初夏の東京、このところご無沙汰していた地域をパトロールしてまいりました。
歩いた足跡、撮った写真、特に深い意味はなく、備忘の記録です。
最初は北沢川緑道(世田谷区三宿2丁目)
目黒川支流の北沢川暗渠、遊歩道に残る橋跡。
近くにはやはり暗渠の烏山川遊歩道もありますが、烏山川はずっとあとの方で。
こちらも谷底に川跡(世田谷区代沢1丁目)
V字のいわゆるスリバチ地形になって谷底には水が流れていた跡、北沢川の支流がありました。
井の頭線池ノ上駅
踏切から。〈「撮り鉄してみました」なんて書いたら、しっかり路面には「立ち止まり禁止」の文字がありました💦 立ち止まらずに...〉
北沢川と先ほどの支流の合流点あたりにはかつて池があって、上流側が池ノ上、下流側が池尻だそう。そういえば歩き始めたのは池尻から。
渋谷区にはいって上原3丁目の坂の上から
東京ジャーミィを望む
また川跡か暗渠の上を歩いております(渋谷区元代々木町)
ここは宇田川の上流部。下っていくと渋谷の井の頭通り、西武渋谷A,B館の間を(暗渠で)流れ、山手線を潜って渋谷川に合流する宇田川です。
代々木八幡前の山手通りまでお付き合いして初台方面へ方向転換。
元代々木のここはベトナム大使館
初台1丁目、2丁目界隈はなぜかGoogleのストリートビュー画像過疎地帯。
なんで? 通りすがりに理由を探ろうとしたって分かるわけないのですが。
何かすごい急坂があったので1枚(渋谷区初台2丁目)
初台かいわいの路地を徘徊しているうちに玉川上水跡の緑道へ。
甲州街道を渡る歩道橋から
やたら光の強い日で日焼け止めは無力化されました。
水道道路のトンネルをくぐります(渋谷区本町1丁目)
トンネル上も道路ですが、明治25年に新宿淀橋浄水場の建設により玉川上水の水を引き入れるための水路として造られたものです。
こちらは橋跡、神田川の支流が流れてここに「地蔵橋」がありました(渋谷区本町4丁目)
川跡は歩道となり、橋の親柱がひとつだけ残ってます。
中野区に入りました。
方南通り・弥生町三丁目バス停と信号
弥生町については「中野区弥生町で出土した土器が『弥生時代』の由来」と語ったトンデモ本が家にあって、子供の頃それを読んだ私はあたまから信じてしまったことがありました。〈たいそう古い本だった記憶はありますが一般向けの解説書でした〉
神田川を渡ります
壽橋上
川跡の細い路地をたどっているところ
杉並区和田1丁目あたり
環七通りに近づいて味わい深い道となり
環七まで付き合いました。案外長い暗渠道で、歩いた前後にも続いており、小沢川という神田川の支流が流れていた跡でした。
妙法寺の前を通りかかったのでお参りしました
そしてまた水辺へ。
済美公園(杉並区堀ノ内1丁目)
流れているのは善福寺川。
すぐ隣りは和田堀公園
再び井の頭線踏切から
浜田山と高井戸駅の間。両側に見事な紫陽花。
環八通りを渡って西に進み
高井戸公園へ
公園ぬけて南下すると玉川上水にぶつかります。
玉川上水緑道
岩崎橋付近(杉並区久我山2丁目)
柵の向こうに水が流れてます。この付近玉川上水の両側に東八道路(人見街道?)の建設工事が続いてましたが最近完成したようです。
立派な解説板も立てられました
玉川上水を越えると杉並区をぬけて世田谷区へ。
烏山の寺町に入って
こちらは高源院の境内にある鴨池
この池の水は烏山川の源流といわれます。川は世田谷区内を下って池尻で北沢川と合流して目黒川と名前を変えます。流れは現在ほぼ暗渠。
池のほとりのあじさい
烏山の隣りは三鷹市、23区をぬけます。
ここは中川遊歩道の入口
三鷹市内では中川、世田谷区に入ると水無川と呼ばれる流れがありました。烏山川の支流、現在は埋められて上が遊歩道になってその途中の入口です。
〈結局なんだかんだ川や川跡が結構多い構成になっちゃってますね〉
中央自動車道に近づき(三鷹市北野3丁目)
外環道と中央道とのジャンクション兼インターの建設工事現場がこちら。外環道をここに通し、向こうに見える中央道と接続しICも設けようというのでこんな広い土地が必要なんですね。外環道はだいぶ工事難航してるみたいですがいつになったらできるのでしょうか。
中央道を潜ったらまたまた川辺に出ました。
仙川(調布市緑ヶ丘1丁目)
川を渡って丘をこえて急な坂道を下ってるところ(三鷹市中原1丁目)
こちらは仙川隣りの入間(いりま)川の削った谷間。〈入間川は省略〉
甲州街道に出ます(調布市東つつじヶ丘1丁目)
多摩川まで歩く気でいましたが疲れました。ここで撤退。