあったことを発見して勝手に盛り上がっているのですが、そちらは別建てにして今回はここまでとします。