東京日の出町からあきる野市へ流れ多摩川に合流する平井川を多摩川からさかのぼって歩いている途中です。
現在位置は日の出町平井、町役場などもあるところ。(平井という地域はかなり広いですが)
町のメインストリート永田橋通り(都道184号)鹿の湯橋から 〈前回再掲〉
橋上から平井川上流方向
この先、川は町民グラウンドの周囲を巡りそこは遊歩道も整備されているようですが、重機がはいっているのが見えたので通り抜けられるのか判断できず迂回しました。
グラウンドの先、町役場の後ろのほうへ出てくると
歩道橋の「本中橋」
渡ったときに斜張橋と思ったけど、いわゆる主塔の下になにもないですね
さらに200mほどで永田橋通り・西平井橋
西平井橋から川上へ200mほど
またさらに200mほどで次の「玉の内橋」
橋上から下流方向を見て
左は玉石を使った護岸、やや古いものですがあちこちでよく目にします。
玉の内橋上流側
草むらになって分かりにくいですが、右奥から手前に支流の「玉の内川」が流れ込み、平井川に合流しています。
河川起点の標識も見えましたが私有地ぽく、接近は断念しました。
代わりに玉の内川最下流の橋から
橋の寸前、急角度で水が落とされてました。〈橋桁より向こう側の河床のほうが高かったりして〉
落とされた水は背後に100mくらい流れて平井川に合流です。
こちらは平井川・落合橋
上流側から見てます。玉の内橋から川上に200mほど
落合橋から500mほどで次の諏訪下橋、その手前で支流の北大久野川が合流します。
合流点には接近できてませんが、300mくらい上流に架かる橋上から草だらけの北大久野川を見ました
平井川は諏訪下橋の先わずかな区間ですが渓流のよう、でしょうか?
林になっている崖の下を流れてます。
こちら道路側からは光線の具合がよろしくなかったようで..
ここで少し川から離れて寄り道
秋川街道と永田橋通りが一体になっている通り『かやくぼ』交差点近く(日の出町大久野)
こちらは通りすがりにたまたま見かけた物件
古い洋館風建物のカフェとログハウス風郵便局が隣りあってます
カフェの名前は「星宿」、ログハウスは大久野郵便局舎。
かつてはカフェの建物が大久野郵便局の局舎(昭和10年開局)だったそうです。現在カフェは金曜のみ営業とのことでこのときはカーテンが閉ざされてました。
〈個人的には似た雰囲気をもつ八王子上恩方郵便局舎を思い出しました〉
一方『かやくぼ』から南へ直線で2~300mのところ、羽生(はぶ)という集落に古い建物がいくつか残っています。
羽生家住宅前の大門と3階建ての蔵
住宅前の道路
屋敷脇の通用⁇門と別の蔵
こちらの羽生家は名主をつとめた本家であり、屋敷内には6棟の蔵があるそうです。
東側隣家の長屋門
西側隣家薬医門
門の左右にのびる立派な板塀が屋敷の広い敷地をぐるりと取り囲んで壮観でした。
内部を見ることはできませんがどの屋敷も威厳を感じさせます。
平井川に戻ります。
大久野郵便局などから西へ200mほど、秋川街道に架かる堀口橋から
寄り道している間に水がなくなっちゃいましたね..
堀口橋をふり返って
次の「御新造橋(ごしんぞうばし)」からも
実はこのあたりの瀬切れはよく見かけます。水は地下を伏流していることが多いようです。
200mほど上流の向殿橋からは流れが見えます
向殿橋も古い橋です
こちらはその次、御殿橋付近から河原の様子
この周辺は石灰岩が豊富に存在しこの先の山では採掘も行われています。河岸左の白っぽくみえる岩もおそらく石灰岩ではないかなと思ってます。
そこから300mくらいさかのぼると岩井橋があります。
岩井橋交差点から
左側に見えるのが岩井橋、太平洋セメント工場への連絡通路となってます。
石灰岩はセメントの原料ですね。
隣りには歩行者用の橋
どちらを渡っても先は工場の入口で一般の人は勝手にはいれません。
ちょっとだけ奥を垣間見て
右に守衛所、奥へ進む道の左側にはかつて国鉄五日市線岩井支線の武蔵岩井駅がありました。ちょうど駐車場で車が並んでいるあたりにホームがあったそうで、今も「ここに武蔵岩井駅がありました」の解説看板があります。(セメント輸送が主力の路線でした)
橋の上から平井川上流方向
左の方は広く工場の敷地が広がって建物もたくさんありますが隠れてしまってます。
川はこれより上流、しだいに山深いところへ入っていきます。
今回の平井川歩きはここまででひと区切り。
川沿いの道は源流近くまでわりとしっかりしていることを確認済なので、そのうち気が向けば先を歩くつもりです。
平井川その1