散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

鳩川を歩く 2/2 鳩川分水路から源流へ

相模原市内の鳩川をさかのぼり中。

前回その1最後は、鳩川分水路まで来ていた(再掲)

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川幅の広い鳩川の水はここですべて段丘崖下を流れる相模川に放流されてしまうことがわかった。

鳩川分水路より下流の、小川のように変わってしまった鳩川の水(再掲)

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この水はいったいどこから来ているのか、というところから続けることにする。

これも前回の再掲だが、鳩川分水路に道保川、雨水下水路が合流していた

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階段を下りてくるようにみえる道保川の向こうに道路を渡るトンネルのようなものがちらりと見えるが、その道路上(泉橋)から道保川上流方向をみると

泉橋から道保川上流方向

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分かりにくいが、右側に水色に塗られた装置が川底の堰の高さを調節する巻上機、その左下、欄干の向こうに白っぽい部分がみえるのは取水口のゲートである。
ここ、川の水面には高さ調節可能な堰があり、そこから道保川の水を一部、取水口に導いている。

そちらに分けられた水は、もうお分かりのとおり、鳩川の分水路より下流側、道保川緑地で見た流れとなってその先の鳩川を形成している。

つまり、現在の鳩川はここで完全に分断されていて、これより上流からくる水はすべて相模川へ放流され、下流へは道保川の水が供給されて流れている。

このように鳩川の水がここですべて相模川へ放流される形態になったのは1980年代後半のことで、それ以前は、鳩川と道保川の合流はあったものの、そのまま台地上を鳩川として流れていた。(水の一部は旧鳩川放水路から相模川へ分水されてはいた。)下流の流路はここまでたどってきたものに大体等しい。

ここから、途中で相模川へ放流されてしまう上流の鳩川をさかのぼっていく。

鳩川・足あと
ここでは前回その1と同じ地図を使用

鳩川・道保川合流付近から鳩川上流方向

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鳩川、道保川、雨水下水路合流点付近、先ほどの写真から少し位置をずらして撮ったもの。
この付近の鳩川は分水路工事でかなり川幅を広く、川底まで深く掘り下げる改修はされている。

道保川合流から200mほど上流の鳩川

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石がたくさんころがっていたのは少し意外だった。

その先下溝八幡宮付近の河床

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自然の岩盤のようだ。この絵だけだと山の中を流れる川に見える。

姥川(うばがわ)合流

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左が鳩川、右が姥川、どちらも同じくらいの大きさ、水量は姥川がやや多い印象。
2つの川はこの上流でもつかず離れずで流れていて、大昔は1本の川だったとしても不思議でない。
左側、下庭橋が架かっている方の川をさかのぼる。

下庭橋上から上流方向

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姥川から分かれて鳩川の水量は少なくなったのが分かる。
この先は基本的にずっとこんな風景が続く。

相模原市南区当麻、下溝境界を流れる

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通常時の川幅に比べてかなり余裕をもって広く、深くとっていて、さらに向こう側には調整池が設けてある。
鳩川とは無関係だが、左端に写っている塔は「相模原調圧水槽」という名称で、下を通る送水管の水圧調整、緩衝用に設けられた施設、高さは約50mあるらしい。

少し途中を端折り、相模原市南区から中央区に入って
中央区上溝付近、八幡橋から下流方向を向いて

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区が変わっても川の表情にさほどの変化はなく、ちょっと退屈。川沿いに常に歩道があるわけでもなく、あっても草だらけで歩けなかったり、橋の架かっているところへ出て流れを確認することを繰り返す。

ここも中央区上溝、諏訪谷戸橋付近

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川の手前、一応踏み跡があって、歩道がある(あった)らしいが…人間用じゃない?

もう少し行くと、県道46号(相模原茅ヶ崎線)ちとせ橋交差点近くで
細い橋

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すぐ横、県道ちとせ橋にも歩道があるが、ここにも橋がある。
”ちとせ橋人道橋”という名前があるらしく、元は県道の橋に歩道がなかったのかもしれない。

中央区上溝3丁目付近、上流方向を向いて

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上溝高校近くの流れ。
鳩川をたどった1日目はこのもう少し先、久保橋付近で離脱した。

この先は日を改め、歩きなおした2日目の記録から。

鳩川・足あと
2日目足あとは、先に姥川を歩いてから鳩川1日目離脱点へ戻り、源流へさかのぼって歩いている。

姥川から鳩川へ戻って来て、
久保橋(相模原市中央区上溝2丁目)から上流方向

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川沿いを歩ける場所はあまりなく、おもに橋の上から様子を観察する。

山谷橋から上溝川辺公園(左)

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少し先で国道129号とクロスし、その上流側も同じように淡々と流れている。

相模原市中央区の境界を越え、緑区に入ったあたり。
四ツ谷さくら橋から上流側

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手前下、護岸が横に広がってここから川幅が拡張されている。
上流側は上面に梁を密に渡した、いわゆる「はしご式」になっていて、これがずっと源流近くまで続く。そして大雨時などにあふれた水の調節池となる大きな窪地が続いている。

調節池を上流側から

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いつ頃造られたものかはわからないが、大規模な調節池。
それにしても今の季節は草だらけで周囲の様子がわからない。

九沢橋から下流

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調節池から横に梁を渡した”はしご式”の川になっていたが、このあたりだけは普通の川だ。
渡っている九沢橋は県道63号が通っているが、かつては八王子方面から来る大山道のひとつで、橋の近くには「大山道」と刻まれた石標が立っている。そのほかにも道祖神庚申塔などがあちこちに残っていて、古道だったことがわかる。

大沢団地付近の鳩川

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水は向こう側、多くの梁で補強された水路の中を通っている。手前は洪水用の調節池になっているようだ。

その上流も同じように続く(緑区下九沢、上九沢境界)

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そして県道508号内出交差点付近。
内出橋から、ここが開渠で流れの見える鳩川のいちばん上流

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これより上流側は川の上に蓋がかけられ、暗渠になる。

暗渠になった鳩川~2枚

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この暗渠も4~500mほど、県道508号の上九沢団地北側交差点付近で終わる。

その地点に石碑が立っている。
籏川(鳩川)の石碑

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側面には

この鳩川は、江戸から明治時代ころにかけて籏川(はたがわ)とも呼ばれていました。さらに下流では、「ながとろ」「一の沢」「谷つ川」などの呼び名もありました。

ここが鳩川の源と定義されている地点。
目の前のバス停名は上九沢団地、その横は県営大島団地である。

バス停付近から見た源流地点

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正面歩道向こうに川の端のフェンスと碑が少し見える。

源流まで到達した。

 

でも、いつもの癖で、ここより先に痕跡はないかとしつこく辿ってみると(ということでここからは半ばおまけ)

県道508号に出たところに雨水を流す側溝がある。この側溝、上九沢団地北側交差点より先(下流)で消えてしまうことがわかった。
側溝は鳩川のさらに上流側から流れてくる水で、ここから碑の立つ地点の暗渠へつながっている可能性がある。

側溝を上流方向にたどって行くと、ずっと続いている。

あまり確信が持てなかったので先の方までは追いかけなかったが、
相模原市城山町の境界まで行って

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この先、旧城山町川尻に入っても側溝が続いている。

後日調査してみると同じことを調べている人がいて、国会図書館レファレンス協同データベースから結果が出てきた。

相模原市上九沢付近から上流の川筋を辿ることができる。途中で上流に向かって分岐しており、一方は川尻の農協の南側、もう一方は東原宿の交差点の信号近くまであることがわかった。

JA津久井川尻、東原宿交差点ともに国道413号沿いにある地点で、追跡を断念したところからさらに1㎞以上先が源源流らしい。
その付近は相模原台地、段丘の最上位面と次段の境界あたりで、段差が確認できる。そこからの湧水が元々の鳩川のはじまりかもしれない。