前回ノートで蓼川(たてかわ)を記しました。その中にほんのちょっとだけ登場しましたが、支流、神奈川県綾瀬市を流れる比留川(ひるかわ)を今回は歩きます。
小さな川ですし、地味といえば地味です。
でも今回は相模野台地を流れる川として比留川は別格の古さを持っていることを発見しました。実際に歩いていて、あれっと思ったことが些細な発見につながりました。
そのあたりは後半部分にまとめました。地形的にちょっとマニアックになるところもありますが、お付き合いください。
地図は比留川の流路と、撮影した写真の番号で表しました。
<比留川>
いつもの川の歩き方と同じく、下流側、合流点から上流へ向かってさかのぼりながら歩いて行きます。
比留川は蓼川の支流となります。
両河川の合流地点から (1)
蓼川のノートにも使用したものです。前回は右へ進みましたが、今回は左側の流れをさかのぼります。
右へ行きたい方はこちらからどうぞ。
合流地点近くの比留川 (2)
蓼川よりも水量が少ないように見えます。
もう少し行ったところ (3)
柵の外側に流れがあり、向こう側が上流方向、右岸側は段丘が続きます。
右側畑の中央には別にもう1本、用水路が並行して流れていて耕作地に水を供給しています。
東海道新幹線交差付近 (4)
草が繁って川の流れが見えませんね。
先で流れが2つに分かれていますが別河川の合流ではありません。
後から調べて知ったのですが、新幹線の開通後、周辺の都市化が進んだことで降雨時に川へ水が一気に流れ込むようになり、最初につくった流路だけでは対応ができなくなったため、新幹線の線路下に2つめの穴をあけてそちらからも水が流せるようにしたのだそうです。
線路下の盛り土がダムのように水をせき止めてしまうのを防ぐ対策です。
新幹線線路の上流側から下流方向を見て (5)
その上流側には大きな遊水地が建設されていました。
遊水地の下流側から (6)
ここは大雨時など、川へ流れ込んだ大量の水を一時的に引き込み、下流側で氾濫、洪水が起きないようにするための場所です。水量が一定以上になると越流提から川の水が遊水池側へ流れ込みます。
前方にはその越流提も見え、すでに完成しているようです。この規模の河川にしては大きな遊水地(調節池)かと思われます。これより上流側にも複数の遊水地が造られています。いったん雨が降ると半端なく水量が増える特性があるのでしょう。
遊水地の堤の上は歩道になっていました。(7)
もう少し上流へ進みます。
対岸は”取内の森”というところです。
綾瀬市落合北6丁目付近 (8)
この先は住宅地、市街地に入っていきます。
商業施設の間を流れる比留川 (9)
この付近は大規模に土地の改修を行ったようです。川の近くには水害対策用の遊水地がいくつも造られ、造成した土地に商業施設や公園、住宅を建設し、新しい街ができています。
Googleマップで見ると上の写真、川の左は綾瀬タウンヒルズSC、連絡橋でつながる右側はビバホーム綾瀬店。綾瀬市役所も近くにあるようです。
そのまた上流の川の中 (10)
花と緑で箱庭のようになっているように見えたのですが、そうでもないですかね。
左側見切れてしまいましたが、「子育て観音」とありました。
子育て観音付近の歩道 (11)
階段手前には古い庚申塔と道祖神?(表面剥落して不明)
奥の林は公園になっているようです。
そこから数百メートル行くと、西側の暗渠から細い流れが合流して、それより上流側は比留川の流れも細くなります。
寺尾小学校西側、流れが細くなった比留川 (12)
護岸もブロックから鋼矢板に、上部はコンクリートの梁を渡したものに変わりました。
川幅の半分だけを覆って上を歩道にしている (13)
歩道整備の苦肉の策といったところでしょうか、上流部のあちこちで目にしました。でもなぜに半分だけ?
上の写真から100mほどで川の流れは折れ、団地と一般住宅の間に入って行きます。
ここが流れの見える(開渠の)いちばん上流側 (14)
この数十メートル先から暗渠になっていますが、断続的に痕跡がたどれます。
暗渠のはじまり付近 (15)
下流方向を見ています。立ち木と右のブロックが並ぶ間が流路跡、向こうわずかに見える黒いフェンスの先から流れが顔を見せています。
背後、上流方向へ (16)
住宅地、細い道路の下に流れがあるようですが、痕跡がない場所もあって源流部分までたどるのに手間取りました。
うろうろしながらあたりをつけて進むと突然、
駐車場と公園?の間に蓋をかけた水路 (17)
ふたの上を通って行けたのでたどって (18)
こんなところへ (19)
前方、住宅の間に細い谷間ができてまだ先がありそうです。
ここの手前には柵があって入り込めないので追えないかなと思いましたが、反対側から回り込むことができました。
ここが最後、源頭部 (20)
水は朽ちたコンクリート蓋の下にわずかにあります。
周囲には住宅もありますが、ここは正面と左右が凹んだ窪地の底です。正面の木があるところが崖で、谷戸の一番奥にあたり、そこからの湧水が川の源になっていることがわかりました。
綾瀬市寺尾北2-13という場所になります。
源流まで到達しました。この奥は私有地っぽかったので入っていけず、”最初の一滴”は確認できませんでした。
比留川の流れを追いかけるのはここまでです。
ここから、今回ふと気づいたことをまとめます。
台地などから流れ出す川の源流部はすり鉢の底のような地形になっていることが多く、比留川の源流もその例に漏れません。
源流まで歩くと谷戸の底から台地上の平坦な場所まで坂を上がって行くことになりますが、今回比留川源流から坂を上がり切ると、そこは平坦ではなくその先に下り坂がありました。
なんで?、普通じゃないよと疑問を感じたのはこの時でした。
比留川源流部の谷底から上がってくる坂道 (21)
前方下が谷底、向こうの森は反対側の斜面にあたります。
この背後、坂を上がり切った向こう側は
下り坂になる (22)
この坂を下りた先はずっと平坦な面が広がっています。
どうなってるんだろうと思い、帰ってからいろいろ調べてみました。
その結果、次のようなことがわかりました。難しいことは私にもわかりませんので極力省いてすごいラフにまとめちゃってますが。
比留川と蓼川の源流付近の地形、起伏を強調した図を下に示します。
(地理院地図、はじめて使ってみたのですが、ちゃんと表示されてるでしょうか?)
大雑把には図中の緑と青の部分、左(西側)が比留川、右(東)が蓼川の流路流域を表しています。
オレンジ色は相模野台地(または相模原台地)の平坦面、灰色は谷や山などの傾斜部になると思ってください。
(右上から左下に延びるラインは東名高速道路)
ふつう相模野台地から流れ出る川がつくる地形は右、蓼川のように細く谷を刻んでいるのが典型ですが、左の比留川はそうではなく、東西に幅の広い傾斜地を持っています。流路近くは谷を刻んでいるものの、その東西には台地平坦面より高い場所(山)があります。比留川は台地平坦面より高い山に包まれて流れ下っています。
この「山」の存在が比留川谷底から坂を上がって、次は下ることを示しています。
この地域の台地の成り立ちを調べてみると、比留川を包んでいる土地の高まり、丘陵ですが、これは座間丘陵と呼ばれるものでした。
Wikipedia:相模野台地などを参考にすると
座間丘陵は相模野台地が形成されるより古い時代の相模川の堆積作用によって作られた扇状地性の平坦面でしたが、現在では開析が進み平坦面の少ない丘陵地形となっています。
相模野台地よりも高度が高いので、平坦面に埋もれずに頭を出しているところがあり、これが比留川東西の土地の高まりになっています。
比留川源流域の座間丘陵が形成されたのが16~20万年前と考えられ、その後のあれこれは飛ばして、再び相模川の堆積作用によって相模野台地の平坦面が形成されてきたのが5万年前より、ということです。
蓼川含め、相模野台地の平坦面を川が浸食をはじめるのは少なくとも5万年よりは新しいので、刻まれる谷はまだ細いということになります。
そして比留川については周囲の地形から座間丘陵に源を発していることがわかります。相模野台地形成以前からある丘陵を開析していることは、形成以後に流れがはじまった他の河川に比べて10万年以上は古い川で、それが現在も存在し続けていることになります。
些細な発見でした。
最後に座間丘陵東側から比留川の谷へ下りる坂道です。
前の写真とは違う場所から (23)
前方は谷底を通って丘陵西側、向こうには大山、大山の左にごくわずかに富士山、その雪が写っているのが分かるでしょうか。