散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

大原隧道・東隧道 横浜の古いトンネルを訪ねる その1

横浜にある古いトンネルをいくつか巡って歩いてきました。
その中から今回は南区清水ヶ丘の大原隧道、保土ヶ谷区岩井町にある東隧道をピックアップ。
この2つのトンネル(隧道)は関東大震災により被災した水道施設の復興事業の一環として(現在の)横浜市南区、磯子区方面への送水を目的とし、西谷浄水場(保土ヶ谷区川島町)からの水道管を敷設するために掘削されました。
水道管なので地中ある程度の深さに埋めていけばよいのかと思いますが、上の2ヶ所は地形の起伏が大きく送水に支障があったのでしょう、トンネルを掘ってそこに水道管を通しました。
トンネルを通る水道本管はいまも現役で使用されているそうです。

 

はじめに訪ねたのは大原隧道です。
トンネルを通ってきた水が供給される南区の市街地から。
これは大岡川

蒔田中学校交差点先、井土ヶ谷橋上です。

左(北方向)へ進んで南太田、京急線線路をくぐると上り坂になり、その坂道の下を大原隧道から出てきた水道管が通っています。

坂途中、首都高神奈川3号狩場線の高架橋が横切ります

首都高アーチ橋の両側に階段がありますが結構な段数、高低差も勾配も大きな箇所です。〈広角撮影〉

 

アーチの真下、坂道の脇に何かあります

〈『トンネル入口』ははずれです〉

獅子頭共用栓

獅子の口から水が出て下に少し溜まってます。水量は少ないですが冷たい水です。
トンネルを通る水道管と直接の関係はありませんが、こちらも横浜市水道局が設置したものです。
横に解説があるのでそちらを読みます。

この獅子頭共用栓は、明治時代に使用されていた近代水道の貴重な歴史的遺産です。
当初イギリスから輸入され、獅子のデザインはギリシャ神話にちなむものと言われています。
30軒程度が、共同で使用し、最盛期には600基ありましたが、現在完全な形で残っているのは横浜水道記念館に展示されている2基だけと言われています。
なお、ここの水は水道水ではなく、清水です。飲用には適さないものです。
 横浜市

ちなみにこの付近の地名は清水ヶ丘といいます。

 

獅子頭共用栓前の坂道をもう少し上がるとトンネルが見えてきます。

右の階段は清水ヶ丘の上(公園もある)へあがります。

 

大原隧道南側坑門前

トンネル入口を『坑門』といいます。
正面上に右から「大原隧道」の名標。
前面は煉瓦、フランス積みといわれる(煉瓦の長手と小口を交互に積む)方式、焼過煉瓦(やきすぎレンガ)が使用され通常の煉瓦に比べて色味が異なり、黒いというか紫色というか。
焼過煉瓦は『通常より良質の粘土をより高温で焼き過ぎるくらい焼いたレンガで、吸水性が少なく摩滅に強い』とは国語辞典からの引用。
梁、柱などは花崗岩が使用されています。

 

右側に土木学会選奨土木遺産(横浜水道に関わる隧道ー大原隧道)、横浜市認定歴史的建造物のプレート


このトンネルについての解説

北側坑門の脇にあるものです。〈見にくいのと内容が上に書いたこととダブってしつこくなりました御免なさい〉

大原隧道(おおはらずいどう)
この大原隧道は、昭和3年(1928)関東大震災の復興事業の一環として水道本管を敷設するためのトンネルとして完成しました。
延長は254メートル、高さ3.62メートル、幅2.44メートルの馬蹄形トンネルで200分の1の勾配は、改修工事により高さと幅に若干の変化があるものの現在もトンネル内部には蒔田・磯子方面への水道本管(口径610mm)が埋設されています。
このトンネルの大きな特色は、坑門に紫褐色の焼過煉瓦を一段に長手面と小口面とを交互にみせるフランス積とし、これと対称的に力強いアクセントとして花崗岩を門柱風に配置するなどデザインに工夫がなされ、独特な風格を持つトンネル坑門となっていることです。
大原隧道と同様にフランス積の焼過煉瓦と花崗岩で坑門が装飾されている保土ヶ谷区岩井町の東隧道も、同じ用途で同じころに作られた兄弟トンネルです。共に横浜の代表的な土木遺産の一つとして評価されているトンネル構造物となっています。
1.歴史的建造物の概要
(1)名称:大原隧道
(2)所在地:南区清水ヶ丘76-10・南太田2丁目222
(3)建造年:昭和2年(1927年)6月着工 昭和3年(1928年)7月竣工
(4)設計者:横浜市水道局
(5)施工者:(不明)
(6)構造規模:水道用(管理用通路付)馬蹄形トンネル (工数72.504円40銭)
     延長254.5m 勾配200分の1 高さ3.52m 幅2.44m
横浜市

 

さて、ようやく通り抜けます。

入ってすぐふり返り

ここを通れるのは歩行者のみ、バイク自転車はおりて通ります。のったままでは頭つかえますし。

トンネルは掘削当初、水道局の管理用通路でしたがのちに改修し一般開放されました。

内部

気温が低くてひんやり。ところどころ水が浸み出てますが水道管の水が漏れてるのではなく湧水です。

北側坑門へ


出てからふり返り

坑門前の装飾などは南側とほぼいっしょです。

 

少し離れて

こちら側は右へ上がる清水ヶ丘公園への坂道が続いてます。水道管管理用のマンホールがいくつも。

この背後へは一般道になりますが次の東隧道へ続くので地下に水道菅が通っているのでしょう。

 

ゆるい上り坂が続く道を500mほど行き、聖隷横浜病院脇で道が2つに分かれるところ

右はさらに上る坂道が続きますが、左は逆に下りぎみ、先に東(あずま)隧道がみえます。


東隧道南側坑門付近

フランス積の焼過煉瓦を積みあげ、花崗岩を使った梁と柱の装飾は大原隧道とよく似ています。〈ところどころ補修跡か赤いレンガがはめ込まれているようですが〉

東隧道ははじめから公道を通すトンネルとして設計されていたため規模が大きく、水道と道路の併用トンネルとなっていて車も通ります。

中へ入り外側をふり返って

さきほどの道路分岐からはゆるく下ってトンネルに差し掛かります。トンネル内もゆるく下ってます。

奥方向

大原隧道よりも短く高さ幅も大きいので長さはさほど感じません。
内部は補強等補修はいろいろされていると思います。

車も通るトンネルとしてはやや小さめですが一方通行でもなく、歩道未整備のため各所に退避所があります。


北側坑門付近から外

切通しの道路、勾配はトンネル内より大きくなって下っていきます。

こちらは中を

北側坑門付近の装飾は南側とほぼ同じです。
右側には横浜市認定歴史的建造物、土木学会選奨土木遺産(横浜水道に関わる隧道ー東隧道)のプレートと解説文。

拡大

解説文は文字起こし

【隧道名】東隧道(あずまずいどう)
【構造形式】山岳トンネル
【諸元】延長 168.0m 幅員 5.3m
【竣工年】昭和5(1930)年
【土木学会選奨土木遺産認定年度】平成18(2006)年度
東隧道は、「紫褐色の焼き過ぎ煉瓦と白の花崗岩とで装飾されている古典的デザインの坑門は、風格と美しさを備え、地域のランドマークとして親しまれている。水道幹線路の隧道で、公道と兼用になっているのもめずらしい」という理由から、南区の大原隧道と共に土木学会選奨土木遺産に認定されました。
この隧道は、関東大震災で被害を受けた水道の復興工事のうち、磯子、岡村、蒔田、大岡方面の配水強化をはかるために、公道と併用して築造されました。
形は馬蹄形で、坑門の外観表面は梁と柱部に白色の花崗岩を使用し、その他の壁部に紫褐色の焼き過ぎ煉瓦を張ることにより、構造的に梁と柱を明確に表すなど、意匠にも細かな配慮がなされています。

 

北側へ出て坂道を下ると

つきあたりは東海道(国道1号)、その先はJR線の保土ヶ谷駅ホームです。
また右の急こう配の道は東隧道上の高台からの道です。たぶんトンネルができる前から行き来されてた道路ではないかと想像します。

 

保土ヶ谷(程ヶ谷)といえば旧東海道の宿場町ですが
右は宿場そばというお店

現東海道(国道1号)と旧東海道の道すじの間の通りにありました。

まずはここまで。