散歩の途中

散歩しながら観察して記録してちょっと調べて書くノート

23区の細道を行く 2回目 泉岳寺から目白 その後編

2回目の後編は、松濤から目白へ。
だいたい山手通りに沿って北へ歩いて行く感じになるが、基本的に狭い道を歩く。それと、今編は下見を兼ねて川跡、暗渠を行く先ポイントにして歩いているのでいろいろ湿気が多いかもしれない。

行程は前編と共通のものを再度掲載

黄色いピンから赤いピンまでが後編の行程。

前編はこちら。

渋谷区松濤から出発。
鍋島松濤公園の池

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この池の水が湧水であることを前回も書いた。どこへ流れ出しているのか気になったので調べてみると、水路自体は見えないが公園入口あたりから近くの消防署の前へ出て東側へ流れ、Bunkamuraの真下を横切って宇田川町35、センター街の通りで宇田川(暗渠)に合流しているらしい。*1

そういえば松濤公園は池を底とするすり鉢地形で、公園入口あたりも低い位置にあるのでそこから流れ出すのは道理だ、とあとから気づく。

水の流れとは逆に北側へ歩きだすと松濤の隣りは神山町富ヶ谷と続く。その境界あたりで小さな谷地形を見つけた。
富ヶ谷1丁目付近の谷

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右端と左向こう側が崖になっていて正面奥のほうへ谷になっている。後ろ側はすぐに山手通りで、谷を一部埋めて道路にしたようだ。たぶん昔はここにも湧水があってその水が削ってつくった地形。関係ないけど向こうの高い建物はNHK放送センター。

山手通りの西側へ渡って
富ヶ谷2丁目付近

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正面の坂を下りると上原(代々木上原)へ。

井の頭通り、小田急線に沿っては谷地形になっていて、これらを越えるとまた坂を上がって元代々木。さらに甲州街道本町1丁目交差点を目指すとその手前で玉川上水跡の緑道に出会う。

玉川上水緑道

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しんだいばし(新台橋)とあって、ここにあった橋のモニュメントを車止めにしている。下を流れていたのは当然、玉川上水

目の前の甲州街道を渡って北側、本町1丁目へ入り少し歩くと
階段とトンネル(本村隧道:ほんむらずいどう)

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階段の上は現在は水道道路(都道431号)という一般道だが、かつては玉川上水新水路と呼ばれ、玉川上水和田堀水衛所(現:和泉給水所)から淀橋浄水場へ水をひくための水路だった。建設は1898(明治31)年で昭和初期までは使われていたようだ。水路は浄水場まで高低差のあるところに土手を設けて一直線に通したため、こんな風景が出来上がっている。

この場所は元の水路が土手になっているので土地が低い場所である。そこから横を見ると細く、蛇行した路地がある。
ここが行く先ポイントのひとつ、神田川笹塚支流(1)。

本村隧道のあったところから路地を少し東側へ入ったところで

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もう少し東側

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さらに東側

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路地は最後の写真の先で階段となり、その先新国立劇場の北側、テニスコートとの間にある遊歩道となる。
予備知識なしでここを歩いた時、流れは東に向かって(隧道から新国立劇場方向へ)いると思っていた。実は現在のオペラシティ、新国立劇場付近にかつて出雲松江藩松平出羽守の屋敷があり、そこの湧水池(出羽様池)から水が流れ出ていたそうで、西向きに流れていたのだ。先ほどの隧道のあたりを流れ下り、和泉川(神田川笹塚支流)に合流して神田川へと注いでいたとのこと。この周辺にはまだほかにも小さな川跡がいくつか残っていることも後で知った。

いったんこの小さな流れの跡から離れ、水道道路、本町の不動通り商店街などを越えて北へとすすむ。方南通り(都道14号)に近づくときれいに整備された歩道が現れる。

神田川笹塚支流(和泉川)上の遊歩道

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ここを流れていた川にははっきりした名称がなかったそうだ。Wikipediaでは「神田川笹塚支流」の項目、中野区の古い資料に「和泉川」の呼称があるのでそれに沿って記述する。
神田川笹塚支流(和泉川)は杉並区和泉付近に源流があって、現在の甲州街道付近にあったいくつかの湧水を集めて東へ流れ、新宿区西新宿5丁目で神田川に合流している。現在はすべて暗渠で下水道幹線として使用されている。先ほど新国立劇場付近の川跡の流れもこの川の支流のひとつで、上流から下流側へ下りてきたことになる。
写真の場所には「二軒屋橋」と刻まれた石柱が立っていて、橋跡だ。

ここから下流方向へ行くと、すぐに山手通りと方南通りの清水橋交差点に出る。
清水橋交差点

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ここにも橋と川のモニュメントがある。正面を横切っているのが山手通り。暗渠上の歩道は通り向こう側右端のビルの左側にあるすき間(自転車置き場になっていた)を通り、地下鉄西新宿五丁目駅の真上を横断していく。

駅を越えた先も歩道が続き、昔の橋の欄干などが一部残されていたりする。

歩道(暗渠)上からみた榎橋跡

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道路上から柳橋

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前方で神田川に合流

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相生橋から神田川下流方向

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この後、淀橋脇で青梅街道を渡り、また少し北へすすむと大久保通り手前で次のポイント、桃園川緑道に出会う。
桃園川も神田川の支流のひとつで、源流は杉並区天沼、天沼弁天池の湧水、中野区中央1丁目の大久保通り脇で神田川に合流している。現在の川はすべて暗渠で下水道幹線となっている。

桃園川緑道1

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桃園川緑道は神田川合流地点から上流側は少なくとも阿佐ヶ谷けやき公園まで続いているようだ。(Googleマップでの確認)
今回は山手通り交差点までのほんの数百メートルだけ歩いてみた。

山手通り先の緑道へは行かず、また北へ向かって歩く。

中野氷川神社の鳥居

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JR東中野駅、地下鉄落合駅付近を通過して山手通り近くの細道を進んでいく。

新宿区上落合2丁目付近

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少し先へ行くと西武新宿線線路を越えて、妙正寺川に出る。

妙正寺川昭和橋

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何か特徴のある橋というわけじゃないけど、この橋の写真は以前妙正寺川に沿って歩いたときのノートにも出していた。

今回はこの橋を渡って、さらに北側を通る新目白通りも渡る。
新目白通りの北側は段丘になっていて、落合崖線と呼ばれる崖の線が続く。そこへ上がるのに通った坂道には霞坂という名前がついていた。

霞坂

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急な上り坂だけれど、今日歩く予定のところではこれが最後のはず。

目白通りを越えれば豊島区目白。西武池袋線の線路近くまでくると歩道の広い通りが1本続いているところへ出る。このへんが次のポイント。

全体の道路幅に比べて広い歩道

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ここも昔、川が流れていた跡らしい。周囲はいたって平坦で、水が流れていた場所、低い土地というかんじがまったくない。写真後方、上流側は西武池袋線椎名町駅などがある場所だ。

しばらく下流方向へ歩いて行くと唐突に線路で行き止まりになる。
西武池袋線線路で分断される道路

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線路の向こう側には歩道が整備されているのが分かった。たしかにここはかつて川があった場所だ。その川は下流に向かってJR板橋駅大塚駅小石川植物園前、東京ドーム下などを通過して神田川へ注いでいたが、現在は全区間暗渠。そのだいぶ上流のほうを少し歩いたということになる。

ここから目白駅へ向かった。その途中にもう1か所、地図上で川跡または暗渠かと思えるところがあったが、あいにく周辺の工事が行われていてはっきり確認することができなかった。

駅へ向かう途中で
徳川黎明会の本部建物

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徳川黎明会についてはWikipediaでは「尾張徳川家伝来の美術品・文献資料等の収集・保管や一般公開を行い、美術や史学の研究に資することを目的とし、徳川美術館徳川林政史研究所とを運営している。」
内部の一般公開はしていないと建物前に明記されていて、これ以上の深入りはしないことにした。

ほどなく山手線目白駅

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本日はここまで。

*1:暗渠情報など調べるとすぐにヒットしてしまうのはうれしいような悲しいような。