散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

新田間川と幸川を歩く(横浜西区)

「あらたまがわ」と「さいわいがわ」をあるくです。
横浜市旭区、保土ヶ谷区などを流れ下る帷子川(かたびらがわ)は西区に入ると石崎川、続いて新田間川を分流します。そして下流で再び合流し横浜港へ流れ込みます。

今回は帷子川の派川となる新田間川をたどりました。
この川は途中直角に折れる箇所があり、そこから下流帷子川との再合流点までは幸川と名前が変わります。
川の延長は新田間川1.41km、幸川0.3kmとなっています。

 

下流から上流へたどったので最初は幸川、帷子川との再合流点付近から。そこは横浜駅西口のすぐ近くです。
再合流点付近から帷子川上流方向

左は相鉄線電車が横浜駅に進入してくるところ、前方のアーチ橋は平沼橋、上は左駅上ビルの荷物搬入、駐車場連絡通路などになってます。

角度を変えると

帷子川は電車が載ってる橋梁の下を通って流れていきます。〈海も近いのではっきりした流れは確認できませんが〉
左の橋を通ってくるのが幸川、その末端です。

 

幸川上流側


次は手前を渡る青い「幸橋」から
合流点方向


上流方向

次の赤い橋は「南幸橋」でその先の「幸川橋」と現在は一体化してます。

 

南幸橋の下には鯉がたくさんた集まってました〈橋から餌を投げる人がいるのかな〉


幸川橋の端から

先に見える「内海橋」からこちら側が幸川、その先は左に直角に折れて新田間川となります。
左の建物は横浜ビブレ

 

内海橋上からふり返り

幸川はここまでです。

 

内海橋の反対側から新田間川

流れの方向としては奥からこちらへ

そしてそのあと突き当たる

流れの方向が直角に折れるところ、右へ幸川となります。
昔は新田間川の流れがそのまま直進していましたが、横浜駅西口の開発に伴って1953(昭和28)年に埋立てられました。

 

現在の新田間川末端から上流方向


150mほど先に「一之橋」その上から下流方向

先が行き止まって、漕艇場のようにもみえます。

ミラー壁?の横浜高島屋建物やSマークのあるシェラトンタワーの向こう側がバスターミナルなどのある駅前広場です。

 

こちらは一之橋から上流方向

新田間川ともうひとつの分流石崎川は江戸時代にこの一帯の新田開発が行われたときに整備された用水路でした。
新田開発以降も現在の横浜駅西側一帯は内海が広がって新田間川の河口は当初このあたりにあったそうです。〈最初は帷子川に再合流していませんでした〉

その後内海の埋立が進み、新田間川も先へ伸びる形になりました。〈それからまた新田間川の下流も埋立てられることになるのですが〉

 

少しさかのぼってからふり返り


次の橋は「新田間橋」

初代の新田間橋はこの川で一番古い橋で1859(安政6)年、横浜開港時の港と東海道の道筋を結ぶ道が建設されたときにつくられました。新田の間(岡野新田と芝生新田)に架けられたことから新田間橋となりました。〈「あらたま」という読みはどこから来たのでしょうか?〉
両側に小さなアーチ橋台を持つ現在の橋(2代目)は1927(昭和2)年に架けられた関東大震災の復興橋です。

右側アーチ橋台の手前、川にちょっと突き出たコンクリートの構造物があります。
これはここから『派新田間川(はあらたまがわ)』が分流していた跡です。〈新田間川の派川ということでこんな名称〉

 

右の方をみると

現在は埋立てられて川跡は遊歩道になってます。

入江の埋立により新田間川の外を大まわりする形で開かれた川(水路)で1980年代まで残っていましたが、1997年に完成した帷子川分水路(地下トンネルを通る放水路)と接続するために下流部と切り離され上流側は埋立てられました。
下流部水路は開渠のまま残っていて現在帷子川分水路出口からの水を受けて帷子川本流に河口近くで合流しています。そちら川の真上には首都高三ツ沢線が通ってます。

 

新田間橋から下流方向

「あらたまがわ」の標識付近から後ろへかつて派新田間川

 

上流側からふり返って

こちら側は水管橋が脇を通ってます。

 

続いてすぐに「岡野橋」


橋の先から下流方向

対岸、古い石積みの護岸が良いです。

次の浅岡橋付近からも


こちらはその次、霜下橋から
下流方向


上流方向


そのまた上流藤江橋から霜下橋方面


藤江橋、上手から

真っ赤な欄干が鮮やかでした。手前は通信ケーブル?を搭載した橋。

 

橋上からは帷子川分流点にかかる烏帽子田橋が間近


近づいて


分流点と帷子川上流方向

黒いパイプが2本、ガス管のようです。

帷子川下流方向

帷子川はほぼまっすぐ、新田間川は逆『フ』の字型に流れて途中幸川と名前が変わり再び横浜駅近くで帷子川に合流です。

新田間川、幸川ここまでです。

 

帷子川を少しさかのぼったところ、新田間川同様江戸時代の新田開発で造られた水路、石崎川の分流点を最後に

尾張屋橋上から見た石崎川分流点

右へ石崎川、先の鉄道線路を潜ったところで方向を変えて帷子川に並行して南側を流れ、高島町付近でまた方向を変えて横浜駅南側で帷子川に再合流しています。

 

過去に帷子川を歩いた記録

miwa3k.hatenablog.jp