散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

23区の細道を行く 2回目 泉岳寺から目白 その前編

6月に1回目を歩いてから少し間が空き、8月になって2回目の「23区の細道」。天気の悪い日が続いてのお散歩ピンチヒッター。

この夏、確かに東京は天候不順で、天気予報を見ると毎日「雨が降る」という。けれども実際には優柔不断な空模様が多くて予報はあてにならず、見極めが難しいのだ。無理に出かけて雨に降られるのは嫌だし、出控えて雨が降らないのも悔しい。
天気が不安定でも、思いがけず雲のすき間に夏が見えたときにさっと出かけられる、わりと近場の散歩コースをいくつか設定して引出しに入れておくことを思いついて、今回引出しから取り出したのがこれ。

先日、雨雲が油断した瞬間を逃さずに歩いてきた。
散歩コースは以前勝手に設定した23区の細道ルール*1に則って決めた。(まあそんなものはどうでもいいっちゃいいのだが)
行く先ポイントはだいたい以下のとおり。

  1. 泉岳寺
  2. 仙台坂
  3. 松濤
  4. 神田川笹塚支流2か所
  5. 桃園川緑道
  6. 椎名町から目白あたりの川跡

後半は完全に川跡、暗渠の下見。前半も根拠薄弱で、名前は知ってるけど行ったことがないとかそんなの。インスタントに決めたコースというのはばればれ。

行程

この行程のうち、前編としてこのノートに書いたのは泉岳寺から松濤まで、上の地図では緑のピンから黄色のピンまでだ。

最初に設定したポイントが泉岳寺、なのでスタートは泉岳寺駅から。
泉岳寺駅

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ここから左側へ行くと100mくらいで泉岳寺の門前。最初の門(中門)から中へ入ると右側に大石内蔵助さんがいて、正面に山門がある。
以前この近辺で仕事をしていた時期があって、近くはしょっちゅう通っていたのだけど山門より奥へ入ったことがなかった。なのでここは行く先ポイント。

泉岳寺山門

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山門横から奥へ行くと本堂。

本堂

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正面の額には「獅子吼」の文字。自分のような無知にはその意味を想像できないのだけれど、その文字になぜか重低音の獅子の遠吠え、あるいは雷鳴のようにあたり一帯を揺るがす大音響で説教が受けられそうな気がしてしまう。なお、本日は遠慮させていただきたく。
さらに奥、というか横のほうには赤穂浪士墓地などもあるけど、本堂まで。

内蔵助さんの横から細い抜け道があったような記憶、そこへ入っていく。

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泉岳寺庫裏から隣りにある学校の校舎とグラウンドの間をすり抜けて、左に右に折れ曲がりながら大通りに出る。抜け道の格付けをしたら上級品だ。(個人の感想です)

広い通りに出ると目の前はかつての「高松宮邸」、現在は高輪皇族邸という名称で無人らしい。
邸宅の塀に沿って行き、坂を下ると魚籃坂下。

高松宮邸横から魚籃坂下へつながる道路

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魚籃坂下交差点で国道1号(桜田通り)を渡り、反対側の路地にまた入る。三田5丁目の町内を横断して麻布通りの三の橋交差点に出てくる。

三の橋交差点手前で

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上は首都高速2号線、目の前の橋は「三之橋」で下は古川(渋谷川)。

麻布通りを渡って反対側へ出ると地形は台地の下で、上へあがる道には”なんとか坂”と名前のついた坂道がたくさんある。この先「仙台坂」を上がるには麻布十番方向へ台地下をしばらく歩く。
南麻布1丁目付近から

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このあたりから、警備の警官の姿があちこちに。誰か近くにVIPでも住んでいるのかと思ったのだが。

仙台坂下の交差点で突き当り、左へ折れて坂をあがる。次の行く先ポイント、仙台坂。
仙台坂途中で

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坂道に見えないけど、左側の塀にある横線を見れば坂道であることがわかる。(一目瞭然という写真を撮るべきではある)
左の塀の向こうは韓国大使館。警官が多かったのはこれのせい、道端の三角コーンも全部「警視庁」。
警備範囲は結構広くて、長い坂の途中にも上にも、もちろん下にも。

仙台坂上交差点

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仙台坂の標柱を撮影したのだ!が、道路封鎖用バリケードオペレーター完備交差点だった。この件はこれ以上言わない。

ちなみに仙台坂の名前は、坂の南側に松平陸奥守(仙台藩伊達家)の下屋敷があったことに因む。
坂をあがれば台地の上、麻布台、次の交差点を左折して有栖川宮記念公園へ。

有栖川宮記念公園内、向こうは都立中央図書館

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公園内に立っていた解説から

有栖川宮記念公園の由来と特色
この地は江戸時代旧盛岡藩主南部美濃守の下屋敷でありましたが、明治29年(1896)有栖川宮御用地となり、更に大正2年(1913)高松宮御用地となりました。その後児童の自然教育および健康に格別の関心をもたれた高松宮殿下が昭和9年(1934)1月5日故有栖川宮威仁親王の御命日にちなんで御用地約11,000坪(36,325㎡)を公園地として賜与され、当時の東京市は直ちに工事を進め同年11月17日有栖川宮記念公園と命名し開園したものです。
本園は都心にまれな閑雅な地であり丘陵より渓谷を下り、池畔に至る地形の変化とうっそうとした樹木は日本古来の林泉式の修景により、高雅な自然趣味の庭園となっております。また梅やはなみずき、すいれん、などを初めとして四季おりおりの花も多く、秋にはカエデやモミジの紅葉も楽しむことができます。
なお園内丘上の広場には本園にゆかりの深い故有栖川宮熾仁親王銅像があり、またこの銅像の北東部一帯(都立中央図書館および港区麻布運動場等)31,235㎡が昭和48年(1973)4月1日本園に編入され本園の総面積は67,560㎡となりました。
東京都港区

(解説や案内の文章というのはいろいろ特長があって意外におもしろい。)

この公園は丘の斜面にあって、隣を通る道路は南部坂という名前。仙台藩の向こうは南部藩というのは今の日本地図的にもあってる。
南部坂

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道路左側の壁にたくさんの絵が飾られている。

飾られた絵の一部

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絵は「わたしのドイツ」というテーマに沿って小中学生が書いた絵画コンテストの入賞作。ドイツ大使が主催して、もう10年も続いているコンテストとのこと。
ということでこの壁はドイツ大使館のもの。さっきのどこかのように警官もいないし対照的。(おっと、これ以上つっこまない約束)

坂を下りるとナショナル麻布スーパーマーケット前を通って広尾、汗臭いの俺だけ、みたいなところへ来てしまう。

広尾交差点

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道を渡って向こう側の商店街へすすむ。

広尾散歩通り商店街を奥のほうへ行くと突き当りは
香林院(右の門)

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その少し手前を折れて聖心女子大学の裏門らしきところを通過し、明治通りの”1本裏の道”を通るのだけど結局明治通りと駒沢通りの渋谷橋交差点に出てしまう。

聖心女大学子裏口?への道路

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(右側はお寺の出入口。)

渋谷橋交差点陸橋上から恵比寿駅方向

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細道へ移動したいけど、このへん大きな道路が結構多く、路地に入ってもすぐに広い通りへ出てしまう。
庚申橋西交差点を渡り、山手線を越えて代官山方面へ歩く。

渋谷区恵比寿西2丁目付近から恵比寿方向

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以前東横線の踏切があったあたり

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ほんの少し行きすぎちゃっているけど、この場所に東横線渋谷1号踏切というのがあって、なんか有名だった。今は線路が地下にもぐってしまったので踏切はない。
横切る道路を左に行けばすぐに代官山駅。本日は直進。

猿楽町の交差点を通過して鶯谷町から鉢山町に。この辺て古くから使われていたような町名がたくさん残っている気がする。
鶯谷町と鉢山町境界上の道路

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正面はセルリアンタワー渋谷マークシティあたり。あのへんを突っ切るのは疲れそうなので今日はやめておく。
なので南平台を通って道玄坂上交差点へ出て、地下道で国道246を渡り、神泉、円山町へ。

そしてその向こう側は高級住宅地として有名な松濤(しょうとう)。端的に言って縁のない場所だけど一度くらい散歩してみるのもいいかなと、行く先ポイントに加えてみたところ。

鍋島松濤公園の池

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公園は江戸時代には紀州徳川家の下屋敷があり、それが1876(明治9)年に佐賀鍋島家に譲渡されて茶園となり、その後児童公園となっていまに至る。茶園となったときに「松濤園」と名付けたことが現在の松濤の由来になっている。
池の水は湧水なのだそうで、ではどこへ流れ下っているのかが個人的に気になってしまう。

そういえば松濤、街の写真がありませんでした。
この先は暗渠、川跡の下見と、方向性も変わってくるので、前編はここまで。

*1:23区の細道とは、都会の路地、細い道、一方通行、階段、公園の真ん中を突っ切るなど、車じゃ自由に通れない、そんなところばかりを歩いて行こうという企て。ここには行くというポイントをいくつか設定しておおまかなコースは決める、などのルールがある。